「クラーナハ展」 国立西洋美術館

国立西洋美術館
「クラーナハ展ー500年後の誘惑」 
2016/10/15~2017/1/15



国立西洋美術館で開催中の「クラーナハ展ー500年後の誘惑」のプレスプレビューに参加してきました。

ドイツ・ルネサンスを代表する画家のルカス・クラーナハ(1472〜1553)。これまでに国内でも単発的に作品が紹介されてきましたが、画業を俯瞰する回顧展が開かれたことは一度もありませんでした。

日本初のクラーナハ展です。絵画は40点。さらに版画が加わります。またクラーナハに刺激された近現代の美術家の作品も参照しています。


ルカス・クラーナハ(父)「ホロフェルネスの首を持つユディト」 1525/30年頃 ウィーン美術史美術館

タイトルにもある「誘惑」。チラシ表紙を飾る「ホロフェルネスの首を持つユディト」からして明らかでした。言うまでもなく剣を持つのがユディトです。剣は白い。正義を表します。両手で首を抱えています。彼がホロフェルネスです。既に息絶えて土色の顔をしています。口は半開きで目に光もありません。首の断片は生々しい。それこそ斬り立てなのでしょうか。赤い肉と白い骨が覗いています。

一方でユディトの顔色はやや赤い。僅かに興奮しているのかもしれません。目を細めて口をすぼめています。不敵な笑みに見えなくもありません。ブロンドの巻き毛は金の鉄線のように輝いていました。衣服の一部はサテンでしょうか。光沢感があります。まさに見る者を惑わすかのような妖しい魅力に満ちています。ホロフェルネスがやられたのも無理はありません。

なお「ホロフェルネスの首を持つユディト」は約3年間の修復を経ての初公開です。板の裂目の修復のほか、加筆や補彩の除去作業が行われました。


ルカス・クラーナハ(父)「ルクレティア」 1532年 ウィーン造形芸術アカデミー

「ルクレティア」はどうでしょうか。漆黒の闇を背景に浮かび上がる白い裸体。右手で短剣を持ち、胸を突いています。微かに血が滴り落ちていました。表情は明らかに苦しみ悶えています。身体を薄いヴェールで覆っていますが、殆ど透明で、本来の用途をなしていません。それゆえに裸体がより際立って見えます。官能的なまでの美しさをたたえていました。


ルカス・クラーナハ(父)「ヴィーナス」 1532年 シュテーデル美術館、フランクフルト

「ルクレティア」と対の「ヴィーナス」も妖し気です。やはり薄いヴェールが一枚。透明です。アクセサリーを身につけています。裸体は真珠のように白い。右手の指先がやや屈曲しています。笑みはどことなく挑戦的です。ヴィーナスと名付けられなければ、単に匿名の女性の裸を描いた作品にしか見えません。こうした裸体表現もクラーナハ画の魅力の一つと言えそうです。


ルカス・クラーナハ(父)「ザクセン選帝侯フリードリヒ賢明公」 1515年頃 コーブルク城美術コレクション

クラーナハが歴史の表舞台に現れたのは30歳。神聖ローマ帝国の中心であるウィーンでした。そこで人文主義者と交わり、画家として台頭します。1505年、ザクセン選帝侯フリードリヒ賢明公によって宮廷画家としてヴィンテンベルクに招かれました。


ルカス・クラーナハ(父)「聖カタリナの殉教」 1508/09年頃 ラーダイ改革派教会、ブダペスト

その頃の作品が「聖カタリナの殉教」です。もちろん主人公は聖カタリナ。しかし目を引くのは彼女を取り巻く情景描写です。空は裂け、隕石か雷が落ち、車輪は折れて曲がっています。もはや天変地異です。終末を迎えた世界のようにも見えなくありません。逃げ惑う人々は驚き慄き、混乱しています。凄まじい群像表現です。クラーナハはそれまでのドイツ絵画になかった鮮烈な絵画世界を作り上げました。


ルカス・クラーナハ(父)「夫婦の肖像(シュライニッツの夫婦?)」 1526年 ヴァイマール古典期財団

クラーナハが数多く制作し、最も得意としたのが肖像画でした。例えば「夫婦の肖像(シュライニッツの夫婦?)」です。モデルの記録こそありませんが、向き合う夫婦の姿は写実的と言えるのではないでしょうか。特に夫の顔面です。窪んだ目に高い鼻、そしてやや分厚い下唇をはじめ、こけた頬に細かな髭などが実に細かく描かれています。陰影は深い。彫像のような立体感さえあります。

習作ながらも真に迫るのが「フィリップ・フォン・ゾルムス=リッヒ伯の肖像習作」でした。モデルは一人の中年の男です。眉間には皺が重なり、口を強く閉じています。上目遣いで睨んでいます。怒っているのでしょうか。もはや解剖学的にまでにリアルです。対象を極めて克明に写し取っています。


レイラ・パズーキ「ルカス・クラーナハ(父)『正義の寓意』1537年による絵画コンペティション」 2011年 作家蔵

さて一方でクラーナハに絡む現代美術です。興味深いのレイラ・パズーキによる「ルカス・クラーナハ『正義の寓意』1537年による絵画コンペティション」でした。ご覧の通り、壁一面に並ぶのは「正義の寓意」。むろん複製画です。全部で95点。出来不出来に随分と差があります。作家が一人で描いたとは到底思えません。


ルカス・クラーナハ(父)「正義の寓意(ユスティティア)」 1537年 個人蔵

答えはワークショップでした。舞台は中国の深圳です。世界の複製画の約半数を生産する芸術村で行われました。100名の画家が参加。あえて個々の差異を強調するために7時間という制限時間が設けられました。そもそも「正義の寓意」には約100点のバリエーションがあります。クラーナハ自身も工房を運営し、分業体制で絵画を制作していました。レイラ・パズーキは絵画の複製や価値について問いかけているわけです。

ちなみに現代美術ではピカソ、デュシャン、それに川田喜久治や森村泰昌などの作品が登場します。クラーナハと現代美術。ともすると難しい組み合わせかもしれませんが、テーマ設定が明快だったこともあり、あまり違和感を覚えませんでした。500年後の現代もクラーナハの芸術は多方面に影響を与えているようです。


ルカス・クラーナハ(父)「メランコリー」 1533年(?) 個人蔵

会場のラストにいささか不思議な印象を与える作品がありました。「メランコリー」です。たくさんの裸の赤ん坊が手足を振り上げては踊っています。笛を吹き、太鼓を叩いている子もいました。右手には女性が一人。デューラーの「メランコリア」の擬人像を借りています。とはいえ、単に市井の若い女性のようにも思えなくはありません。何かに憂いているのでしょうか。ナイフで木を削っています。後方には黒い雲が迫り、たくさんの魔物たちが近づいています。魑魅魍魎としていて恐ろしい。ルターの占星術的発想の影響を受けているそうです。デューラーが憂鬱を芸術家の気質として表現したのに対し、クラーナハはあくまでも打ち払うべき脅威として描きました。

国内初のクラーナハ展。今回ほどのスケールで見られる機会は今後なかなか望めそうもありません。その意味では一期一会の展覧会と言えそうです。

「芸術新潮2016年11月号/クラーナハ特集/新潮社」

改めて11月3日の祝日に見てきましたが、場内は思いの外に空いていました。スムーズです。クラーナハ画の細部の精緻な描写もじっくり味わうことが出来ました。



2017年1月15日まで開催されています。東京展終了後は大阪の国立国際美術館へと巡回(2017/1/28〜4/16)します。

「クラーナハ展ー500年後の誘惑」@tbs_vienna2016) 国立西洋美術館
会期:2016年10月15日(土)~2017年1月15日(日)
休館:月曜日。但し1月2日は開館。年末年始(12月28日~1月1日)。
時間:9:30~17:30 
 *毎週金曜日は20時まで開館。
 *入館は閉館の30分前まで。
料金:一般1600(1400)円、大学生1200(1000)円、高校生800(600)円。中学生以下無料。
 *( )内は20名以上の団体料金。
住所:台東区上野公園7-7
交通:JR線上野駅公園口より徒歩1分。京成線京成上野駅下車徒歩7分。東京メトロ銀座線・日比谷線上野駅より徒歩8分。

注)写真は報道内覧会時に主催者の許可を得て撮影したものです。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )