都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「ピエール・アレシンスキー展」 Bunkamura ザ・ミュージアム
Bunkamura ザ・ミュージアム
「ピエール・アレシンスキー展」
10/19~12/8

Bunkamura ザ・ミュージアムで開催中の「ピエール・アレシンスキー展」を見てきました。
90歳を過ぎても活動を続けるベルギーの現代美術家、ピエール・アレシンスキー(1927~)は、制作に際して日本の書道に大きなインスピレーションを受けたそうです。

ピエール・アレシンスキー「夜」 1952年 大原美術館
例えば「夜」です。画業初期、1952年の時の油彩画です。黒を背景に何やら線、あるいは文字らしき形がひしめきあっています。書と言われれば、確かにそうも受け取れるかもしれません。筆触は即興的なのか素早い。一方で視点を変えれば何やら古代の篆刻のようにも見えなくはありません。
アレシンスキーはこの年、パリの版画学校で日本の前衛書道誌を手に取って書と出会います。よほど強い印象を与えたのでしょう。雑誌を主宰していた書家の森田子龍と文通を始めました。
3年後の1955年には来日も果たします。多くの書家と交流を持った上、「日本の書」というドキュメンタリー映像も撮影しました。書の世界をより深く自らの世界に引きつけていきます。
少し時計を戻しましょう。アレシンスキーは元々、美術学校で本の装丁を学んでいました。1947年、20歳の時に画家のグループに参加。個展を開きます。翌年には「プリミティブで力強く、迫力のある作品を世に送り出した」(チラシより)という芸術家集団の「コブラ」に参画し、戦後ヨーロッパ美術界の中へ身を投じました。
冒頭は美学校時代の版画です。謎めいた有機物のようなモチーフが多数現れています。とはいえ、1950年の「太陽」は、一筆の線で太陽を象っているようにも思えなくはありません。オートマティスムにも感化されたのでしょうか。かなり早い段階からさも書のごとく自由に筆を動かすことを志向しています。
「コブラ」は数年で解散しますが、移り住んだパリで様々な芸術に触れることで、作風をさらに変化させていきます。「新聞雑報」はポロックとの関係を指摘される作品です。アレシンスキーは一時、キャンバスを床に置いて絵具を垂らして描いていましたが、ポロックのスタイルを踏襲したとも言われています。また「ある日トリノにて」にはアンソール風の髑髏が現れています。実際、アレシンスキーはアンソールのを踏まえることで、より表現主義的な傾向を強めていったそうです。
初渡米は1961年。作品に即興性を求めたのでしょう。この頃から乾きやすいアクリル絵具を使うようになります。彼にアクリルの使い方を教えたのは、ニューヨークに在住していた中国人画家、ウォレス・ティンでした。さらにアレシンスキーは仙厓の禅画にも大いに共感します。先の森田子龍の例を挙げるまでもなく、アレシンスキーの制作の根底には、東洋の芸術が深く関わっていたと言えるかもしれません。

ピエール・アレシンスキー「写真に対抗して」 1969年 ベルギーINGコレクション
コマ割りのようなフレームで囲った挿画が挿入されるのも面白いところです。「写真に対抗して」では下部にコマがあり、複数のモチーフが描かれています。上は血の如く赤い有機体のような何かが言わば爆発的に膨れ上がっていました。挿画部分は基本的に補足だそうです。具体的に明示されているわけではありませんが、作品に言わば重層性を与えています。

ピエール・アレシンスキー「至る所から」 1982年 ベルギー王立美術館
フレームといえば「至る所から」も同様でした。中央のフレームには目を伴った生き物がいます。周囲は色彩の渦。暴風雨の如く荒れています。フレーム内のモノクロームとは対比的です。それにしても色はもはや空間から溢れ出るように輝かしい。時にステンドグラスを見るかのような色彩もアレシンスキーの魅力と言えるかもしれません。

ピエール・アレシンスキー「ボキャブラリーI-VIII」 1986年 作家蔵
出品中最大なのが「ボキャブラリーI-VIII」。縦は3メートル近くはあるのではないでしょうか。もちろん横幅も広い。パネルが例のフレームで分割されています。ほぼ青と白一色です。色には統一感があります。火山、植物、あるいは生き物、またビルのような建物などのモチーフが描かれていました。世界の諸相を表しているのでしょうか。一時はグッゲンハイム美術館のエレベーターホールを飾っていたそうです。もはや壁画と言っても差し支えありません。
書ならぬ文字への関心は、支持体に文字の記された不要な紙類を採用するにまで至りました。コラージュです。「言葉でもあり、網目であり」は18世紀の手紙。その上にアレシンスキーが色をつけています。「氷の目」はグリーンランドの航空図です。航路を示す文字も記載されています。そこへ新たにモチーフを書き加えています。

ピエール・アレシンスキー「鉱物の横顔」 2015年 作家蔵
四角形のフレームが続くと思いきや、今度は一転、円が現れました。近作での取り組みです。キャンバス自体が円い。それこそ禅の円相の境地でしょうか。モチーフも循環していました。

ピエール・アレシンスキー「デルフトとその郊外」 2008年 作家蔵
出口にアレシンスキーの特集映像が放映されています。自身のインタビューをはじめ、半生、アトリエでの制作風景などが20分弱程度にまとめられています。鑑賞の参考となりました。

日本では初めての本格的な回顧展です。全てが親しみやすいとは言えません。しかしいわば洗練とは無縁の、原初的でかつ土着的で、激しくエネルギーの渦巻く奔放な作品は、確かに稀な個性があります。また一人、記憶に残る画家に出会えました。
12月8日まで開催されています。
「ピエール・アレシンスキー展」 Bunkamura ザ・ミュージアム(@Bunkamura_info)
会期:10月19日(水)~12月8日(木)
休館:10月24日(月)。
時間:10:00~19:00。
*毎週金・土は21時まで開館。
*入館は閉館の30分前まで。
料金:一般1400(1200)円、大学・高校生1000(800)円、中学・小学生700(500)円。
*( )内は20名以上の団体料金。要事前予約。
住所:渋谷区道玄坂2-24-1
交通:JR線渋谷駅ハチ公口より徒歩7分。東急東横線・東京メトロ銀座線・京王井の頭線渋谷駅より徒歩7分。東急田園都市線・東京メトロ半蔵門線・東京メトロ副都心線渋谷駅3a出口より徒歩5分。
「ピエール・アレシンスキー展」
10/19~12/8

Bunkamura ザ・ミュージアムで開催中の「ピエール・アレシンスキー展」を見てきました。
90歳を過ぎても活動を続けるベルギーの現代美術家、ピエール・アレシンスキー(1927~)は、制作に際して日本の書道に大きなインスピレーションを受けたそうです。

ピエール・アレシンスキー「夜」 1952年 大原美術館
例えば「夜」です。画業初期、1952年の時の油彩画です。黒を背景に何やら線、あるいは文字らしき形がひしめきあっています。書と言われれば、確かにそうも受け取れるかもしれません。筆触は即興的なのか素早い。一方で視点を変えれば何やら古代の篆刻のようにも見えなくはありません。
アレシンスキーはこの年、パリの版画学校で日本の前衛書道誌を手に取って書と出会います。よほど強い印象を与えたのでしょう。雑誌を主宰していた書家の森田子龍と文通を始めました。
3年後の1955年には来日も果たします。多くの書家と交流を持った上、「日本の書」というドキュメンタリー映像も撮影しました。書の世界をより深く自らの世界に引きつけていきます。
少し時計を戻しましょう。アレシンスキーは元々、美術学校で本の装丁を学んでいました。1947年、20歳の時に画家のグループに参加。個展を開きます。翌年には「プリミティブで力強く、迫力のある作品を世に送り出した」(チラシより)という芸術家集団の「コブラ」に参画し、戦後ヨーロッパ美術界の中へ身を投じました。
冒頭は美学校時代の版画です。謎めいた有機物のようなモチーフが多数現れています。とはいえ、1950年の「太陽」は、一筆の線で太陽を象っているようにも思えなくはありません。オートマティスムにも感化されたのでしょうか。かなり早い段階からさも書のごとく自由に筆を動かすことを志向しています。
「コブラ」は数年で解散しますが、移り住んだパリで様々な芸術に触れることで、作風をさらに変化させていきます。「新聞雑報」はポロックとの関係を指摘される作品です。アレシンスキーは一時、キャンバスを床に置いて絵具を垂らして描いていましたが、ポロックのスタイルを踏襲したとも言われています。また「ある日トリノにて」にはアンソール風の髑髏が現れています。実際、アレシンスキーはアンソールのを踏まえることで、より表現主義的な傾向を強めていったそうです。
初渡米は1961年。作品に即興性を求めたのでしょう。この頃から乾きやすいアクリル絵具を使うようになります。彼にアクリルの使い方を教えたのは、ニューヨークに在住していた中国人画家、ウォレス・ティンでした。さらにアレシンスキーは仙厓の禅画にも大いに共感します。先の森田子龍の例を挙げるまでもなく、アレシンスキーの制作の根底には、東洋の芸術が深く関わっていたと言えるかもしれません。

ピエール・アレシンスキー「写真に対抗して」 1969年 ベルギーINGコレクション
コマ割りのようなフレームで囲った挿画が挿入されるのも面白いところです。「写真に対抗して」では下部にコマがあり、複数のモチーフが描かれています。上は血の如く赤い有機体のような何かが言わば爆発的に膨れ上がっていました。挿画部分は基本的に補足だそうです。具体的に明示されているわけではありませんが、作品に言わば重層性を与えています。

ピエール・アレシンスキー「至る所から」 1982年 ベルギー王立美術館
フレームといえば「至る所から」も同様でした。中央のフレームには目を伴った生き物がいます。周囲は色彩の渦。暴風雨の如く荒れています。フレーム内のモノクロームとは対比的です。それにしても色はもはや空間から溢れ出るように輝かしい。時にステンドグラスを見るかのような色彩もアレシンスキーの魅力と言えるかもしれません。

ピエール・アレシンスキー「ボキャブラリーI-VIII」 1986年 作家蔵
出品中最大なのが「ボキャブラリーI-VIII」。縦は3メートル近くはあるのではないでしょうか。もちろん横幅も広い。パネルが例のフレームで分割されています。ほぼ青と白一色です。色には統一感があります。火山、植物、あるいは生き物、またビルのような建物などのモチーフが描かれていました。世界の諸相を表しているのでしょうか。一時はグッゲンハイム美術館のエレベーターホールを飾っていたそうです。もはや壁画と言っても差し支えありません。
書ならぬ文字への関心は、支持体に文字の記された不要な紙類を採用するにまで至りました。コラージュです。「言葉でもあり、網目であり」は18世紀の手紙。その上にアレシンスキーが色をつけています。「氷の目」はグリーンランドの航空図です。航路を示す文字も記載されています。そこへ新たにモチーフを書き加えています。

ピエール・アレシンスキー「鉱物の横顔」 2015年 作家蔵
四角形のフレームが続くと思いきや、今度は一転、円が現れました。近作での取り組みです。キャンバス自体が円い。それこそ禅の円相の境地でしょうか。モチーフも循環していました。

ピエール・アレシンスキー「デルフトとその郊外」 2008年 作家蔵
出口にアレシンスキーの特集映像が放映されています。自身のインタビューをはじめ、半生、アトリエでの制作風景などが20分弱程度にまとめられています。鑑賞の参考となりました。

日本では初めての本格的な回顧展です。全てが親しみやすいとは言えません。しかしいわば洗練とは無縁の、原初的でかつ土着的で、激しくエネルギーの渦巻く奔放な作品は、確かに稀な個性があります。また一人、記憶に残る画家に出会えました。
12月8日まで開催されています。
「ピエール・アレシンスキー展」 Bunkamura ザ・ミュージアム(@Bunkamura_info)
会期:10月19日(水)~12月8日(木)
休館:10月24日(月)。
時間:10:00~19:00。
*毎週金・土は21時まで開館。
*入館は閉館の30分前まで。
料金:一般1400(1200)円、大学・高校生1000(800)円、中学・小学生700(500)円。
*( )内は20名以上の団体料金。要事前予約。
住所:渋谷区道玄坂2-24-1
交通:JR線渋谷駅ハチ公口より徒歩7分。東急東横線・東京メトロ銀座線・京王井の頭線渋谷駅より徒歩7分。東急田園都市線・東京メトロ半蔵門線・東京メトロ副都心線渋谷駅3a出口より徒歩5分。
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