「原田直次郎展」 埼玉県立近代美術館

埼玉県立近代美術館
「原田直次郎展ー西洋画は益々奨励すべし」 
2/11~3/27



埼玉県立近代美術館で開催中の「原田直次郎展ー西洋画は益々奨励すべし」を見てきました。

幕末の江戸に生まれ、明治期、西洋画の普及に尽力するも、36歳の若さで世を去った原田直次郎(1863~1899)。彼は類い稀な画力と観察眼にて人の内面を描き続けた画家でもありました。

遺作展以来、何と100年ぶりの回顧展です。原田の絵画が全国各地より集結。加えて師弟、交流関係にあった画家らも参照しています。全てが原田の作品というわけではありません。

はじまりは前史です。父は兵学者。のちの貴族院議員です。オランダで兵学を研究しています。また兄も地質学者としてドイツへ渡りました。直次郎自身も子どもの頃からフランス語を学んでいたそうです。いわば開明的な名門の一家です。西洋文化と深く関わりながら育ちました。


原田直次郎「高橋由一像」 1893年 東京藝術大学

そして高橋由一に師事。本格的に西洋絵画を学びます。ミレーの「落穂拾い」を写したデッサンに目がとまりました。模写を見て描いたのか、後のパリ留学の際にオリジナルを見て描いたのかは定かではありませんが、伸びやかな線を重ねては人物の動きを捉えています。着衣の襞も細かい。巧みな筆遣いを見ることが出来ます。


ガブリエル・フォン・マックス「猿のいる自画像」 1910年 マンハイム ライス・エンゲルホルン博物館

留学したのは1884年。21歳の時でした。行き先はドイツのミュンヘンです。先に当地へ渡っていた兄が手立てします。そこで師となる画家、ガブリエル・フォン・マックスの門を叩きます。さらに当地のアカデミーにも参加。マックスのアトリエと行き来しながら絵を学びました。

この留学時代に残した肖像画からして凄まじい。例えば「老人像」です。胸に手を当てた老人の姿。やや斜め上を見据えています。半裸、白いひげを蓄えていました。筆触は力強く、油画特有の熱気すら感じられます。宗教画、ないし聖書の一場面をモチーフにしているのでしょうか。どこか信仰を表しているようにも見えました。

「神父」も神秘的です。同じく白いひげを垂らした老神父。左を向いています。肌に刻まれた深い皺は年季を語ります。左上から頭頂部にかけて白い光が差し込んでいました。光はひげに反射し、優しく神父を照らし出します。背景はかなり暗い。ドラマチックな陰影です。まるでバロック絵画のようでした。

チラシ表紙を飾る「靴屋の親爺」も留学時代の作品です。これぞ原田の稀な観察眼が結実したもの。傑作と呼んでも過言で差し支えありません。


原田直次郎「靴屋の親爺」 1886年 重要文化財 東京藝術大学

モデルは靴を作る職人でしょうか。服は薄汚れていて労働の痕跡を強く伺わせます。ボサボサの髪の毛にやや薄くなった頭の部分。60歳は過ぎているかもしれません。眉間には皺が寄り、ふとこちらを見やりながら、内なる怒りをも発露しているようにも見えます。何より力強いのが眼光です。見る者を見抜く目とはこのことでしょうか。堂々たる姿には威厳すら感じられます。モデルの内面と外面の双方をともに見事な画力で示した一枚。とても20代前半の作品とは思えません。

師のマックスの作品も展示されていました。彼は心霊術に傾倒し、神秘主義的な作風でも知られていました。うち目を引くのは「聖女マリア・テレーゼ・モールの死」でした。胸に十字架を持ち、白いドレスをまとっては永遠の眠りについた聖女。顔はすっかり土色をしています。オカルティズム的な要素も指摘されているそうです。


原田直次郎「風景」 1886年 岡山県立美術館

現存する最大の風景画も留学時代に描いています。その名も「風景」、避暑地での一コマです。木漏れ日の降り注ぐ戸外。小さな子どもが地面に寝そべっています。白い鳩が飛んできました。後ろには古びた建物があり、煙突から湯気か煙があがっています。食事の支度かもしれません。屋根には十字架の姿も垣間見えました。先の鳩しかり、必ずしも実景ではなく、いわば理想風景を表したとも言われています。


「原田直次郎(中央)、森鴎外(右)、岩佐新(左)」 ミュンヘンにて 1886年

ミュンヘンで森鴎外と知り合います。鴎外は医者になるために渡独。ちょうど同じ時期に来ていたそうです。鴎外は自作の小説、「うたかたの記」に登場する日本人画家のモデルとして直次郎を選びます。二人は生涯に渡って親交を深めました。

1887年、直次郎は約2年半ぶりに帰国。しかし彼を待っていたのは「洋画排斥運動の席巻する美術界」(キャプションより)でした。それでも彼は洋画を普及しようと展覧会を開催するなどして活動を続けます。

おそらく原田の中でも特に知られているのが「騎龍観音」ではないでしょうか。所蔵は護国寺。現在は東京国立近代美術館に寄託されている作品です。高さは2メートル70センチ超。かなり巨大です。龍に乗っては水瓶を持つ観音の姿が精緻な表現で描かれています。私も美術館でその威容を見上げては、いつもどこか不思議な様相に驚いたものでした。

MOMATの国指定重要文化財「原田直次郎 騎龍観音」@東京国立近代美術館

実際にも当時、主題や描法を巡って大変な議論を巻き起こしたそうです。ただ今回は残念ながらパネルでの出展。作品そのものはやって来ていません。ひょっとすると大き過ぎるゆえに会場に入らなかったのかもしれません。

このように原田は時に日本の歴史的な画題を洋画で表現しようと試みます。うち面白いのが「素盞嗚尊八岐大蛇退治画稿」です。文字通り素戔嗚が八岐大蛇を退治する光景が描かれていますが、奇妙なのは画面左下へ唐突に現れた犬です。なんとキャンバスを破ってこちらへ突き出したように描かれています。

だまし絵とは言えないかもしれませんが、ともかく画題と全く無縁の犬の表現。もはや奇妙です。何故に原田がこのように描いたのでしょうか。詳しくはわかっていません。


大下藤次郎「つり」 1895年 島根県立石見美術館

ラストは原田の開設した画塾、「鍾美館」での活動です。伊藤快彦、三宅克己、大下藤次郎らが集いました。彼らの作品もそれぞれ7~8点ほど紹介。大下藤次郎は油彩ではなく水彩です。長閑な田舎の風景が瑞々しい色使いで表されています。

絶筆も迫力がありました。「安藤信光像」です。やはり彼の真骨頂ともいうべき肖像画です。取り澄ました様子の老人の姿。深い皺が刻まれています。既に病床にあった原田の残した最後の一枚。筆は衰えていません。半ば冷静なまでにモデルの有り様を忠実に写し取っています。


原田直次郎「島津久光像」 1888年 尚古集成館

100年前の回顧展を企画したのは友人の鴎外です。彼は原田の没後10年にあたる1909年に作品を集め、遺作展を開催。カタログも編集したそうです。ただし会期は僅か1日限り。東京美術学校で行われました。


「特別付録 原田すごろく」 *実際に遊ぶことも出来ます。

以来1世紀越しの原田展。その意味では一期一会と呼んで良いと思います。書簡や写真などの資料も多数。作品の魅力だけでなく、画家の人生も浮かび上がるような展覧会でした。

「原田直次郎 西洋画は益々奨励すべし/青幻舎」

3月27日まで開催されています。

「原田直次郎展ー西洋画は益々奨励すべし」 埼玉県立近代美術館@momas_kouhou
会期:2月11日(木・祝)~3月27日(日)
休館:月曜日。但し3月21日は開館。
時間:10:00~17:30 入館は閉館の30分前まで。
料金:一般1100(880)円 、大高生880(710)円、中学生以下は無料。
 *( )内は20名以上の団体料金。
 *MOMASコレクションも観覧可。
住所:さいたま市浦和区常盤9-30-1
交通:JR線北浦和駅西口より徒歩5分。北浦和公園内。
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