都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「奥村土牛展」 山種美術館
山種美術館
「奥村土牛ー画業ひとすじ100年のあゆみ」
3/19~5/22
山種美術館で開催中の「奥村土牛ー画業ひとすじ100年のあゆみ」のプレスプレビューに参加してきました。
昭和を代表する日本画家、奥村土牛(1889~1990)。38歳にて院展に初入選。いわゆる遅咲きながらも、その後も旺盛に活動し、数多くの作品を世に送り出します。90歳を超えてもなお絵筆を持ち続けました。
土牛のコレクションで他の追随を許さないのが山種美術館です。所蔵作品は135点。うち院展関連の出展作品は35点。日本最大級であることは間違いありません。
切っ掛けは山種美術館の初代館長である山崎種二です。種二は土牛が無名時代から作品を購入。「私は将来性のあると確信する人の絵しか買わない。」との言葉は土牛を大いに勇気づけます。以来、土牛は三代に渡って山崎家と親しく交流。結果的に多くの作品が山種美術館に収蔵されました。
前置きが長くなりました。同美術館では約6年ぶりの土牛展です。出品は70点超。大半が山種美術館のコレクションです。一部に個人やほかの美術館の所蔵作品も含みます。
奥村土牛「醍醐」 昭和47年 山種美術館
さてお花見の季節。掴みも桜、冒頭は「醍醐」でした。師の古径を慕って描いた一枚。80歳を超えてからの作品です。モチーフは醍醐三宝院前のしだれ桜です。後ろには白壁。うっすら黄色がかってもいます。そして中央には桜の大樹。たわわに花をつけています。溢れんばかりの桜色が目に染み入りました。さも桜のシャワーです。仄かに白く煌めいています。色は瑞々しい。これぞ土牛の魅力が詰まった一枚ではないでしょうか。
展示は基本的に時系列です。「醍醐」を除き、土牛の画業を時間に沿って見定めています。
奥村土牛「麻布南部坂」 大正14年 個人蔵
初期の珍しい作品がありました。「麻布南部坂」です。36歳、院展入選前のものです。坂の上から見た麻布の風景。教会の姿も望めます。そして電柱が立ち並んでいました。冬の景色でしょうか。木は葉を付けていません。一目で岸田劉生の「切通しの写生」を思い出しました。時期も同じ大正時代です。劉生の感化も指摘されています。なお本作は個人の所蔵。何でも16年ぶりの公開だそうです。
「胡瓜畑」 昭和2年 東京国立近代美術館
ほか院展初入選作の「胡瓜畑」もお目見え。茎の毛は細かい。土牛といえばたらし込みの名手でもありますが、初期を中心にしてかなり緻密な線を描いていることも分かります。
さらに「雨趣」や「枇杷と少女」もほぼ同時代の作です。後者では構図が個性的でした。とするのも少女を片隅に配置してトリミングしているのです。こうした初期の土牛も見どころの一つだと言えそうです。
50歳を過ぎた頃からますます盛んに制作を続けた土牛。ともかく対象を観察し、見据え、掴み取ろうとする姿勢は一貫して変わりません。
奥村土牛「雪の山」 昭和21年 山種美術館
色面を時に幾何学的に構成して風景を捉えるのも特徴です。例えば「雪の山」。斜めの稜線が色面を積み重ねています。また「茶室」や「門」も面白いのではないでしょうか。
奥村土牛「門」 昭和42年 山種美術館
「茶室」は京都大徳寺の一休宗純の庵を描いたもの。障子、柱、壁、畳、さらに窓の外の景色が、まるでパズルを合わせるようにピタリと収まっています。そして「門」は門の外から内、さらに壁の中の穴が奥へ奥へと連なります。構図の妙。まるで抽象画のようです。
姫路城「はの門」の前で写生する土牛(78歳)
門は姫路城の「はの門」がモデル。土牛は現地に赴いては丹念に写生を重ねて完成させています。その様子を伝える写真もパネルで紹介されていました。
ラストは晩年の展開です。「仕事も、やっと少しわかりかけてきたかと思ったら、八十路を越してしまった。」と語った土牛。80歳の「朝市の女」から98歳の時に描いた「山なみ」が展示されています。
奥村土牛「朝市の女」 昭和44年 山種美術館 *右、素描
「朝市の女」は本画と素描が隣り合わせです。能登を旅行した土牛。当地の朝市で見かけた売り子を描こうと考えました。魚の前でどこか取り澄ましたように座る女性。笠をかぶり、顎を少し引きます。やや緊張した面持ちです。白いシャツの質感も瑞々しい。そしてとかく写生を愛した土牛のことです。なんと現地だけでは飽き足らず、衣装と笠を購入して持ち帰り、自宅で子の妻に着せてはさらに写生を重ねました。また魚も改めて築地で購入したもの。絵を描くことに対して常に貪欲な姿勢を見せています。
奥村土牛「兎」 昭和22年頃 山種美術館
最後に私が最も好きな土牛の作品を一点挙げたいと思います。それが58歳の時の「兎」です。紅色の芥子を前にちょこんと座る黒兎。耳をピンと立てています。何かを待っているのでしょうか。ぼんやりと彼方を見据えています。澄んだ瞳も麗しい。これほど美しく、品があり、また可愛らしい兎を見たことがありません。
本作は今回の展示にあわせて修復を行いました。絵の裏に出来た染みなどを除去。顔料の亀裂などを戻したそうです。
奥村土牛「鳴門」 昭和34年 山種美術館
かつて三番町時代の山種美術館を初めて訪れ、当時ともに全く知らなかった速水御舟と並んで好きな画家になったことを思い出しました。ほか「鳴門」や「那智」といった有名作も出品されています。久々に土牛の魅力に接することができました。
会期中、5~6点の作品に展示替えがあります。5月22日まで開催されています。
「奥村土牛ー画業ひとすじ100年のあゆみ」 山種美術館(@yamatanemuseum)
会期:3月19日(土)~5月22日(日)
休館:月曜日。但し3/21、5/2は開館、3/22は休館。
時間:10:00~17:00 *入館は16時半まで。
料金:一般1200(1000)円、大・高生900(800)円、中学生以下無料。
*( )内は20名以上の団体料金。
*きもの割引:きもので来館すると団体割引料金を適用。
住所:渋谷区広尾3-12-36
交通:JR恵比寿駅西口・東京メトロ日比谷線恵比寿駅2番出口より徒歩約10分。恵比寿駅前より都バス学06番「日赤医療センター前」行きに乗車、「広尾高校前」下車。
注)写真は報道内覧会時に主催者の許可を得て撮影したものです。
「奥村土牛ー画業ひとすじ100年のあゆみ」
3/19~5/22
山種美術館で開催中の「奥村土牛ー画業ひとすじ100年のあゆみ」のプレスプレビューに参加してきました。
昭和を代表する日本画家、奥村土牛(1889~1990)。38歳にて院展に初入選。いわゆる遅咲きながらも、その後も旺盛に活動し、数多くの作品を世に送り出します。90歳を超えてもなお絵筆を持ち続けました。
土牛のコレクションで他の追随を許さないのが山種美術館です。所蔵作品は135点。うち院展関連の出展作品は35点。日本最大級であることは間違いありません。
切っ掛けは山種美術館の初代館長である山崎種二です。種二は土牛が無名時代から作品を購入。「私は将来性のあると確信する人の絵しか買わない。」との言葉は土牛を大いに勇気づけます。以来、土牛は三代に渡って山崎家と親しく交流。結果的に多くの作品が山種美術館に収蔵されました。
前置きが長くなりました。同美術館では約6年ぶりの土牛展です。出品は70点超。大半が山種美術館のコレクションです。一部に個人やほかの美術館の所蔵作品も含みます。
奥村土牛「醍醐」 昭和47年 山種美術館
さてお花見の季節。掴みも桜、冒頭は「醍醐」でした。師の古径を慕って描いた一枚。80歳を超えてからの作品です。モチーフは醍醐三宝院前のしだれ桜です。後ろには白壁。うっすら黄色がかってもいます。そして中央には桜の大樹。たわわに花をつけています。溢れんばかりの桜色が目に染み入りました。さも桜のシャワーです。仄かに白く煌めいています。色は瑞々しい。これぞ土牛の魅力が詰まった一枚ではないでしょうか。
展示は基本的に時系列です。「醍醐」を除き、土牛の画業を時間に沿って見定めています。
奥村土牛「麻布南部坂」 大正14年 個人蔵
初期の珍しい作品がありました。「麻布南部坂」です。36歳、院展入選前のものです。坂の上から見た麻布の風景。教会の姿も望めます。そして電柱が立ち並んでいました。冬の景色でしょうか。木は葉を付けていません。一目で岸田劉生の「切通しの写生」を思い出しました。時期も同じ大正時代です。劉生の感化も指摘されています。なお本作は個人の所蔵。何でも16年ぶりの公開だそうです。
「胡瓜畑」 昭和2年 東京国立近代美術館
ほか院展初入選作の「胡瓜畑」もお目見え。茎の毛は細かい。土牛といえばたらし込みの名手でもありますが、初期を中心にしてかなり緻密な線を描いていることも分かります。
さらに「雨趣」や「枇杷と少女」もほぼ同時代の作です。後者では構図が個性的でした。とするのも少女を片隅に配置してトリミングしているのです。こうした初期の土牛も見どころの一つだと言えそうです。
50歳を過ぎた頃からますます盛んに制作を続けた土牛。ともかく対象を観察し、見据え、掴み取ろうとする姿勢は一貫して変わりません。
奥村土牛「雪の山」 昭和21年 山種美術館
色面を時に幾何学的に構成して風景を捉えるのも特徴です。例えば「雪の山」。斜めの稜線が色面を積み重ねています。また「茶室」や「門」も面白いのではないでしょうか。
奥村土牛「門」 昭和42年 山種美術館
「茶室」は京都大徳寺の一休宗純の庵を描いたもの。障子、柱、壁、畳、さらに窓の外の景色が、まるでパズルを合わせるようにピタリと収まっています。そして「門」は門の外から内、さらに壁の中の穴が奥へ奥へと連なります。構図の妙。まるで抽象画のようです。
姫路城「はの門」の前で写生する土牛(78歳)
門は姫路城の「はの門」がモデル。土牛は現地に赴いては丹念に写生を重ねて完成させています。その様子を伝える写真もパネルで紹介されていました。
ラストは晩年の展開です。「仕事も、やっと少しわかりかけてきたかと思ったら、八十路を越してしまった。」と語った土牛。80歳の「朝市の女」から98歳の時に描いた「山なみ」が展示されています。
奥村土牛「朝市の女」 昭和44年 山種美術館 *右、素描
「朝市の女」は本画と素描が隣り合わせです。能登を旅行した土牛。当地の朝市で見かけた売り子を描こうと考えました。魚の前でどこか取り澄ましたように座る女性。笠をかぶり、顎を少し引きます。やや緊張した面持ちです。白いシャツの質感も瑞々しい。そしてとかく写生を愛した土牛のことです。なんと現地だけでは飽き足らず、衣装と笠を購入して持ち帰り、自宅で子の妻に着せてはさらに写生を重ねました。また魚も改めて築地で購入したもの。絵を描くことに対して常に貪欲な姿勢を見せています。
奥村土牛「兎」 昭和22年頃 山種美術館
最後に私が最も好きな土牛の作品を一点挙げたいと思います。それが58歳の時の「兎」です。紅色の芥子を前にちょこんと座る黒兎。耳をピンと立てています。何かを待っているのでしょうか。ぼんやりと彼方を見据えています。澄んだ瞳も麗しい。これほど美しく、品があり、また可愛らしい兎を見たことがありません。
本作は今回の展示にあわせて修復を行いました。絵の裏に出来た染みなどを除去。顔料の亀裂などを戻したそうです。
奥村土牛「鳴門」 昭和34年 山種美術館
かつて三番町時代の山種美術館を初めて訪れ、当時ともに全く知らなかった速水御舟と並んで好きな画家になったことを思い出しました。ほか「鳴門」や「那智」といった有名作も出品されています。久々に土牛の魅力に接することができました。
会期中、5~6点の作品に展示替えがあります。5月22日まで開催されています。
「奥村土牛ー画業ひとすじ100年のあゆみ」 山種美術館(@yamatanemuseum)
会期:3月19日(土)~5月22日(日)
休館:月曜日。但し3/21、5/2は開館、3/22は休館。
時間:10:00~17:00 *入館は16時半まで。
料金:一般1200(1000)円、大・高生900(800)円、中学生以下無料。
*( )内は20名以上の団体料金。
*きもの割引:きもので来館すると団体割引料金を適用。
住所:渋谷区広尾3-12-36
交通:JR恵比寿駅西口・東京メトロ日比谷線恵比寿駅2番出口より徒歩約10分。恵比寿駅前より都バス学06番「日赤医療センター前」行きに乗車、「広尾高校前」下車。
注)写真は報道内覧会時に主催者の許可を得て撮影したものです。
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