都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「ヨロヨロン 束芋」 原美術館 8/13
原美術館(品川区北品川4-7-25)
「ヨロヨロン 束芋」展
6/3-8/27
束芋の作品をまとまって見るのは、2003年にオペラシティで開催された個展以来のことです。原美術館の空間に合わせて制作されたという、新作映像インスタレーション3点を中心に、束芋の創作を多様に紹介する展覧会でした。
残暑厳しい品川駅からの道のりで火照った体を冷ますには、まず入口すぐ横の暗室に展示されている「真夜中の海」(2006)を見るのが最適でしょう。何やら巨大なパネルに並んだいくつもの覗き穴。中からは冷気が引っ切りなしに流れ出ています。それを顔に受けながら、しばし闇の海での物語に見入ること。巻貝のように渦巻く波と、ゆらゆらと気持ちよさそうに揺れた真っ白い物体。まるでジュゴンのように輝いています。そして耳に飛び込んで来るのは、轟々と絶え間なく続く波の音でした。真っ暗で、また誰もいない波打ち際で見つめた夜の海の記憶。いつの間にか海に引きずり込まれてしまうような感覚に近いかもしれません。背筋に感じる一抹の恐怖感と、正面から流れてくる冷たい風。時にクールな一面を見せる束芋ワールドの効果的な導入かと思いました。
「にっぽんの台所」(1999年)は以前にも見たことがあるかもしれません。襖や障子で作られたコテコテの日本家屋に、逞しい主婦が、まさにその主として一人気を吐く映像作品です。リストラされた旦那をすぐさまギロチンにして処理したその姿には、明日は我が身と震え上がる男性の方もいらっしゃるのではないでしょうか。また、電子レンジの中で回転する政治家の虚しさは実に滑稽です。ピリリと効くスパイスのような皮肉が利いていました。
ダンディズムとエロスを表現したような「hanabi-ra」(2003)の美しさは格別です。入れ墨に化けた花びらが儚くひらひらと散っていく。時に背中には鯉が泳ぎ、また長谷川等伯風の烏が飛び去ります。桜の散り際の美学でしょうか。それにしてもこの作品は、何としてでも最後まで鑑賞しなくてはなりません。アッと驚く豪快な仕掛けが待ち構えている。捲れて削ぎ落とされ、さらには切り刻まれ崩壊する過程が瞬く間に過ぎ去っていきました。堆く積もった美の残骸には清めの酒を振りかけたい。そんな気持ちにもさせられます。
今回の展覧会のハイライトでもある「公衆便女」(2006)はさすがの貫禄です。3面スクリーンの巨大な映像装置。そこには、汚れ切った女性用の大きなトイレが映し出されます。そして繰り広げられるのは、現代女性を半ばシニカルに見つめた多様な物語でした。ランドセルを背負い、下着一枚の姿となって執拗に髪を梳かし続ける女性。携帯電話を便器の中へ落としたが為に、水着姿となって飛び込んで追っかける者。さらには、口の中から胎児を吐き出し、亀にのっけて水へと流してしまう様子。OL風の女性が、まさに自らを傷つけるかのように鏡を叩き割るシーンも印象的でした。それぞれの精神病理が、寓話的なモチーフを用い、また一見不条理な物語を装いながらも、実はかなり直裁的な形にて表現されている。彼女たちは、互いに関係し合うことも、また自らをなめ回すように見る蛾を気にすることもありません。あくまでも孤独に生き続けている。独特な寂寥感。ここに「ヨロヨロン」の意味が頭をよぎります。作品を見終えると、そのほろ苦い後味がしばらく残り続けました。
映像インスタレーションの他にも、どこかダリ風の味わいすら見せる「惡人」(2006)や、何とも気味の悪い「虫遊び」(2005)などのドローイングも展示されています。相変わらずのおどろおどろしさと、その反面でのシュールな社会的テーマへの切り込み。ともかくいつ見ても記憶へ強く焼き付けられるアーティストです。今月27日までの開催です。もちろんおすすめ致します。
「ヨロヨロン 束芋」展
6/3-8/27
束芋の作品をまとまって見るのは、2003年にオペラシティで開催された個展以来のことです。原美術館の空間に合わせて制作されたという、新作映像インスタレーション3点を中心に、束芋の創作を多様に紹介する展覧会でした。
残暑厳しい品川駅からの道のりで火照った体を冷ますには、まず入口すぐ横の暗室に展示されている「真夜中の海」(2006)を見るのが最適でしょう。何やら巨大なパネルに並んだいくつもの覗き穴。中からは冷気が引っ切りなしに流れ出ています。それを顔に受けながら、しばし闇の海での物語に見入ること。巻貝のように渦巻く波と、ゆらゆらと気持ちよさそうに揺れた真っ白い物体。まるでジュゴンのように輝いています。そして耳に飛び込んで来るのは、轟々と絶え間なく続く波の音でした。真っ暗で、また誰もいない波打ち際で見つめた夜の海の記憶。いつの間にか海に引きずり込まれてしまうような感覚に近いかもしれません。背筋に感じる一抹の恐怖感と、正面から流れてくる冷たい風。時にクールな一面を見せる束芋ワールドの効果的な導入かと思いました。
「にっぽんの台所」(1999年)は以前にも見たことがあるかもしれません。襖や障子で作られたコテコテの日本家屋に、逞しい主婦が、まさにその主として一人気を吐く映像作品です。リストラされた旦那をすぐさまギロチンにして処理したその姿には、明日は我が身と震え上がる男性の方もいらっしゃるのではないでしょうか。また、電子レンジの中で回転する政治家の虚しさは実に滑稽です。ピリリと効くスパイスのような皮肉が利いていました。
ダンディズムとエロスを表現したような「hanabi-ra」(2003)の美しさは格別です。入れ墨に化けた花びらが儚くひらひらと散っていく。時に背中には鯉が泳ぎ、また長谷川等伯風の烏が飛び去ります。桜の散り際の美学でしょうか。それにしてもこの作品は、何としてでも最後まで鑑賞しなくてはなりません。アッと驚く豪快な仕掛けが待ち構えている。捲れて削ぎ落とされ、さらには切り刻まれ崩壊する過程が瞬く間に過ぎ去っていきました。堆く積もった美の残骸には清めの酒を振りかけたい。そんな気持ちにもさせられます。
今回の展覧会のハイライトでもある「公衆便女」(2006)はさすがの貫禄です。3面スクリーンの巨大な映像装置。そこには、汚れ切った女性用の大きなトイレが映し出されます。そして繰り広げられるのは、現代女性を半ばシニカルに見つめた多様な物語でした。ランドセルを背負い、下着一枚の姿となって執拗に髪を梳かし続ける女性。携帯電話を便器の中へ落としたが為に、水着姿となって飛び込んで追っかける者。さらには、口の中から胎児を吐き出し、亀にのっけて水へと流してしまう様子。OL風の女性が、まさに自らを傷つけるかのように鏡を叩き割るシーンも印象的でした。それぞれの精神病理が、寓話的なモチーフを用い、また一見不条理な物語を装いながらも、実はかなり直裁的な形にて表現されている。彼女たちは、互いに関係し合うことも、また自らをなめ回すように見る蛾を気にすることもありません。あくまでも孤独に生き続けている。独特な寂寥感。ここに「ヨロヨロン」の意味が頭をよぎります。作品を見終えると、そのほろ苦い後味がしばらく残り続けました。
映像インスタレーションの他にも、どこかダリ風の味わいすら見せる「惡人」(2006)や、何とも気味の悪い「虫遊び」(2005)などのドローイングも展示されています。相変わらずのおどろおどろしさと、その反面でのシュールな社会的テーマへの切り込み。ともかくいつ見ても記憶へ強く焼き付けられるアーティストです。今月27日までの開催です。もちろんおすすめ致します。
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