うらわ美術館 「フルクサス展」 2/5

うらわ美術館(さいたま市浦和区仲町)
「フルクサス展-芸術から日常へ」
2004/11/20~2005/2/20

こんにちは。

先日のブログにも書きましたが、土曜日にうらわ美術館でフルクサス展を観てきました。何でも「開館五周年記念事業」とのことで、毎週土曜日は無料(!)なのだそうです。素晴らしい試みです。

さて、この展覧会、表題の「フルクサス」の意味を知らなくても大丈夫です。フルクサスの歴史的背景とその展開が丁寧に説明されているのはもちろんのこと、実際にフルクサス・アートを体験できるコーナーまであります。フルクサスが、パフォーマンスと出版を拠り所にしたことを考えると、この展覧会は「あらゆる手段を使って、至極真っ当なフルクサス像を提示していた。」とも言えるのでしょう。

と、ここまでフルクサスについて偉そうに書かせていただきましたが、私、この展覧会の存在を知るまで「フルクサス」の「フ」も知りませんでした…。ですから、ジョン・ゲージの「4分33秒」が、会場でフルクサス・アートとして紹介されていたのには驚かされましたし、いつ観てもその良さが分からないオノ・ヨーコの作品も、フルクサスの流れに位置付けられるのだとは思いもよりませんでした。とても勉強になります…。

ラケットに様々な細工がしてある卓球を、人の迷惑も省みずに何分もゲームに講じたり、「あなたもこれで『現代作曲家』!」と言わんばかりの、鍵盤に石が置かれた自由に音の出せるピアノを触ったり、壁のカンヴァスに釘をトントンと打ち付けたり…。たくさんのフルクサスな行為に参加しながら、その意義を感じようと努力はしました…。

ハッキリ申しまして、私は、少なくともこの展覧会に並べられていたフルクサス・アートに殆ど魅力を感じません。捻りの加えられた卓球台が美術館にあることがそんなに面白いのでしょうか。皆で一緒に釘を打ち付けて、それで?…。良くわかりませんが、ある種の虚しささえ感じてしまいました…。

フルクサスが反芸術的な意義を持っていた時代があったのでしょうか。当時のフルクサス・アートを映像で紹介するコーナーもあって、そのビデオからはフルクサスに力があった時代の雰囲気が良く伝わってきました。しかしそれも、私が今見る限りでは恐ろしいほど退屈なのです…。もちろん、私なんぞがフルクサスの価値を否定できません。しかし、そこに笑いやある種の皮肉が込められたとしても、それを全く捉えられないのです。もちろん、これは私の感受性が鈍いせいもあるかもしれません。それにもしかしたら、それぞれの作品を「フルクサス」という枠に組み込むと面白くなくなるのかもしれません。そしてその「つまらなさ」もフルクサスの持つ意味の一つなのかもしれません…。色々考えましたが、どうもはっきりしませんでした…。

展覧会の構成は実にしっかりしています。国内でこれだけまとまった形でフルクサスを紹介することも珍しいそうです。その点では、今回のうらわ美術館の企画は、称賛に値する素晴らしいものだったと思います。フルクサスの潮流は感じました。しかし作品の面白さを共有するのは難しい…。理解不能と言うより、妙な違和感さえ感じるものもありました。う~ん、どうなのでしょう…。
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