国際交流基金フォーラム 「西ベイルート」 2/12

国際交流基金フォーラム(港区赤坂)
「西ベイルート」
(1998年/レバノン/ジアド・ドゥエイリ監督)
2/12(アラブ映画祭2005・プレイベント)

こんにちは。

先日の三連休の中日は、赤坂の交流基金フォーラムで映画を観てきました。「アラブ映画祭2005」のプレイベントとして上映された「西ベイルート」です。レバノン内戦下の日常を、子どもたちの生活を通して克明に描き出します。一般の映画館でも上映して欲しいと思うぐらい秀逸な作品でした。

ある日突然ベイルートが東西に分断されます。内戦の始まりです。少年たちは一つの街に国境線が引かれたという現実を突きつけられます。「西」在住の彼らは、「東」の学校へ行くことは叶いません。また、ひいきにしていたフィルムの現像店も「東」にある…。戦争は徐々に日常を蝕んでいきます。彼らの父や母はいつの間にか職を失い、生活のための物資も次第に欠乏してしまいます。一体どうなってしまうのでしょうか…。

少年たちは「戦争が日常」となっている毎日を、驚くほど逞しく生きていました。もちろん、学校へ通えないことや、自由に東西の往来ができないことを憂慮していないのではありません。一見、明るく行動する彼らの背後には、「死」が至近距離に迫っています。また、彼ら自身も敏感に「死の匂い」を嗅ぎ付けていたことでしょう。しかしながら、少年たちの好奇心は、危険極まりない分断線を超えて「東」の売春宿へ行ってしまうという驚くべき行動すら起こします。(これが信じられない方法でやり遂げます!)また、彼らの生活を取り巻く人々との人間味溢れる触れ合いや、大きな瞳が印象的な少女との甘い恋は、戦争が刻一刻と進む中でも、彼らの生活が決して止まらないことを印象づけます。

映画を通して見るベイルートの街はとても魅惑的です。少年たちがベイルートを自転車で駆け抜けるシーンには、暖かい日差しと柔らかい風を感じました。何故あんなに美しい街や大地を簡単に破壊してしまうのか。戯言以上の何ものでもありませんが、心の底からそう思いました。「日常としてある戦争」が、ある意味淡々と流れる日々。レバノンの少年の逞しい生活を見ると、逆説的に状況の厳しさが響いてきます。考えさせられました。

ところで、レバノンでは、つい先日、元首相が爆弾テロにて暗殺されるという痛ましい事件が起こりました。報道の完全な受け売りで申し訳ありませんが、今レバノンには、隣国のシリア軍が三万人以上(外務省HPから。)駐留しています。国連やアメリカによれば、それは「問題」であって、シリアは即時に撤退するべきだと主張しています。そして今回のテロは、そのシリアが関係しているとする見方があります…。真相は何処を探しても見つからないのかもしれません。ですが、決して「戦争のある日常」に戻って欲しくはない。惨劇が惨劇を生むことだけは避けて欲しい。この映画を観たことで、その思いが一層募りました。
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