「長谷川利行展 七色の東京」 府中市美術館

府中市美術館
「長谷川利行展 七色の東京」
5/19~7/8



府中市美術館で開催中の「長谷川利行展 七色の東京」を見てきました。

1891年に京都で生まれ、30歳にして上京し、二科展で評価されるも、定居がなく、簡易宿泊所などを転々とした画家、長谷川利行(1891〜1940)は、ほぼ一貫して東京の街や市井の人々の姿を描き続けました。

一例が「浅草停車場」で、たくさんの人で集う駅の構内を、素早く、うねるような筆触と、強い色彩で表していました。人々の姿は黒で描く一方、駅の中は、白、ないしグレーを基調としていて、柱や電灯には朱や緑などの多様な色彩が見られました。

「酒売場」は、同じく浅草の神谷バーの店内が舞台で、大勢の人々が酒を飲む光景を描いていました。天井は高く、階段などは赤い線で象られていて、特に柱の太く重ねた黒い線が目を引きました。店内には多数の色が混じっていて、人々の表情をはっきりと伺うことはできませんが、勢いのある筆や激しい色彩は、まるで酒場の喧騒を伝えているかのようでした。


「カフェ・パウリスタ」 1928年 東京国立近代美術館

ほぼ独学で絵をはじめた長谷川は、上京後、関東大震災に遭い、焼け跡をさまよいました。一時、京都へ戻るものの、数年して再び上京し、日暮里へ移りました。そして、多くの労働者の集う下町を絵に描き留め、靉光や麻生三郎とも交流し、二科展では樗牛賞を受賞しました。しかし、生活は荒れていて、毎夜に酒場やカフェに入り浸っては、酒を飲む日々が続きました。


「夏の遊園地」 1928年 個人蔵

「夏の遊園地」が魅惑的でした。舞台は荒川遊園地で、電柱や樹木の立ち並ぶ中、遊園地ののぼり旗がはためいていました。青く白い雲に覆われた空は明るく、建物の朱や茶色、樹木の緑、それに地面のオレンジや青などが、まさに七色に輝いていました。速描きの長谷川は、多くの作品を現場で制作していて、完成品を売り歩いては、宿代や飯代、それに酒代に替えていました。


「針金の上の少女」 1928年 個人蔵

人物も重要なモチーフでした。「針金の上の少女」は、浅草六区や三河島にあったサーカス小屋の少女をモデルとしていて、得意げに両手でポーズをとる姿を、ダイナミックに描いていました。絵具は厚く、まるでチューブから直接ひねり出したかのようでした。

「岸田国士像」は、二科展で好評を得た作品で、黒いスーツに身を包み、肩を落としては、何やら怪訝そうな表情で前を見据える岸田国士の姿を、やはり厚い絵具で表現していました。長谷川は、美術評論家である矢野文夫の紹介により、岸田の肖像を制作しました。しかし、何かと金をせびる長谷川に、岸田は辟易していて、ほかの仲間にも、絵を押し売りするような行為をしていたそうです。ただ一方で、誰にも好かれる性格だったとする証言も残されています。

その矢野文夫を描いた肖像も出展されていました。青を基調とした色彩の中、白い顔をした矢野の半身が朧げに浮かび上がっていて、人物と地の部分が半ば溶け合うような不思議な感触を見せていました。

近年に再発見された作品に目がとまりました。それが「水泳場」で、震災の復興事業として、隅田公園内に作られたプールで遊ぶ人の姿を描いていました。中央がプールで、右上のジャンプ台から飛び込む人の様子を、大勢の人々が見届けていました。プールの水は緑色を帯びていて、青い空にも緑が混じり、筆触しかり、自由な色彩感覚も伺えました。


「伊豆大島」 1937年 愛知県美術館(木村定三コレクション)

長谷川の理解者の1人に、画商の天城俊彦がいました。天城は新宿に画廊を構え、2年間の間に14回もの長谷川の個展を開催しました。さらに1937年には新宿の木賃宿へ引っ越させ、絵を描かせるなどして、長谷川の制作をサポートしました。また長谷川は、この年に先の矢野文夫と大島へ旅行に出かけ、島の風景を描きました。確かに孤高の画家と言われていますが、当然ながら全て一人で活動していたわけではありませんでした。

風景は「残像」(解説より)とも指摘されるように、いずれも捉え難く、色彩や線にのまれ、いつしか消えていくかのような錯覚に囚われるかもしれません。その意味では、まるで夢の中を覗き込むかのようでもあり、どこか刹那的でもありました。


「白い背景の人物」 1937年 個人蔵

「白い背景の人物」は、もはや幻夢的と言えるのではないでしょうか。人物とあるように、5人の人影の頭部こそ見えるものの、あとは全て白や水色の地に線が揺れるのみで、一体、何が描かれているのか判然としません。長谷川を「全く独特な線描の持ち主」(解説より)と評する言葉もあるそうですが、その最たる作品と呼べそうです。なお本作は展覧会の準備中に発見されました。

「美術の窓2018年4月号/長谷川利行/生活の友社」

結果的に胃を患っていた長谷川は、1940年に路上で倒れ、その後、誰の看取りもなく、東京市養育院で亡くなりました。時に49歳のことでした。またスケッチなどの所持品も焼却されてしまいました。


「ノアノアの少女」 1937年 愛知県美術館(木村定三コレクション)

一見、荒々しい作品ながも、独特な哀愁も感じられ、女性などを描いた人物画からは、どこか画家のモデルに対する人懐っこい視点も思えなくはありません。風景と人物を通して、昭和初期の揺れ動く東京の息吹が、ひしひしと伝わってきました。



最後に展示替えの情報です。会期中、一部の作品が入れ替わります。

[長谷川利行展 七色の東京](出展リスト
前期:5月19日(土)〜6月10日(日)
後期:6月12日(火)〜7月8日(日)

出品は計140点超にも及び、代表作はもちろん、小品やガラス絵なども網羅していて、不足はありませんでした。実に18年ぶりの大規模な回顧展でもあります。

[長谷川利行展 巡回スケジュール]
碧南市藤井達吉現代美術館:7月21日(土)~9月9日(日)
久留米市美術館:9月22日(土)~11月4日(日)
足利市立美術館:11月13日(火)~12月24日(月・祝)



7月8日まで開催されています。おすすめします。

「長谷川利行展 七色の東京」 府中市美術館
会期:5月19日(土)~7月8日(日)
休館:月曜日。
時間:10:00~17:00
 *入館は閉館の30分前まで
料金:一般900(720)円、大学・高校生450(360)円、中学・小学生200(160)円。
 *( )内は20名以上の団体料金。
 *府中市内の小中学生は「学びのパスポート」で無料。
場所:府中市浅間町1-3 都立府中の森公園内
交通:京王線東府中駅から徒歩15分。京王線府中駅からちゅうバス(多磨町行き)「府中市美術館」下車。
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