都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「没後25年 鴨居玲 終わらない旅」 そごう美術館
そごう美術館(横浜市西区高島2-18-1 そごう横浜店6階)
「没後25年 鴨居玲 終わらない旅」
7/17-8/31
没後25年を契機にして画業を振り返ります。横浜そごう美術館で開催中の「没後25年 鴨居玲 終わらない旅」へ行ってきました。
作家、鴨居玲(かもいれい。1928-1985)の略歴については以下の通りです。(美術館サイトより引用。)
酔っぱらい、廃兵、皺だらけの老婆、そして自画像と、40年足らずの短い画業で、常に自己の内面と向き合い、苦悩しながらも数々の作品を描き続けた画家鴨居玲。
戦後創設された、金沢美術工芸専門学校(現・金沢美術工芸大学)に入学し、宮本三郎に師事。二紀会に出品して褒状を受けるなど、若くしてその才能を発揮します。しかし油絵制作に行き詰まり、油彩画から離れる時期もありました。その後、意を決して取り組んだ《静止した刻》で、1969年に安井賞を受賞。以後スペイン、フランス、そして神戸と生活の拠点を移しながら、鴨居独特の存在感のある画風を確立していきます。
「ボリビア インディオの娘」(1970年)
とかく語られる苦悩や不安のキーワード、また一見するところのおどろおどろしい画風もあってか、どこか近寄り難い独特のオーラが出ていたのは事実ですが、実際の作品に接すると、例えばチラシ図版で前もって抱いていた印象とは大分異なりました。鴨居は数多く手がけた自画像や人物画によって、苦悩云々だけではない、人間の奥底にある笑いや楽しみまでをも、どこか戯画的なまでの誇張的表現にて引き出すことに成功しています。千鳥足の酔っ払いの男や、旅先で見た人物を描いた作品などには、それこそ鴨居の人への鋭い観察眼、そして何よりも人へ対する愛情が強く滲み出ていました。
「静止した刻」(1968年)
出世作でもある「静止した刻」(1968年)も人間観察者の鴨居ならではの作品だと言えるのではないでしょうか。余白の多い暗がりの背景こそ不安な空気を醸し出していますが、サイコロを振る四人の男たちの表情はむしろ明るく、例えばドーミエの描く風刺画のようなコミカルな様相さえ感じられます。鴨居は一貫して重厚な色遣いを用いることで、どこか鬼気迫る画風を作り出していますが、人物の表情によく注意して見て下さい。瞳のない顔は異様ではありますが、それは人間のふとした何気ない表情が巧みに捉えられています。こうしたタッチの重厚さの反面、強いていえば人懐っこくさえある人物表現とのギャップもまた、鴨居の大きな特徴の一つであるのかもしれません。
「おっかさん」(1973年)
そうした意味でも作家の集大成であるのが、70年代の「私の村の酔っぱらい」(1973年)や「おっかさん」(1973年)であるかもしれません。鴨居は自身も酒を好んでいたこともあり、こうした酔っ払いのモチーフを非常に多く描いていますが、そこには酔って醜くもある男たちへの深い共感を見ることが出来ます。また「おっかさん」においても放蕩息子の胸を掴む老婆には人情味が溢れていました。ここにはまるで筋肉や血管までを浮き上がらせた奇異な顔面が描かれていますが、それよりもむしろ鴨居は切っても切り離せない親子の深い愛情を羨望の眼差しでもって捉えたように思えてなりませんでした。
「1982 私」(1982年)
一つの問題作として是非とも挙げておきたいのは、白い大きなキャンバスを前に座る自身を描いた「1982 私」(1982年)です。ヨーロッパ生活を終えて帰国後したものの、絵の製作に悩んだ鴨居は、この作品を描くことで「もう何も描けない」(解説冊子より引用)ということを表現しました。しかしながらここでも鴨居はこれまでのモチーフらの人物に囲まれ、どこか苦しんでいるような表情を見せながらも、何やらドラマに登場する役者がポーズをとるかのようにしてこちらを振り向いています。確かに鴨居は晩年、狂言的な自殺をはかるなど波乱の人生を送りましたが、本来的に人間が好きで明るかったという彼は、人を描きながら自己を投影し、またこのように画中でも多くの人物に囲まれることで、何か連帯感や安堵感のようなものを求めていたのかもしれません。
「裸婦」(1982年)
晩年の「裸婦」(1982年)には心がとまりました。彼はこの時期、女性表現に取り組むなど、作風に若干の変化も見られますが、まるで青の時代のピカソが描いたようなこの女性の美しさは、同時期の自画像とは完全に一線を画しています。彼はキャンバスをそれこそ白くせず、また新たなモチーフを求めて旅立っていました。
ともかく図版と実際の作品はまるで別物です。私の感想はさて置いても、チラシのみを見て絵の印象を定めてしまうのはあまりにも勿体ないことだと改めて感じました。そうした意味においてもこの回顧展へ足を運ぶ価値は多分にあります。
8月31日まで開催されています。
「没後25年 鴨居玲 終わらない旅」
7/17-8/31
没後25年を契機にして画業を振り返ります。横浜そごう美術館で開催中の「没後25年 鴨居玲 終わらない旅」へ行ってきました。
作家、鴨居玲(かもいれい。1928-1985)の略歴については以下の通りです。(美術館サイトより引用。)
酔っぱらい、廃兵、皺だらけの老婆、そして自画像と、40年足らずの短い画業で、常に自己の内面と向き合い、苦悩しながらも数々の作品を描き続けた画家鴨居玲。
戦後創設された、金沢美術工芸専門学校(現・金沢美術工芸大学)に入学し、宮本三郎に師事。二紀会に出品して褒状を受けるなど、若くしてその才能を発揮します。しかし油絵制作に行き詰まり、油彩画から離れる時期もありました。その後、意を決して取り組んだ《静止した刻》で、1969年に安井賞を受賞。以後スペイン、フランス、そして神戸と生活の拠点を移しながら、鴨居独特の存在感のある画風を確立していきます。
「ボリビア インディオの娘」(1970年)
とかく語られる苦悩や不安のキーワード、また一見するところのおどろおどろしい画風もあってか、どこか近寄り難い独特のオーラが出ていたのは事実ですが、実際の作品に接すると、例えばチラシ図版で前もって抱いていた印象とは大分異なりました。鴨居は数多く手がけた自画像や人物画によって、苦悩云々だけではない、人間の奥底にある笑いや楽しみまでをも、どこか戯画的なまでの誇張的表現にて引き出すことに成功しています。千鳥足の酔っ払いの男や、旅先で見た人物を描いた作品などには、それこそ鴨居の人への鋭い観察眼、そして何よりも人へ対する愛情が強く滲み出ていました。
「静止した刻」(1968年)
出世作でもある「静止した刻」(1968年)も人間観察者の鴨居ならではの作品だと言えるのではないでしょうか。余白の多い暗がりの背景こそ不安な空気を醸し出していますが、サイコロを振る四人の男たちの表情はむしろ明るく、例えばドーミエの描く風刺画のようなコミカルな様相さえ感じられます。鴨居は一貫して重厚な色遣いを用いることで、どこか鬼気迫る画風を作り出していますが、人物の表情によく注意して見て下さい。瞳のない顔は異様ではありますが、それは人間のふとした何気ない表情が巧みに捉えられています。こうしたタッチの重厚さの反面、強いていえば人懐っこくさえある人物表現とのギャップもまた、鴨居の大きな特徴の一つであるのかもしれません。
「おっかさん」(1973年)
そうした意味でも作家の集大成であるのが、70年代の「私の村の酔っぱらい」(1973年)や「おっかさん」(1973年)であるかもしれません。鴨居は自身も酒を好んでいたこともあり、こうした酔っ払いのモチーフを非常に多く描いていますが、そこには酔って醜くもある男たちへの深い共感を見ることが出来ます。また「おっかさん」においても放蕩息子の胸を掴む老婆には人情味が溢れていました。ここにはまるで筋肉や血管までを浮き上がらせた奇異な顔面が描かれていますが、それよりもむしろ鴨居は切っても切り離せない親子の深い愛情を羨望の眼差しでもって捉えたように思えてなりませんでした。
「1982 私」(1982年)
一つの問題作として是非とも挙げておきたいのは、白い大きなキャンバスを前に座る自身を描いた「1982 私」(1982年)です。ヨーロッパ生活を終えて帰国後したものの、絵の製作に悩んだ鴨居は、この作品を描くことで「もう何も描けない」(解説冊子より引用)ということを表現しました。しかしながらここでも鴨居はこれまでのモチーフらの人物に囲まれ、どこか苦しんでいるような表情を見せながらも、何やらドラマに登場する役者がポーズをとるかのようにしてこちらを振り向いています。確かに鴨居は晩年、狂言的な自殺をはかるなど波乱の人生を送りましたが、本来的に人間が好きで明るかったという彼は、人を描きながら自己を投影し、またこのように画中でも多くの人物に囲まれることで、何か連帯感や安堵感のようなものを求めていたのかもしれません。
「裸婦」(1982年)
晩年の「裸婦」(1982年)には心がとまりました。彼はこの時期、女性表現に取り組むなど、作風に若干の変化も見られますが、まるで青の時代のピカソが描いたようなこの女性の美しさは、同時期の自画像とは完全に一線を画しています。彼はキャンバスをそれこそ白くせず、また新たなモチーフを求めて旅立っていました。
ともかく図版と実際の作品はまるで別物です。私の感想はさて置いても、チラシのみを見て絵の印象を定めてしまうのはあまりにも勿体ないことだと改めて感じました。そうした意味においてもこの回顧展へ足を運ぶ価値は多分にあります。
8月31日まで開催されています。
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