都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「Concerto Museo/絵と音の対話:抽象芸術の相即」 東京国立近代美術館
東京国立近代美術館
「Concerto Museo/絵と音の対話:抽象芸術の相即」
8/12 15:00~
東京国立近代美術館で開催された「Concerto Museo/絵と音の対話:抽象芸術の相即」へ行ってきました。
大規模リニューアル中の東京国立近代美術館、秋までの改修期間中は通常の常設展もクローズされていますが、その間、様々なイベントが行われているのをご存知でしょうか。
夏のスペシャルプログラム カレンダー@東京国立近代美術館
そうした夏の東近美のスペシャルイベントの第一弾が、今回の「Concerto Museo/絵と音の対話」です。
テーマは絵画と音楽、3日間限定です。会場はもちろん東近美の館内。このイベントのために選定された所蔵作品を背景に、クラシック演奏家によるミニコンサートが行われました。
というわけで私が聞きに行ったのは最終日の回、タイトルは「抽象芸術の相即」です。
リヒターの「抽象絵画(赤)」や大観の「或る日の太平洋」を前にして、東フィル首席チェリストの渡邉辰紀が以下の演目を演奏しました。
ヨハン・セバスチャン・バッハ:無伴奏チェロ組曲第6番
スティーヴ・ライヒ:チェロ・カウンターポイント
黛敏郎:BUNRAKU
カール・ヴァイン:インナーワールド
1曲目はチェリストの聖典とまでにうたわれるバッハの無伴奏チェロ組曲から6番。当然ながら通常のコンサートホールとは異なる異空間、いつもと違う雰囲気で大変ではなかったかとも推測されましたが、そこは渡邉も落ち着いてチェロ、そしてバッハと対峙します。
ともかく印象に深かったのは、非常に情熱的な演奏であったということです。時に嘆き悲しむような感情豊かなフレーズで、切々と、また高らかにバッハの旋律を歌い上げます。
そして2曲目は私も大好きなライヒから「チェロ・カウンターポイント」でした。
かの原初的でかつ力強いリズムがチェロから激しく刻まれます。また注目は会場内に設置された7つのパートの多重録音です。
スピーカーを効果的に用い、広がる音場、そしてそこへ脳を覚醒させるような覚醒的なリズムは、まさにライヒの真骨頂ではないでしょうか。見事な演奏でした。
3曲目の黛は今、何かと話題の文楽から、その音を西洋音楽へと転化させようと試みた作品です。
ここでも渡邉はチェロを時に叩くなどをして音を出し、確かに黛の意図したBUNRAKUの響きを引き出します。
最後のカール・ヴァインでもライヒと同様、スピーカーが引用され、コンピューター処理されたチェロの分断的な音と、渡邉自身のチェロの音が複層的にも合わさり、創造性に富んだ音楽的空間を作り上げていました。
開演前には本展を担当した学芸の方と、プログラム構成を行った浅岡洋平氏との間でトークが行われました。
そこではタイトルの「相即」とは仏教用語で二つの相反するものが溶け合っていく様を指すこと、またそれは絵画と音楽を繋ぐ際にも有用なキーワードではないかと語られ、さらには演奏プログラムと展示作品(絵画)の関係等についてのレクチャーへと続きました。
その中で一つ具体的な例として面白かったのは、例えば大観の墨絵なり絵画平面と接するのは筆、つまり動物の毛であるのが、チェロという弦楽器の弦と弓(弓は馬の毛で出来ている。)の関係に似ているという話です。そしてともに両者をこすり合わせることで、一つの表現を行っているという共通点もあるのではないかとの指摘もなされました。
また黛は西洋楽器で文楽の音を表した一方、横山は日本画の素材でNYの景色を描いた、その双方にも類似点がある、というような話もありました。
それにキャンバス平面は音楽の楽譜であり、それに向き合う鑑賞者は、音楽で言えば楽譜を解釈する演奏者にあたるのではないかという話も示唆に富んでいるかもしれません。
もちろん絵画と音楽、その親和性については様々な議論があります。
しかしながら例えばライヒの沸き立つリズムが李の「線より」のリズムと呼応し、またバッハの旋律がリヒターの絵画層へと沈み込んでいくような感覚は、通常の美術展、もしくはコンサートではまず味わえません。
音楽的と美術的な感動、それを同時に味わうような体験は、確かに新鮮でした。
それにしても会場は200ほど用意された椅子席も埋まり、立ち見が出るほどの盛況でした。この意欲的な企画を無料で行った東近美、素直に拍手を送りたいと思います。
「Concerto Museo/絵と音の対話:抽象芸術の相即」 東京国立近代美術館(@MOMAT60th)
日程:8月12日(日)15:00~16:00
時間:15:00~16:00
場所:千代田区北の丸公園3-1
交通:東京メトロ東西線竹橋駅1b出口徒歩3分。
「Concerto Museo/絵と音の対話:抽象芸術の相即」
8/12 15:00~
東京国立近代美術館で開催された「Concerto Museo/絵と音の対話:抽象芸術の相即」へ行ってきました。
大規模リニューアル中の東京国立近代美術館、秋までの改修期間中は通常の常設展もクローズされていますが、その間、様々なイベントが行われているのをご存知でしょうか。
夏のスペシャルプログラム カレンダー@東京国立近代美術館
そうした夏の東近美のスペシャルイベントの第一弾が、今回の「Concerto Museo/絵と音の対話」です。
テーマは絵画と音楽、3日間限定です。会場はもちろん東近美の館内。このイベントのために選定された所蔵作品を背景に、クラシック演奏家によるミニコンサートが行われました。
というわけで私が聞きに行ったのは最終日の回、タイトルは「抽象芸術の相即」です。
リヒターの「抽象絵画(赤)」や大観の「或る日の太平洋」を前にして、東フィル首席チェリストの渡邉辰紀が以下の演目を演奏しました。
ヨハン・セバスチャン・バッハ:無伴奏チェロ組曲第6番
スティーヴ・ライヒ:チェロ・カウンターポイント
黛敏郎:BUNRAKU
カール・ヴァイン:インナーワールド
1曲目はチェリストの聖典とまでにうたわれるバッハの無伴奏チェロ組曲から6番。当然ながら通常のコンサートホールとは異なる異空間、いつもと違う雰囲気で大変ではなかったかとも推測されましたが、そこは渡邉も落ち着いてチェロ、そしてバッハと対峙します。
ともかく印象に深かったのは、非常に情熱的な演奏であったということです。時に嘆き悲しむような感情豊かなフレーズで、切々と、また高らかにバッハの旋律を歌い上げます。
そして2曲目は私も大好きなライヒから「チェロ・カウンターポイント」でした。
かの原初的でかつ力強いリズムがチェロから激しく刻まれます。また注目は会場内に設置された7つのパートの多重録音です。
スピーカーを効果的に用い、広がる音場、そしてそこへ脳を覚醒させるような覚醒的なリズムは、まさにライヒの真骨頂ではないでしょうか。見事な演奏でした。
3曲目の黛は今、何かと話題の文楽から、その音を西洋音楽へと転化させようと試みた作品です。
ここでも渡邉はチェロを時に叩くなどをして音を出し、確かに黛の意図したBUNRAKUの響きを引き出します。
最後のカール・ヴァインでもライヒと同様、スピーカーが引用され、コンピューター処理されたチェロの分断的な音と、渡邉自身のチェロの音が複層的にも合わさり、創造性に富んだ音楽的空間を作り上げていました。
開演前には本展を担当した学芸の方と、プログラム構成を行った浅岡洋平氏との間でトークが行われました。
そこではタイトルの「相即」とは仏教用語で二つの相反するものが溶け合っていく様を指すこと、またそれは絵画と音楽を繋ぐ際にも有用なキーワードではないかと語られ、さらには演奏プログラムと展示作品(絵画)の関係等についてのレクチャーへと続きました。
その中で一つ具体的な例として面白かったのは、例えば大観の墨絵なり絵画平面と接するのは筆、つまり動物の毛であるのが、チェロという弦楽器の弦と弓(弓は馬の毛で出来ている。)の関係に似ているという話です。そしてともに両者をこすり合わせることで、一つの表現を行っているという共通点もあるのではないかとの指摘もなされました。
また黛は西洋楽器で文楽の音を表した一方、横山は日本画の素材でNYの景色を描いた、その双方にも類似点がある、というような話もありました。
それにキャンバス平面は音楽の楽譜であり、それに向き合う鑑賞者は、音楽で言えば楽譜を解釈する演奏者にあたるのではないかという話も示唆に富んでいるかもしれません。
もちろん絵画と音楽、その親和性については様々な議論があります。
しかしながら例えばライヒの沸き立つリズムが李の「線より」のリズムと呼応し、またバッハの旋律がリヒターの絵画層へと沈み込んでいくような感覚は、通常の美術展、もしくはコンサートではまず味わえません。
音楽的と美術的な感動、それを同時に味わうような体験は、確かに新鮮でした。
それにしても会場は200ほど用意された椅子席も埋まり、立ち見が出るほどの盛況でした。この意欲的な企画を無料で行った東近美、素直に拍手を送りたいと思います。
「Concerto Museo/絵と音の対話:抽象芸術の相即」 東京国立近代美術館(@MOMAT60th)
日程:8月12日(日)15:00~16:00
時間:15:00~16:00
場所:千代田区北の丸公園3-1
交通:東京メトロ東西線竹橋駅1b出口徒歩3分。
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