窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

日本プロ野球2013 横浜vs広島3回戦

2013年04月13日 | スポーツ観戦記


  4月11日、横浜スタジアムへ今シーズン初の野球観戦、横浜vs広島3回戦に行ってきました。3月に逆戻りしたかのような寒い日だったので、球場はより一層寒く感じられました。



  横浜は前日まで三連敗中で借金2。連敗脱出を期待された先発はプロ5年目の小杉投手。しかし、序盤から制球が定まらず、4回で既に70球を超えるなど苦しいピッチングでした。



  対する広島の先発は野村投手。小杉投手とは対照的に序盤はテンポの良い省エネピッチングでした。



  序盤は圧倒的に広島が押していたにもかかわらず、攻めきれないまま両チームとも無得点が続きました。点が動いたのは4回裏。3回まで3安打に抑えていた野村投手が、先頭の中村選手に与えた死球から、それまでの小杉投手が乗り移ったかのように制球を乱し始めました。横浜は続くブランコ選手がヒット、さらにワイルドピッチで無死二・三塁とすると、5番ラミレス選手がレフトへタイムリーヒット。

 

  さらに二死の後、8番鶴岡選手がレフトへのタイムリーツーベースで0vs3とします。

 

  五回に入り、ようやく小杉投手も制球が落ち着いてきました。横浜は前日の悪夢から、守備がためにラミレス選手を下げ金城選手に交替。5回裏、その金城選手が二死一・二塁からレフトへタイムリーツーベース。レフトのルイス選手も追いついたかに見えましたが、及びませんでした。

 

  6回裏。一死二塁から代打多村選手がレフトへ低い弾道のホームランを放ち、これで0vs6。



  広島の反撃は7回。横浜の投手が二番手の吉川投手に代わると、吉川投手は連続安打に死球を与え無死満塁。

 

  広島の二番手江草投手に代わった代打木村選手がレフトにヒットを放ち、1vs6。6点差で登板した吉川投手は一体何のために出てきたのか、残念なピッチングでした。



  依然として広島のチャンスが続き、横浜は三番手大原投手に交替。

 

  無死満塁から代打栗原選手を併殺、菊地選手をセンターフライに討ち取り、併殺の間に1点は失ったものの見事な火消しでした。広島は二回の二死満塁に続き、二度目の満塁のチャンスを攻め切れなかったことが響きました。

 

  8回からは横浜の継投。ソーサ投手が三者連続三振、山口投手も2三振を含む打者三人でピシャリと抑え、2vs6でゲームセット。



  横浜の連敗は3でストップし、今季の本拠地初勝利を飾りました。

  繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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第33回YMSを開催しました

2013年04月12日 | YMS情報


  4月10日、横浜市開港記念会館にて第33回YMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)を開催しました。



  今回の講師は、バレーダンサーにして経営者の株式会社MANY ABILITIES代表取締役、野原秀樹さんにお越し頂き、「ドラマチックコミュニケーション~今、求められるコミュニケーションスキルとは?~」と題して、ご講義いただきました。

  今回のポイントは、「自発的に協力行動をする」という人間固有の特性をコミュニケーションの根本であると理解し、共感や承認、あるいは相手の価値観を理解することなど、コミュニケーションとは「他人を思いやる心」であるということを頭だけでなく体で理解しようというものです。

  初めに、ウォーミングアップで「拍手あわせ」というワークを行いました。これは掛け声などをかけたりすることなく、お互いの呼吸やリズムを読むことによって、1:1あるいは多数の間で拍子を合わせるというものです。印象に残ったのは、拍子が合ったとき皆さんが口々に「気持ちがいい」とおっしゃっていたことです。波動やリズムが合うということは、互いの気持ちが通じ合うということであり、人は気持ちが通じたと感じると快感を覚えるようにできているのではないかと思いました。



  続いてのワークは「わたし・あなた」。「わたし」・「あなた」という言葉のキャッチボールを同時に複数回していくというものですが、ここでは私たちの中に眠っている「伝える」・「受け止める」・「対応する」といった力を目覚めさせていきます。簡単なゲームですが、視野を広く持ったり、相手を気遣ったり、といったことをボディーランゲージや表情を駆使して表現しなければなりませんでした。翻って、私たちは日頃こうした非言語の部分を見落としがちなのではないかということに自然と気づくことができました。



  最後のワークは「シーン創造」。今回のテーマがなぜ「ドラマチックコミュニケーション」なのかと思っていましたが、役者さんが練習で行うエチュード(即興劇)を通じて、自分の考えを分かるように伝える力、チーム力、仲間のために進んで働きかける力などを目覚めさせていきます。最初は役者の表現が他の役者に伝わっていなかったり、観客が違った解釈で受け止めていたりとチグハグでしたが、二回目になると本当に即興劇を見ているかのような真に迫った演技が参加者の間から次々に繰り出され、大いに盛り上がりました。これは本当に凄いワークだと思いました。



  その余韻を残したまま、懇親会へ。

  次回は5月8日開催の予定です。

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バー・ベッソマリアール

2013年04月07日 | BAR&WHISKY etc.


  ほとんど不案内な大阪・北新地をぶらぶらと歩いていて、偶々入ったバーです。バーなので、むやみに店内を撮影するわけには行かなかったのですが、カウンターの他に英国アンティーク調のテーブル席もある、ゆったりとした時間を過ごせそうなバーでした。個人的には、こういう雰囲気がとても好きです。



  サントリーのお膝元ということもあってか、店内にはサントリーの創業80周年や100周年の時の記念ボトルがありました。

  食事も有名らしいのですが、この時は既に食事を済ませていたのと翌日早いこともあって、軽く済ませなければなりませんでした。いずれ機会があればゆっくりお邪魔したいと思います。

  冒頭の写真は、ブナハーブン25年。なめらかで果実のような甘みとスモーキーさのバランスが良く、長い余韻が楽しめるウィスキーでした。



  ボトルにアンクロス(幸運の十字架)があしらわれたこちらのウィスキーは、アイル・オブ・ジュラ・スーパースティション。以前このブログでもご紹介しました。軽くスモーキーでキャラメルのような甘み、なめらかでゆっくりと香りを楽しめる、飲み易いウィスキーです。

  写真には撮りませんでしたが、この後はカリラ12年をソーダで。名前を忘れてしまいましたが、こちらの炭酸水はガス圧が強く、関東では普及していないものなのだそうです。強炭酸水で割ると、より爽快感が増します。ささやかな発見でした。

Bar Beso mary.r

大阪府大阪市北区曾根崎新地1-3-10
北新地山忠ビル2号館 B1F



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松山城(金亀城)

2013年04月07日 | 史跡めぐり


  更新に間が開いてしまいましたが、高松城を訪れた翌日、帰りがけに松山城まで足を延ばしてきました。典型的な連立式縄張りを持つ松山城もまた、子供の頃から訪れてみたかった城の一つです。ただ如何せん、帰りの飛行機の都合でじっくりと見ることができませんでした。



  松山城は「賤ヶ岳の七本槍」の一人であり、文禄・慶長の役(1592年~98年)で数々の武功を立てた加藤嘉明によって、関が原の戦い後の1602年に築城が開始されました。本丸までの標高が132mと、姫路城の約三倍の高さに築かれた平山城で、現存十二天守の中では最も高い位置にある城郭です。このため、本丸へは登山道のほか、ロープウェイとリフトが利用できます。

 

  嘉明自身が朝鮮出兵で安骨浦城(倭城のひとつ)を拠点としてした経験から、松山城は極めて実戦的に築かれた城でした。最高で20mある急勾配の石垣は、見る者を威圧します。しかし、その鋭さがまた美しさとしても感じられます(写真右は太鼓櫓)。



  戸無門。本丸の登城道に設けられた高麗門。創建当初から脇戸がないので、戸無門と呼ばれています。何のため扉のない門をわざわざ設けたのか定かではありません。一説には敵を油断させて次の筒井門と隠門で挟撃するというというのがありますが、それでも敢えて扉を設けない理由にはならず、無理があると思います。

 

  筒井門(写真左)と裏から見た隠門続櫓(写真右)。筒井門に到達した敵を右側背部にある隠門続櫓から攻撃できるようになっています。



  筒井門を抜けても、その先は太鼓櫓(左端)と太鼓門(右端)を続櫓で結んだ、大変堅固な造りになっています。

 

  太鼓門(写真左)とその右側背部に位置する巽櫓(写真右)。ここでも太鼓門に到達した敵は、門と巽櫓の二方面から攻撃を受けることになります。

 


  本丸に入ってからの第一、第二の防衛線を突破し、ようやく大天守と小天守、二つの隅櫓を続櫓で結んだ連立式縄張りの天守群(本壇)が見えてきました。連立式は日本城郭の縄張り形式としては最も堅固なもので、それだけ実戦的ということができます。最も有名なのは姫路城で、他に奈良県の高取城も連立式です。攻め寄せれば、正面と張り出した小天守の三方から攻撃を受けることになります。

  なお、切込みハギの石垣を見て分かるとおり、この本壇は1854年(安政元年)に松平勝善が再建したものです。

 

  一の門(写真左)と二の門(写真右)。一の門に到達した敵は、小天守、筋鉄門東塀、一の門南櫓、三の門南櫓とほぼ四方から攻撃されることになります。二の門は1784年(天保4年)に落雷で焼失し、1854年(安政元年)に再建された、高松城の水手御門と同じ薬医門様式の門です。二の門も、一の門南櫓、二の門南櫓、三の門南櫓の三方から攻撃を受ける、袋小路のような構えになっています。

 

  三の門。こちらも1784年(天保4年)に落雷で焼失し、1854年(安政元年)に再建された、戸無門と同じ高麗門です。高麗門は薬医門をより簡略化し、屋根を小さくすることで守備側の死角を減らす工夫がなされた門です。すぐ右隣は大天守であり、この門に到達した敵は大天守と正面の三の門南櫓から攻撃を受けることになります。  



  筋鉄門(すじがねもん)東塀と筋鉄門。筋鉄門東塀も1784年(天保4年)に落雷で焼失し、1854年(安政元年)に再建されました。小天守、一の門、一の門南櫓を防衛します。



  連立式の縄張りは、四方を天守・櫓などで取り囲んでいるため、必然的に中庭ができるのが特徴です。城にとっては最後の防衛線と言えます。上の写真で見えているのは、左端から北隅櫓、内門です。



  小天守(写真左端)。二層二階、黒塗り板塀の大天守に対して、小天守は純白の外壁をです。写真右端は南隅櫓で、乾門の防衛と麓の二の丸、三の丸を監視する役割を持つ二層の櫓です。その間をつなぐのが多聞櫓で、南隅櫓と紫竹門を防衛します。これらはいずれも1784年(天保4年)に落雷で焼失し、1854年(安政元年)に再建されました。

 

  内門(写真左)。1854年(安政元年)に再建されましたものが1933年(昭和8年)の放火により再び焼失、1968年(昭和43年)に再建されました。その奥の仕切り門(写真右)とは内塀により枡形に囲われており、乾門方面を防衛する構えとなっています。



  穀倉(別名米蔵)。現在は大天守入口として使われています。内部に防腐力の強い樟(くすのき)を使用し、床に素焼きの煉瓦を敷いて湿気を避ける構造になっていました。



  大天守。現存する三層四階(地下一階を含む)の天守は1854年(安政元年)の再建になるもので、日本で最後の本格的城郭建築です。中にも入ることができます。



  小天守から一の門を見下ろした写真です。松山城の堅固な造りが良く分かります。



  最後に、本丸の井戸。この井戸は深さが44mもあり、当時の土木技術では掘り下げることができないと考えられていたほどの深さです。しかもこの井戸は現在でもなお水が湧き出ており、松山城創建時の高い技術力を窺うことができます。

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ライシャワーアカデミー設立記念会に出席しました

2013年04月04日 | 交渉アナリスト関係


  4月3日、ライシャワーアカデミーの設立記念会に出席させていただきました。昨年9月に藤田先生から構想として伺ったものが、わずか7ヶ月で設立記念会まで行われる運びとなったのには、正直驚きました。



  同アカデミーは、日本生まれの駐日米国大使として戦後の日米関係に多大な貢献をされたE.O.ライシャワー博士の偉業を後世に伝えつつ、その遺志を引き継いで次世代を担う人材を育成するための教育者を養成することを目的としています。



  初めに、故ライシャワー博士への献茶式。



  会長の藤田忠先生。



  つづいて来賓挨拶。同団体名誉会長で、元皇族の朝香誠彦氏。



  名誉会員で、聖路加国際病院理事長、日野原重明氏。



  衆議院議員、元防衛庁長官、中谷元氏。



  元駐米日本国大使、大河原良雄氏。



  名誉会員で、元大蔵省事務次官、弁護士の相沢英之氏。



  フルブライト・ジャパン(日米教育委員会)事務局長、デビッド・サターホワイト氏。



  最後は副会長で国際基督教大学名誉教授の土居先生より、今後の活動についてお話がありました。

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2013年度入社式を行いました

2013年04月03日 | リサイクル(しごと)の話


  2013年4月2日、ナカノ株式会社の入社式を行いました。

  この日は昨年度中に入社を済ませている2名を除く、2名の入社式が行われました。初めに、当社代表取締役社長、中野博恭より挨拶。新人といえども、この会社で個性を発揮することの大切さについて話がありました。



  続いて代表取締役会長、中野聰恭より挨拶。会長は社長と同じ趣旨を当社の行動指針である「活かす」という言葉で表現しました。これが、当社独特の役職名であったり、締めの掛け声であったりと、あらゆるところで繋がってくるのですが、それは彼らもこれから覚えていくことでしょう。



  社長より社章「協力印」のバッヂ授与。



  村松中孚(ちゅうふ)より名刺授与。



  窪田からは、昨年同様、新入社員の皆さんに最初に覚えてもらわなければならない、当社独特の役職名について。特に今日から彼らに与えられた「和声」という役職はいかなるものであるのかについて説明しました。当社の役職名の解説については、「キックオフパーティーを開催しました」をご覧ください。

  新しい仲間を心から歓迎したいと思います。ようこそ、ナカノ株式会社へ!

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高松城(玉藻城)

2013年04月02日 | 史跡めぐり


  初めての四国です。ちょうど高松に用事があったので、高松城へ行ってきました。高松城は1587年(天正15年)に生駒親正によって築かれた、中津城、今治城と並ぶ日本三大水城のひとつです。海城という点では唐津城と同じですが、唐津城が唐津湾に突き出た満島山の地形を利用した平山城であるのに対して、高松城は平地に海水を引き込んで造られた平城です。



  近世城郭としては最大の海城で、実際の縄張りは現在玉藻公園として整備されている部分の実に9倍もの面積を誇りました(上の写真をクリックすると拡大します)。昔から「讃州さぬきは高松さまの城が見えます波の上」と詠われ、まるで海の上に城が浮かんでいるように見えたことでしょう。この日本でも珍しい縄張りは、黒田孝高(如水)、藤堂高虎が手掛けたなど諸説ありますが、何といいますが築城の名手といわれた人物を片端から挙げた感じですね。それ位特異かつ大規模な城郭だったということではないかと思います。



  では場内を巡っていきます。まずは二の丸と本丸を結ぶ鞘橋です。二の丸から本丸へ通じるのは唯一この橋をもってのみであり、橋を落としてしまえば本丸を完全に孤立させることができました。もちろん、最終手段としての籠城のためです。

 

  再建された天守台。当初、生駒氏の時代の天守閣は「高松城下図屏風」にあるとおり、三層だったと言われています。



  1670年(寛文10年)、その後藩主となった松平氏により三層五階(地下1階含む)、南蛮造り(五階が四階よりも大きい構造)の天守に改築されました。この天守は小倉城を模したと言われ四国最大の規模を誇っていましたが、1884年(明治17年)、老朽化のため解体されました。上の写真はイメージです。



  天守台からは瀬戸内海を望むことができます。



  水門。高松城は外堀、中堀、内堀のすべてに海水が引き込まれ、軍船が直接出入りできる構造になっていました。そのため、水位調節のため水門が設けられています。この構造により、高松城は包囲あるいは補給を寸断しにくい城でした。



  このため、外海からは鯛などが堀に飛び込んできたとされ、これに因み現在でも堀では養殖の鯛が飼われています。



  三の丸にある披雲閣。松平氏時代に政庁および藩主の御殿として使われていましたが、1872年(明治5年)に老朽化のため解体され、1917年(大正6年)に再建されました。元々は現在の二倍の広さがありました。



  艮櫓(旧太鼓櫓跡)。艮櫓はその名の通り、元々東の丸の北東の位置にあり、1677年(延宝5年)頃造られました。三層三階、入母屋造り、本瓦葺きで、一層に大きな千鳥破風のあるのが特徴です。1965年(昭和40年)に、太鼓櫓があった位置に移築、復元されました。

 

  旭門と埋門。



  内苑御庭。1917年(大正6年)の披雲閣再建に合わせて作造された枯山水の庭です。



  月見櫓、水手御門、渡櫓。月見櫓は出入りする船を監視するため1676年(延宝4年)頃完成したと言われています。総塗籠造り、三層三階、入母屋造り、本瓦葺で、一層に千鳥破風、二層には唐破風のある美しい櫓です。その右手に見える水手御門は海の大手門ともいうべき、薬医門様式(二本の本柱の背後だけに控え柱を立て、切妻屋根をかけた門)の門です。

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2013年3月アクセスランキング

2013年04月01日 | 人気記事ランキング
  いよいよ4月となり、当社も新年度を迎えました。今年度もどうぞよろしくお願いいたします。

  さて、2013年3月にアクセスの多かった記事、ベスト10です。

  3月は「新杵堂」のロールケーキ2つの話題に圧倒的なアクセスが集まりました。今更ですが、何のブログかと思ってしまうほどです。3月は更新頻度こそ高くありませんでしたが、個々の記事には比較的アクセスがあった方だと思います。それにしても、こんなに話題になっていたとは知りませんでした。

  ということで、YMS関連の記事も今回は3位。通常のアクセス数であれば1位でもおかしくなかったのですが...

  定番の「エコノミーとエコロジーの語源」が4位、5位の「ヨーロッパグルメ紀行フェア」は先月も申し上げたとおり、去る3月6日~10日、大桟橋プラザで開催されたことが要因だと思います。そして掲載期間わずか2日ながら小林一光氏のご講演が同5位に入りました。

1 新杵堂-渋皮栗入栗きんとんロールケーキ
2 新杵堂-桜生クリームロール
3 第32回YMSを開催しました
4 エコノミーとエコロジーの語源
5 ヨーロッパグルメ紀行フェア
5 【WBN】善く戦う者は、之を勢に求めて、人に求めず
7 40万件突破、ありがとうございます
8 如水庵のいちご大福
9 2013年2月アクセスランキング
10 鮨居酒屋 魚潮-魚料理と日本酒
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