「ヌード NUDE ―英国テート・コレクションより」 横浜美術館

横浜美術館
「ヌード NUDE ―英国テート・コレクションより」
3/24~6/24



横浜美術館で開催中の「ヌード NUDE ―英国テート・コレクションより」を見てきました。

西洋の芸術にとって、「永遠のテーマ」(解説より)でもあり続けたヌード。そのヌード表現に関した、絵画、彫刻、版画、写真、約130点が、ロンドンのテートギャラリーよりやって来ました。

19世紀のヴィクトリア朝時代からはじまりました。そもそも西洋では、文学や神話、聖書を題材とした作品、つまり歴史画に、裸体が多く登場していました。当時は、歴史画が、唯一、ヌードの描くことの出来るジャンルでもありました。


フレデリック・ロード・レイトン「プシュケの水浴」 1890年

フレデリック・レイトンは「プシュケの水浴」において、左手をたくし上げ、白いローブから裸を覗かせたギリシャ神話の女神を、神殿風の建物を背に描きました。白く透き通るかのような身体を見せていて、まさに当時の理想化されたヌードを表現しました。


ハーバート・ドレイパー「イカロス哀悼」 1898年

また、ラファエル前派のジョン・エヴァレット・ミレイは「ナイト・エラント(遍歴の騎士)」で、裸で樹木に縛られた女性と、救いのためにやって来た騎士の姿を表しました。甲冑に身をまとった騎士は、全裸の女性とあまりにも対比的で、長い剣を手にしながら、縄を切り取ろうとしていました。なお、制作当初、女性は騎士の方を向いていたものの、「エロティック」過ぎるとして批判を受け、顔を背けた今の姿に描き改められたそうです。社会のモラルとの葛藤の間に、ヌードが位置することもありました。


ピエール・ボナール「浴室」 1925年

19世紀後半になると、物語に由来しないヌードが登場しました。印象派のドガや、ナビ派のボナールは、「浴槽の女性」や「浴室」などにおいて、日常生活の中のヌードを表現しました。また、マティスやルノワールは、モデルの女性と深く関係しては、ヌードを描きました。


ヘンリー・ムーア「倒れる戦士」 1956–57年頃

ヌードが歴史的な文脈と切り離されると、身体そのものの造形に関心が集まりました。中でも目立つのは、ヘンリー・ムーアやジャコメッティによる彫刻で、ムーアは「倒れる兵士」にて、逆さになって反り返るように倒れる戦士をブロンズで象りました。また、キュビズムやドイツ表現主義では、時に人体は解体され、多様に変形したヌード像が生み出されました。


オーギュスト・ロダン「接吻」 1901-04年頃 *会場内、本作品のみ撮影が可能です。

チラシ表紙を飾った、オーギュスト・ロダンの「接吻」こそが、ハイライトと言えるかもしれません。高さ180センチにも及ぶ、大型の大理石像で、2人の男女が、他者の入る余地もないほど、一心不乱に抱き合っては、愛の喜びに耽っていました。男女の身体は極めて肉感的で、ごつごつとした男性の筋肉と、柔らかい女性のラインを巧みに表していました。その迫真性のゆえか、公開当時のイギリスでは、刺激的過ぎるとして、シーツをかけられたエピソードも残されています。


オーギュスト・ロダン「接吻」 1901-04年頃

「接吻」の周囲に、思わぬヌードがありました。それがデイヴィッド・ホックニーによる「C.P.カヴァフィスの14編の詩のための挿絵より」とした連作で、ベットで連れ添う2人の裸の男など、いずれも男性同士の愛をテーマにしていました。ともかく2人は親密で、迫力こそ「接吻」に及ばないないかもしれませんが、その愛の密度は、同様に強いものと言えるかもしれません。

このロダンを超えた付近から、俄然に面白くなるのも、展覧会の特徴ではないでしょうか。続くのは、1920年から1940年代にかけてヌードを牽引した、シュルレアリスムとレアリスムで、デルヴォーの「眠るヴィーナス」をはじめ、マン・レイの「ヌード」、そしてバルテュスの「長椅子の上の裸婦」や、スタンリー・スペンサーの「ふたりのヌードの肖像」が並んでいました。


ポール・デルヴォー「眠るヴィーナス」 1944年

デルヴォーの「眠るヴィーナス」は、神話を表したかのような世界を見せていて、月明かりの下、神殿に囲まれた空間の中を、仰向けに横たわり、また手を振り上げては、何かに祈るような仕草をした裸の女性が描かれていました。古代の祭祀の場面を思わせるものがありました。

また、スペンサーの「ふたりのヌードの肖像」は、やや老いた画家と妻の全裸を捉えていて、妻は股を開いては寝そべり、画家本人が見下ろすようにしゃがんでいました。皮膚の皺や肌の描写は、リアルでかつ濃密で、手前の羊の肉片も、実に生々しく表現されていました。


ルシアン・フロイド「布切れの側に佇む」 1988–89年

こうしたスペンサーの肉体の表現は、のちの芸術家にも何らかの影響を与えたかもしれません。1950年代以降、今度は「人体の物質性や内面性」(解説より)表した絵画が現れ、中でもルシアン・フロイドは「布切れの側に佇む」において、厚塗りの油彩にて、無数の布切れに囲まれた女性を描きました。肌のたるみなどを写し取った、絵具自体にも迫力があり、思わず熱気にのまれてしまうかのようでした。

ほかにも、デフォルメした人物を示したベーコンの2点、「横たわる人物」と「スフィンクス」、そして素早く、また揺らぐような筆触で女性を描いたクーニングの「訪問」、さらに僅かに女性らしき肉体こそ見えるものの、もはや抽象表現をも思わせるほどに激しいセシリー・ブラウンの「楽園の困難」なども、見応えがありました。事前の宣伝などにもよるのか、ともすると古典的なヌード絵画が多い展覧会のように思えるかもしれませんが、実際は20世紀の作品が相当のウエイトを占めていました。

ジェンダーや政治性も、大きなテーマと言えるかもしれません。シルヴィア・スレイは「横たわるポール・ロサノ」において、男性のヌードを俯瞰する視点で描き出しました。モデルは、画家と関係のあった男性で、赤いマットの上で、両手を振り上げ、全てを露わにしながら、実に艶やかで、色気のある視線を向けていました。まさしく官能的な作品と言えるかもしれません。

また、バークレー・L・ヘンドリックスは、黒人をモデルとした「ファミリー・ジュールス:NNN[ノー・ネイキッド・ニガー(裸の黒人は存在しない)」を制作しました。白いソファに裸で座るのは、煙管を手にした男性の黒人で、右足を立て、やや首をあげながら、何とも寛いだ姿を見せていました。ほかにはデュマスらも、人種や性をテーマとしていて、従来の固定的なヌードの観点を解体しようと試みていました。


シンディ・シャーマン「無題」 1982年

ラストは「儚き身体」と題したセクションで、1980年以降、ヌードを「儚く移ろいゆくもの」とした捉えた作品が展示されていました。中でも目を引いたのは、シンディ・シャーマンの「無題」の3点で、グラビア写真に着想を得て、赤いローブに包まれた自らの姿を、写真で捉えていました。どこか怪訝で、見る者を疑ぐるような視線が特徴的で、旧来の女性のヌード観を拒否するシャーマンの姿勢が現れているのかもしれません。

いわゆる名品選というよりも、ヌードの歴史の変遷、ないし現代の身体表現やジェンダーの問題も検証していて、かなり読ませる展覧会でもありました。そもそもこれほどのスケールでヌードを一覧すること自体、なかなか望むことは出来ません。その意味でも、一期一会の展覧会と言えそうです。

なお続く常設においても、ヌード展に関し、裸体を描いた作品が、一定数、まとめて出展されています。


下村観山「ナイト・エラント」 1904(明治37)年 横浜美術館

中でも興味深いのは、下村観山の「ナイト・エラント」で、ヌード展に出ていた、ジョン・エヴァレット・ミレイの同名の作品を模写していました。観山がイギリス留学中に描いたもので、元の油彩を水彩に写していました。併せ並んではいませんが、見比べるのも興味深いかもしれません。


小倉遊亀「良夜」 1957(昭和32)年

ほかにも小倉遊亀の「良夜」や、守屋多々志の「愛縛清浄」、それに松井冬子の「成灰の裂目」なども目を引くのではないでしょうか。日本では古くから裸体を描いた作品はあったものの、いわば裸体を美の理想とする思想はなく、あくまでも西洋の思想が輸入されたのち、「裸体画」とするジャンルが確立しました。


今週で会期末を迎えます。私は先週の日曜の午後に出向きましたが、特に混雑することなく、どの作品もスムーズに観覧することが出来ました。



6月24日まで開催されています。大変に遅れましたが、おすすめします。

「ヌード NUDE —英国テート・コレクションより」@nude2018) 横浜美術館@yokobi_tweet
会期:3月24日(土) ~6月24日(日)
休館:木曜日。5月7日(月)。但し5月3日(木・祝)は開館。
時間:10:00~18:00
 *5月11日(金)、6月8日(金)は20時半まで開館。
 *入館は閉館の30分前まで。
料金:一般1600(1500)円、大学・高校生1200(1100)円、中学生600(500)円。小学生以下無料。
 *( )内は20名以上の団体。要事前予約。
 *毎週土曜日は高校生以下無料。
 *当日に限り、横浜美術館コレクション展も観覧可。
住所:横浜市西区みなとみらい3-4-1
交通:みなとみらい線みなとみらい駅5番出口から徒歩5分。JR線、横浜市営地下鉄線桜木町駅より徒歩約10分。
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