「田村彰英 夢の光」 東京都写真美術館

東京都写真美術館
「田村彰英 夢の光」
7/21-9/23



東京都写真美術館で開催中の「田村彰英 夢の光」へ行ってきました。

光に対する受け止め方なり表し方、ひょっとするとそれは写真家の最も個性が表れる部分かもしれません。

1960年代、米軍基地を捉えたシリーズで一躍脚光を浴びた田村彰英は、以後、変わりゆく都市の姿や、座礁したタンカー事故の現場、そして最近ではかの震災の被災地などを、時に無機的でかつコンセプチュアルに、また別の地平においては極めて繊細な感覚をもって写し出しました。

本展ではそうした田村の業績を120点弱のスケールの写真で辿ることが出来ます。

構成は以下の通りでした。

「BASE」 BASE
「家」、「道」 House、Road
「午後」 Afternoon
「湾岸」 Wangan
「赤陽」 Dusk
「名もなき風景のために」 Erewhon
「BASE 2005-2012」 BASE2005-2012


冒頭、厚木や横須賀の基地を写した「BASE」からしてどこかセンシティブです。


シリーズ「BASE」より「横須賀」(1969年)

当時は基地問題で様々な動きがあった時代、もちろん状況は今もあまり変わることはありませんが、それはともかくも田村は社会的な文脈を排した基地を言わばピュアなまでの風景として表しました。

戦闘機や靡く星条旗はもはや匿名的、ようはそれが横須賀であったり横田であることを感じさせません。


シリーズ「家」より(1968年6月22日)

そしてこの匿名性は、郊外で造成中の住宅地や建設中の道路を定点観測した「家」と「道」でも同様です。

住宅が徐々に建っていく様子、その変化は春夏秋冬、例えば雷光が炸裂し雪が降り積もるといった季節の移ろいを伝えながら、ひたすら淡々と何らかの幾何学模様のように捉えられています。


シリーズ「午後」より「横浜市保土ヶ谷区」(1972年)

この田村の視点は、もっと大きなスケールへと転化した「午後」や「湾岸」でもあまり変わることはないかもしれません。


シリーズ「湾岸」より「鶴見」(1992年)

国内の街角の日常的な風景も、またもっとダイナミックに、ベイブリッジや巨大なタンクを写した作品のいずれもが、言わば無国籍風、ようはどこか見知らぬ外国の景色のように切り取られています。

しかしながら興味深いのは、何気ない風景の中に潜む光の陰影の細やかなニュアンスです。

道端の縁石に差し込む光の陰影は柔らかく繊細です。またその鋭敏さと反面的に即物的感覚の同居する様は、例えれば石元泰博の作品のような美意識に通じはしないでしょうか。

またそうした田村の光の細微までを伺う姿勢は、100年前のビンテージレンズを用いた「赤陽」にも通じています。

古びた場末の家屋が柔らかな光で包まれている姿、その郷愁すら呼び覚ます刹那的な光こそ、タイトルにもある「夢の光」ではないかと思いました。


シリーズ「名もなき風景のために」から「座礁船 三重県津市」(1994年)

しかしながら何らかの事件性を帯びた地点を写した「名もなき風景のために」ではやや様相が異なります。


シリーズ「名もなき風景のために」から「陸前高田」(2011年)

ごく普通の砂浜へ突然闖入したタンカー、そして長閑かな田園地帯にそびえるオウムの施設、はたまたかの日常を奪った震災の爪痕を捉えた作品を前にすると、そこに非情なまでの美を感じるとともに、やはり何とも言い難い不条理や狂気、或いは暴力的なものが潜んでいるように思えてなりません。

ここに田村の言う「私は心の中の混乱と矛盾と暗黒のかなたの光明(夢の光)を探し続けている。」という言葉がずしりと響いてきました。光はまだ見果てぬ彼方にあるのかもしれません。

「夢の光―Light of Dreams―田村彰英写真集/日本カメラ社」

9月23日まで開催されています。ズバリおすすめします。

「田村彰英 夢の光」 東京都写真美術館
会期:7月21日(土)~9月23日(日)
休館:毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は開館し、翌火曜日休館。)
時間:10:00~18:00 *毎週木・金曜日は20時まで。(入館は閉館の30分前まで。)
料金:一般600円(480円)、学生500円(400円)、中高生・65歳以上400円(320円)
 *9月17日(月・祝)は65歳以上は無料。( )は20名以上団体。
住所:目黒区三田1-13-3 恵比寿ガーデンプレイス内
交通:JR線恵比寿駅東口改札より徒歩8分。東京メトロ日比谷線恵比寿駅より徒歩10分。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )