都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「野見山暁治展」 ブリヂストン美術館
ブリヂストン美術館
「野見山暁治展」
10/28-12/25
ブリヂストン美術館で開催中の「野見山暁治展」へ行ってきました。
昨年90歳を迎え、ますます旺盛に制作を続ける画家、野見山暁治ですが、その『今』も知ることの出来る個展がブリヂストン美術館ではじまりました。
野見山の個展というと2003年に東京国立近代美術館に行われた展覧会をご記憶の方も多いかもしれません。実は私もその展示で衝撃的なほどに感銘を受け、それこそ私が美術に関心を持つ切っ掛けの一つにもなりましたが、今回もあの時に得た感動を再び味わうことが出来ました。
構成は以下の通りです。
第1章 不安から覚醒へ 戦前から戦後にかけて
第2章 形をつかむ 滞欧時代
第3章 自然の本質を突きつめる 90年代まで
第4章 響きあう色彩 新作をめぐって
野見山の画業を時系列で追うとともに、その時代毎における制作の特質を明らかにする内容となっていました。
1920年、大正9年に福岡県の飯塚市(当時、穂波村)の農業と炭鉱業を営む一家に生まれた野見山は、17歳の時に上京、東京美術学校へと入学し、かの藤島武二らの教えを受けます。
しかしながら野見山はそうしたアカデミックな教育に馴染めず、佐伯祐三や萬鉄五郎に傾倒、次第にフォーヴィズムに関心を寄せるようになりました。
この頃から野見山は「制作とは自身の感情をキャンバスに叩き付けること。」だと考えていたそうです。また第二次世界大戦において空襲で一変した街を前にした野見山は、幼い頃に見た炭鉱の記憶とこの戦争の体験をキャンバスへとぶつけていきます。
今の画風からは想像もつかない暗鬱でかつ重々しい色彩、そして形態は、野見山の原点と言えるのかもしれません。
しかしながら野見山は洋画家の今西中通と出会うことで一つの転機を迎えます。互いの絵を批評し合うなどして交友関係を築いた野見山は、今西が紹介したセザンヌの絵画を敬愛するようになりました。
全てを失った戦争を経て、制作においても虚脱感に襲われていた野見山は、セザンヌの絵画の強い構築性にひかれていきます。また野見山はエル・グレコにもシンパシーを感じはじめました。
グレコの「トレド風景」の中に『情念のキュビズム』を見出した野見山は、そこに自身の原点である炭鉱と共通することを見出し、さらに再生の拠り所を求めていきました。
そして野見山は本格的に西洋絵画を学ぶべく、1952年にフランスへと渡ります。そこで彼が見たのは驚くべきほどに鮮やかな色彩の世界です。当然、彼の地での生活は野見山の画風にも大きな変化を与えます。それは渡仏から一年後、日本から持って来た絵具がまったく使い物になかったほどでした。
渡仏3年目、ようやくこれからという時に試練がやってきます。妻の陽子の急逝です。野見山はその悲しみから一時、絵筆を握ることが出来なくなりますが、それを救ったのがパリ郊外のライ・レ・ローズの自然でした。
右、「風景(ライ・レ・ローズ)」 1960年
ちょうどアトリエから見えるライ・レ・ローズ丘陵を描き続けた彼は、そこで西洋的な造形感覚や重量感を学ぶとともに、景色の中に様々な幻影、例えば岩の表面に写る人の姿などを見い出し、それを絵画上に表現していくようになります。
またパリのギメ美術館で中国の山水画の写真を見た野見山は、そこに西洋画にはない影、そして深遠さがあることを発見します。
ここも野見山の大きな転換期です。目に見える景色だけでなく、その奥にある深淵なものを取り出そうとした野見山は、絵画表現において大きな変化を遂げていきます。いわゆる具象的なものは泡の如く消え去り、何とも言い難い幻想のオーラをわき出すかのような、抽象性の高い三次元的な空間を描き始めるようになりました。
次第に西洋の真似をしても仕方がないと考えるようになった野見山は、約12年にも及ぶ渡欧生活を終え、1964年に帰国します。当初、野見山は日本での生活が馴染めず、またスランプに陥ってしまいますが、日本各地の自然、例えば蔵王や九州の山々の景色を描くうちに、再び精力的にキャンバスへと向かうようになりました。
ライ・レ・ローズでも見い出した自然の向こうにある幻影は、日本においても野見山の表現の重要な要素と言えるのかもしれません。
1970年代初頭に練馬にアトリエを構えた野見山は、風景だけでなく、例えば枯葉や水筒や衣装など、身近なものを頻繁にデッサンしはじめます。そして彼はその中にも幻を見出し、物の上に人間の顔や風景を重ね合わせていきました。
アトリエを唐津湾に面した岬へと移した野見山は、かつてライ・レ・ローズで丘を描いたのと同様、ひたすらに海と空をを描き続けます。この頃の作品はまさに自由奔放です。底抜けの空色を踊るように跳ねる大胆なタッチに魅了される方も多いかもしれません。
しかしながら一見、海や空といった景色であっても、やはりその奥にある何かを探ろうとする姿勢は変わりません。アトリエが台風に襲われ、その風によってバルコニーに置かれていた大きな瓶が宙を舞って割れたのを見た時、そこへ野見山は『デーモン』の気配を察しました。
そんな野見山は何とアトリエの階段にまで物の怪の気配を見出します。眼に見えているものはつかの間の現象に過ぎないと考えていた彼は、以降も現象の向こうにあるものをひたすらに探し求めていきます。「魔性をはらんでいるものは美しい。」という野見山の言葉こそ、彼の作品を受け止める上での大きなヒントになるかもしれません。
さて東近美の巡回展から8年ほど経ちましたが、今回はその回顧展以降の近作を楽しめるのも重要なところです。常に次を意識して、新たな境地を切り開く野見山の作風は2000年代に入ってからも立ち止まることがありません。
色彩はより大胆に、またタッチはそれ自体がエネルギーを持っているかのような自由な動きを獲得していきます。
右、「いつかは会える」 2007年
近年の代表作、東京メトロ副都心線の明治神宮前駅に掲げられたステンドグラス原画、「いつかは会える」(2007年)からも目が離せません。なおここで野見山はステンドグラスの生む色彩と光、とりわけワインレッドに魅了され、透き通った朱色が空を駆ける「かげがえのない空」(2011年)を生み出しました。
左、「かけがえのない空」 2011年 *初公開作品
こうした色はこれまでの作品にはあまり見られません。今もなお、新たな表現へ果敢に取り組む野見山のスタンスを知ることの出来る作品でした。
東日本大震災の被災地を歩き、そこからついこの前の8月に一定の完成となった最新作も登場しています。色に形がぶつかり合う混沌とした空間からはどこか激しいうなり声が聞こえてはこないでしょうか。胸を抉られるような感覚を受けました。
なお観覧時、美術館の方の立ち会いのもと、野見山暁治氏本人のお話を伺うことが出来ました。
私が初めて野見山の作品に接した時、その絵画平面から立ち上がってくる何か不思議なものに包まれたかのような錯覚にとらわれたことがあります。それこそまさに野見山氏本人のいわれる、景色や事物にもとらわれない自由なイメージの幻想の現れではないかと思いました。
東日本大震災を踏まえて描かれた新作と野見山暁治
さてとても気さくにお答え下さった野見山氏ですが、ご本人のアーティストトークが明日の11月12日(土)、ブリヂストン美術館にて開催されます。
アーティスト・トーク「野見山暁治をもっと知る」
日 時:2011年11月12日(土) 14:00~16:00
聴講料:400円
定員:130名(先着順)
会場:ブリヂストン美術館1階ホール
開場:13:00
*野見山暁治先生への質問を受け付けます。 ホール入口に設置した質問箱に13:50までに入れて下さい。
直接、こちらからの事前の質問に応えて下さるまたとないチャンスです。お時間のある方は是非参加されてはいかがでしょうか。なお野見山氏によると変わった質問がお好きだそうです。
また野見山本人のデザインによる展覧会グッズについては別のエントリにまとめてあります。可愛らしいピンバッジは一推しです。
野見山暁治展ミュージアムグッズ
なお11月中に求龍堂より野見山暁治画文集が発売されます。ブリヂストン美術館ショップで先行発売される予定です。
そもそも今回の展示は1958年、安井賞を受賞した野見山がブリヂストン美術館で個展を行った縁もあって開催されました。とするとブリヂストン美術館では約50年ぶりの個展となります。まさに一期一会ではないでしょうか。
12月25日まで開催されています。もちろんおすすめします。
「野見山暁治展」 ブリヂストン美術館
会期:10月28日(金)~12月25日(日)
休館:月曜日(祝日の場合は翌日)
時間:10:00~18:00
住所:中央区京橋1-10-1
交通:JR線東京駅八重洲中央口より徒歩5分。東京メトロ銀座線京橋駅6番出口から徒歩5分。東京メトロ銀座線・東京メトロ東西線・都営浅草線日本橋駅B1出口から徒歩5分。
注)写真の撮影と掲載は主催者の許可を得ています。
「野見山暁治展」
10/28-12/25
ブリヂストン美術館で開催中の「野見山暁治展」へ行ってきました。
昨年90歳を迎え、ますます旺盛に制作を続ける画家、野見山暁治ですが、その『今』も知ることの出来る個展がブリヂストン美術館ではじまりました。
野見山の個展というと2003年に東京国立近代美術館に行われた展覧会をご記憶の方も多いかもしれません。実は私もその展示で衝撃的なほどに感銘を受け、それこそ私が美術に関心を持つ切っ掛けの一つにもなりましたが、今回もあの時に得た感動を再び味わうことが出来ました。
構成は以下の通りです。
第1章 不安から覚醒へ 戦前から戦後にかけて
第2章 形をつかむ 滞欧時代
第3章 自然の本質を突きつめる 90年代まで
第4章 響きあう色彩 新作をめぐって
野見山の画業を時系列で追うとともに、その時代毎における制作の特質を明らかにする内容となっていました。
1920年、大正9年に福岡県の飯塚市(当時、穂波村)の農業と炭鉱業を営む一家に生まれた野見山は、17歳の時に上京、東京美術学校へと入学し、かの藤島武二らの教えを受けます。
しかしながら野見山はそうしたアカデミックな教育に馴染めず、佐伯祐三や萬鉄五郎に傾倒、次第にフォーヴィズムに関心を寄せるようになりました。
この頃から野見山は「制作とは自身の感情をキャンバスに叩き付けること。」だと考えていたそうです。また第二次世界大戦において空襲で一変した街を前にした野見山は、幼い頃に見た炭鉱の記憶とこの戦争の体験をキャンバスへとぶつけていきます。
今の画風からは想像もつかない暗鬱でかつ重々しい色彩、そして形態は、野見山の原点と言えるのかもしれません。
しかしながら野見山は洋画家の今西中通と出会うことで一つの転機を迎えます。互いの絵を批評し合うなどして交友関係を築いた野見山は、今西が紹介したセザンヌの絵画を敬愛するようになりました。
全てを失った戦争を経て、制作においても虚脱感に襲われていた野見山は、セザンヌの絵画の強い構築性にひかれていきます。また野見山はエル・グレコにもシンパシーを感じはじめました。
グレコの「トレド風景」の中に『情念のキュビズム』を見出した野見山は、そこに自身の原点である炭鉱と共通することを見出し、さらに再生の拠り所を求めていきました。
そして野見山は本格的に西洋絵画を学ぶべく、1952年にフランスへと渡ります。そこで彼が見たのは驚くべきほどに鮮やかな色彩の世界です。当然、彼の地での生活は野見山の画風にも大きな変化を与えます。それは渡仏から一年後、日本から持って来た絵具がまったく使い物になかったほどでした。
渡仏3年目、ようやくこれからという時に試練がやってきます。妻の陽子の急逝です。野見山はその悲しみから一時、絵筆を握ることが出来なくなりますが、それを救ったのがパリ郊外のライ・レ・ローズの自然でした。
右、「風景(ライ・レ・ローズ)」 1960年
ちょうどアトリエから見えるライ・レ・ローズ丘陵を描き続けた彼は、そこで西洋的な造形感覚や重量感を学ぶとともに、景色の中に様々な幻影、例えば岩の表面に写る人の姿などを見い出し、それを絵画上に表現していくようになります。
またパリのギメ美術館で中国の山水画の写真を見た野見山は、そこに西洋画にはない影、そして深遠さがあることを発見します。
ここも野見山の大きな転換期です。目に見える景色だけでなく、その奥にある深淵なものを取り出そうとした野見山は、絵画表現において大きな変化を遂げていきます。いわゆる具象的なものは泡の如く消え去り、何とも言い難い幻想のオーラをわき出すかのような、抽象性の高い三次元的な空間を描き始めるようになりました。
次第に西洋の真似をしても仕方がないと考えるようになった野見山は、約12年にも及ぶ渡欧生活を終え、1964年に帰国します。当初、野見山は日本での生活が馴染めず、またスランプに陥ってしまいますが、日本各地の自然、例えば蔵王や九州の山々の景色を描くうちに、再び精力的にキャンバスへと向かうようになりました。
ライ・レ・ローズでも見い出した自然の向こうにある幻影は、日本においても野見山の表現の重要な要素と言えるのかもしれません。
1970年代初頭に練馬にアトリエを構えた野見山は、風景だけでなく、例えば枯葉や水筒や衣装など、身近なものを頻繁にデッサンしはじめます。そして彼はその中にも幻を見出し、物の上に人間の顔や風景を重ね合わせていきました。
アトリエを唐津湾に面した岬へと移した野見山は、かつてライ・レ・ローズで丘を描いたのと同様、ひたすらに海と空をを描き続けます。この頃の作品はまさに自由奔放です。底抜けの空色を踊るように跳ねる大胆なタッチに魅了される方も多いかもしれません。
しかしながら一見、海や空といった景色であっても、やはりその奥にある何かを探ろうとする姿勢は変わりません。アトリエが台風に襲われ、その風によってバルコニーに置かれていた大きな瓶が宙を舞って割れたのを見た時、そこへ野見山は『デーモン』の気配を察しました。
そんな野見山は何とアトリエの階段にまで物の怪の気配を見出します。眼に見えているものはつかの間の現象に過ぎないと考えていた彼は、以降も現象の向こうにあるものをひたすらに探し求めていきます。「魔性をはらんでいるものは美しい。」という野見山の言葉こそ、彼の作品を受け止める上での大きなヒントになるかもしれません。
さて東近美の巡回展から8年ほど経ちましたが、今回はその回顧展以降の近作を楽しめるのも重要なところです。常に次を意識して、新たな境地を切り開く野見山の作風は2000年代に入ってからも立ち止まることがありません。
色彩はより大胆に、またタッチはそれ自体がエネルギーを持っているかのような自由な動きを獲得していきます。
右、「いつかは会える」 2007年
近年の代表作、東京メトロ副都心線の明治神宮前駅に掲げられたステンドグラス原画、「いつかは会える」(2007年)からも目が離せません。なおここで野見山はステンドグラスの生む色彩と光、とりわけワインレッドに魅了され、透き通った朱色が空を駆ける「かげがえのない空」(2011年)を生み出しました。
左、「かけがえのない空」 2011年 *初公開作品
こうした色はこれまでの作品にはあまり見られません。今もなお、新たな表現へ果敢に取り組む野見山のスタンスを知ることの出来る作品でした。
東日本大震災の被災地を歩き、そこからついこの前の8月に一定の完成となった最新作も登場しています。色に形がぶつかり合う混沌とした空間からはどこか激しいうなり声が聞こえてはこないでしょうか。胸を抉られるような感覚を受けました。
なお観覧時、美術館の方の立ち会いのもと、野見山暁治氏本人のお話を伺うことが出来ました。
「絵は必ずしも情緒的になってはならない。文学的であることは出来ない。」
「作品に細かいメッセージをこめて作品を描いたことはない。ある程度こう見て欲しいとは思うが、あまり説明的になってはいけない。」
「作風は変化しているように見えるかもしれないが、意図的に変えているわけではない。何となく描いていき、また変化しながらその何かを探しているのかも。ただそれが何かはわからない。」
「目に見えるもの、目が体験したものを自分の中で落としこんで絵画に表している。具象と抽象の区別は意味がない。」
「タイトルは絵は別。元々タイトルありきで絵を描くのではなく、完成してからタイトルをつけている。それはちょうど子どもが生まれてから名前を付けるのと同じ。見えて感じたものを絵にするとともに、人が言ったことをタイトルにしている。」
「空襲や震災、それに自分がかつてアトリエで見た瓶が割れる瞬間など、それまでにあった状況が一変した時に得る体験は絵を描く時の一つのきっかけになっているかもしれない。」
「風景を見ていると自分が見ているものって何だろうと思うことがある。その風景がなくなったら何が見えるのかと。そんな空想を抱くことが多い。」
「フランスのライ・レ・ローズで見た空と丘と全てが一体になった瞬間が忘れられない。その渾然一体となった時に幻想が生まれた。それを絵に起こす。」
「見えたものを強く意識しすぎないことは大切。何ものにもとらわれない自由な目を獲得するのが最高の絵描きではないか。既成概念に縛られてはいけない。」
「作品に細かいメッセージをこめて作品を描いたことはない。ある程度こう見て欲しいとは思うが、あまり説明的になってはいけない。」
「作風は変化しているように見えるかもしれないが、意図的に変えているわけではない。何となく描いていき、また変化しながらその何かを探しているのかも。ただそれが何かはわからない。」
「目に見えるもの、目が体験したものを自分の中で落としこんで絵画に表している。具象と抽象の区別は意味がない。」
「タイトルは絵は別。元々タイトルありきで絵を描くのではなく、完成してからタイトルをつけている。それはちょうど子どもが生まれてから名前を付けるのと同じ。見えて感じたものを絵にするとともに、人が言ったことをタイトルにしている。」
「空襲や震災、それに自分がかつてアトリエで見た瓶が割れる瞬間など、それまでにあった状況が一変した時に得る体験は絵を描く時の一つのきっかけになっているかもしれない。」
「風景を見ていると自分が見ているものって何だろうと思うことがある。その風景がなくなったら何が見えるのかと。そんな空想を抱くことが多い。」
「フランスのライ・レ・ローズで見た空と丘と全てが一体になった瞬間が忘れられない。その渾然一体となった時に幻想が生まれた。それを絵に起こす。」
「見えたものを強く意識しすぎないことは大切。何ものにもとらわれない自由な目を獲得するのが最高の絵描きではないか。既成概念に縛られてはいけない。」
私が初めて野見山の作品に接した時、その絵画平面から立ち上がってくる何か不思議なものに包まれたかのような錯覚にとらわれたことがあります。それこそまさに野見山氏本人のいわれる、景色や事物にもとらわれない自由なイメージの幻想の現れではないかと思いました。
東日本大震災を踏まえて描かれた新作と野見山暁治
さてとても気さくにお答え下さった野見山氏ですが、ご本人のアーティストトークが明日の11月12日(土)、ブリヂストン美術館にて開催されます。
アーティスト・トーク「野見山暁治をもっと知る」
日 時:2011年11月12日(土) 14:00~16:00
聴講料:400円
定員:130名(先着順)
会場:ブリヂストン美術館1階ホール
開場:13:00
*野見山暁治先生への質問を受け付けます。 ホール入口に設置した質問箱に13:50までに入れて下さい。
直接、こちらからの事前の質問に応えて下さるまたとないチャンスです。お時間のある方は是非参加されてはいかがでしょうか。なお野見山氏によると変わった質問がお好きだそうです。
また野見山本人のデザインによる展覧会グッズについては別のエントリにまとめてあります。可愛らしいピンバッジは一推しです。
野見山暁治展ミュージアムグッズ
なお11月中に求龍堂より野見山暁治画文集が発売されます。ブリヂストン美術館ショップで先行発売される予定です。
そもそも今回の展示は1958年、安井賞を受賞した野見山がブリヂストン美術館で個展を行った縁もあって開催されました。とするとブリヂストン美術館では約50年ぶりの個展となります。まさに一期一会ではないでしょうか。
12月25日まで開催されています。もちろんおすすめします。
「野見山暁治展」 ブリヂストン美術館
会期:10月28日(金)~12月25日(日)
休館:月曜日(祝日の場合は翌日)
時間:10:00~18:00
住所:中央区京橋1-10-1
交通:JR線東京駅八重洲中央口より徒歩5分。東京メトロ銀座線京橋駅6番出口から徒歩5分。東京メトロ銀座線・東京メトロ東西線・都営浅草線日本橋駅B1出口から徒歩5分。
注)写真の撮影と掲載は主催者の許可を得ています。
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「モダン・アート,アメリカン」 国立新美術館
国立新美術館
「モダン・アート,アメリカン 珠玉のフィリップス・コレクション」
9/28-12/12
19世紀後半から1960年代後半までのアメリカ美術の流れを総覧します。国立新美術館で開催中の「モダン・アート,アメリカン」展へ行ってきました。
ヨーロッパの印象派絵画でも定評のあるフィリップス・コレクションですが、そうした名画とともに、アメリカ人美術家たちの絵画を積極的に蒐集して来たことも、同館のコレクションの重要なポイントとして知られてきました。
エドワード・ブルース「パワー」(1933年頃)
今回はそのアメリカ美術がテーマです。会場にはアメリカ人の手によって描かれた印象派絵画からモダニズム、そして抽象絵画などの全110点の作品が一同に介していました。
構成は以下の通りです。
第1章 ロマン主義とリアリズム
第2章 印象派
第3章 自然の力
第4章 自然と抽象
第5章 近代生活
第6章 都市
第7章 記憶とアイデンティティ
第8章 キュビズムの遺産
第9章 抽象表現主義への道
第10章 抽象表現主義
基本的にはアメリカ美術の系譜を時系列で辿っていますが、必ずしも全てそうでないのが興味深いところです。アメリカの自然や文化、そして生活、また時にヨーロッパ絵画の動向にも留意しながら多様な作品を紹介していました。
ウィンズロウ・ホーマー「救助に向かう」(1886年)
ロマン主義の時代にいきなりの優品が登場します。海辺を歩く三人の男女を描いたのが、ウィンズロウ・ホーマーの「救助に向かう」(1886年)です。
タイトルを読めば、確かに海の事故に対して救助に向かう人間の姿を捉えた作品に見えますが、どこか寒々しい砂浜と海、そしてそこに立ち向かおうとする男の背中などからは何とも言い難い哀愁を感じます。敢然と立ちはだかる大自然と、それに弱くもひたむきに向き合う人間が対比的に示されていました。
ジョージア・オキーフ「ランチョス教会、No.2、ニューメキシコ」(1929年)
人気のオキーフもそうしたアメリカの景色を描いています。ニューメキシコの教会を表した「ランチョス教会」(1929年)は一風変わった印象を与えるかもしれません。
単純化された建物のフォルムはおおよそ教会には見えませんが、そこへ差し込む強い陽射し乾いた空気などは画面上からもダイレクトに感じられるのではないでしょうか。
なおオキーフはこの作品の他に3点、あわせると計4点ほど出ていました。ちらし表紙の「葉のかたち」(1924年)も、オキーフの個性的な自然への眼差しが伺い知れる作品と言えるのかもしれません。
アーサー・G.ダヴ「赤い太陽」(1935年)
またオキーフと同時代の画家ではアーサー・G・ダヴが忘れられません。山裾へ夕日の沈む光景を捉えた「赤い太陽」(1935年)の輝きは眼に焼き付きはしないでしょうか。モニュメンタルにまで簡略化された太陽の迫力には思わず後ずさりしてしまうほどでした。
エドワード・ホッパー「日曜日」(1926年)
自然から一転、都市の光景を描いたのが大人気のホッパーです。とりわけどこかくたびれた都市の日常を示した「日曜日」(1926年)は忘れることが出来ません。
看板も文字もない一種、異様なまでの静けさに満ちた街の一角で腰をかける男は、どこか憂鬱な印象を与えはしないでしょうか。人で賑わう街の随所に潜む暗部、またはその中の孤独を見事に表現していました。
エドワード・ホッパー「都会に近づく」(1946年)
ちなみホッパーではもう1点、「都会に近づく」(1946年)も、そうした都市の中で取り残された場所を表した作品と言えるかもしれません。同じく人気のない空間にて、ぽっかりと口を開けた地下鉄のトンネルを見ていると、それこそ吸い込まれて二度と戻れない冥界への入口のようにも思えました。
ジョン・スローン「冬の6時」(1912年)
そうした静けさに満ちた都市とは異なり、都市本来の賑わいを表したのがジョン・スローンの「冬の6時」(1912年)ではないでしょうか。ニューヨーク3番街の夕方のラッシュアワーはまさに喧噪に溢れ、行き交う人々の声や駅のベルや鉄道の騒音までが聞こえてくるかのような臨場感をたたえています。
所々に点る明かりがまた効果的です。その灯火にひかれながら、おもわずパブで一杯引っ掛けてしまいたくなるような一枚でした。これは一推しです。
ジェイコブ・ローレンス「『大移動』シリーズ、パネル No.3」(1940-41年)
さてアメリカと言えばいわゆる開拓や移民の問題なども見過ごすことが出来ません。その関連として1940年頃、アメリカの南部から北部へと移りゆくアフリカ系アメリカ人労働者を表したのがジェイコブ・ローレンスの「大移動」(1940-41年)でした。
ローレンスは農村を離れ、北部の都市を目指して歩く人達の姿を、計60枚のパネルの連作にて表現しています。会場にはそのうちのごく一部が展示されていますが、テンペラという素材を使い、時に鉄道に乗る人々を、また時には私刑を受ける人達を描いた姿からは、彼らが背負った過酷な生き様がひしひしと伝わってきました。
こうした絵画を通し、アメリカ社会の持つ様々な問題点が見えてくるのも、この展覧会の一つの見どころでもありました。
ジャクソン・ポロック「コンポジション」(1938-41年頃)
ラストは抽象表現が登場します。定番のロスコにサム・フランシス、そして愛知県美術館でいよいよ一大回顧展のはじまるポロックなども出ていましたが、いずれもやや小粒な印象は否めません。
全体としてもそうした有名どころの大作をじっくり味わうというよりも、知られざる画家を見出していった方がより楽しめるような気がしました。
モダンアート展鑑賞ガイド
冊子形式の鑑賞ガイドがよく出来ています。作品への理解を深めてくれました。
サム・フランシス「ブルー」(1958年)
既に会期も半ばを過ぎていますが、それほど混雑はしていないようです。新美の大型展にしてはゆったりとした気持ちで見ることが出来ました。
12月12日まで開催です。派手さはありませんがおすすめします。
「モダン・アート,アメリカン 珠玉のフィリップス・コレクション」 国立新美術館
会期:9月28日(水)~12月12日(月)
休館:火曜日
時間:10:00~18:00 *毎週金曜日は夜20時まで開館
住所:港区六本木7-22-2
交通:東京メトロ千代田線乃木坂駅出口6より直結。都営大江戸線六本木駅7出口から徒歩4分。東京メトロ日比谷線六本木駅4a出口から徒歩5分。
「モダン・アート,アメリカン 珠玉のフィリップス・コレクション」
9/28-12/12
19世紀後半から1960年代後半までのアメリカ美術の流れを総覧します。国立新美術館で開催中の「モダン・アート,アメリカン」展へ行ってきました。
ヨーロッパの印象派絵画でも定評のあるフィリップス・コレクションですが、そうした名画とともに、アメリカ人美術家たちの絵画を積極的に蒐集して来たことも、同館のコレクションの重要なポイントとして知られてきました。
エドワード・ブルース「パワー」(1933年頃)
今回はそのアメリカ美術がテーマです。会場にはアメリカ人の手によって描かれた印象派絵画からモダニズム、そして抽象絵画などの全110点の作品が一同に介していました。
構成は以下の通りです。
第1章 ロマン主義とリアリズム
第2章 印象派
第3章 自然の力
第4章 自然と抽象
第5章 近代生活
第6章 都市
第7章 記憶とアイデンティティ
第8章 キュビズムの遺産
第9章 抽象表現主義への道
第10章 抽象表現主義
基本的にはアメリカ美術の系譜を時系列で辿っていますが、必ずしも全てそうでないのが興味深いところです。アメリカの自然や文化、そして生活、また時にヨーロッパ絵画の動向にも留意しながら多様な作品を紹介していました。
ウィンズロウ・ホーマー「救助に向かう」(1886年)
ロマン主義の時代にいきなりの優品が登場します。海辺を歩く三人の男女を描いたのが、ウィンズロウ・ホーマーの「救助に向かう」(1886年)です。
タイトルを読めば、確かに海の事故に対して救助に向かう人間の姿を捉えた作品に見えますが、どこか寒々しい砂浜と海、そしてそこに立ち向かおうとする男の背中などからは何とも言い難い哀愁を感じます。敢然と立ちはだかる大自然と、それに弱くもひたむきに向き合う人間が対比的に示されていました。
ジョージア・オキーフ「ランチョス教会、No.2、ニューメキシコ」(1929年)
人気のオキーフもそうしたアメリカの景色を描いています。ニューメキシコの教会を表した「ランチョス教会」(1929年)は一風変わった印象を与えるかもしれません。
単純化された建物のフォルムはおおよそ教会には見えませんが、そこへ差し込む強い陽射し乾いた空気などは画面上からもダイレクトに感じられるのではないでしょうか。
なおオキーフはこの作品の他に3点、あわせると計4点ほど出ていました。ちらし表紙の「葉のかたち」(1924年)も、オキーフの個性的な自然への眼差しが伺い知れる作品と言えるのかもしれません。
アーサー・G.ダヴ「赤い太陽」(1935年)
またオキーフと同時代の画家ではアーサー・G・ダヴが忘れられません。山裾へ夕日の沈む光景を捉えた「赤い太陽」(1935年)の輝きは眼に焼き付きはしないでしょうか。モニュメンタルにまで簡略化された太陽の迫力には思わず後ずさりしてしまうほどでした。
エドワード・ホッパー「日曜日」(1926年)
自然から一転、都市の光景を描いたのが大人気のホッパーです。とりわけどこかくたびれた都市の日常を示した「日曜日」(1926年)は忘れることが出来ません。
看板も文字もない一種、異様なまでの静けさに満ちた街の一角で腰をかける男は、どこか憂鬱な印象を与えはしないでしょうか。人で賑わう街の随所に潜む暗部、またはその中の孤独を見事に表現していました。
エドワード・ホッパー「都会に近づく」(1946年)
ちなみホッパーではもう1点、「都会に近づく」(1946年)も、そうした都市の中で取り残された場所を表した作品と言えるかもしれません。同じく人気のない空間にて、ぽっかりと口を開けた地下鉄のトンネルを見ていると、それこそ吸い込まれて二度と戻れない冥界への入口のようにも思えました。
ジョン・スローン「冬の6時」(1912年)
そうした静けさに満ちた都市とは異なり、都市本来の賑わいを表したのがジョン・スローンの「冬の6時」(1912年)ではないでしょうか。ニューヨーク3番街の夕方のラッシュアワーはまさに喧噪に溢れ、行き交う人々の声や駅のベルや鉄道の騒音までが聞こえてくるかのような臨場感をたたえています。
所々に点る明かりがまた効果的です。その灯火にひかれながら、おもわずパブで一杯引っ掛けてしまいたくなるような一枚でした。これは一推しです。
ジェイコブ・ローレンス「『大移動』シリーズ、パネル No.3」(1940-41年)
さてアメリカと言えばいわゆる開拓や移民の問題なども見過ごすことが出来ません。その関連として1940年頃、アメリカの南部から北部へと移りゆくアフリカ系アメリカ人労働者を表したのがジェイコブ・ローレンスの「大移動」(1940-41年)でした。
ローレンスは農村を離れ、北部の都市を目指して歩く人達の姿を、計60枚のパネルの連作にて表現しています。会場にはそのうちのごく一部が展示されていますが、テンペラという素材を使い、時に鉄道に乗る人々を、また時には私刑を受ける人達を描いた姿からは、彼らが背負った過酷な生き様がひしひしと伝わってきました。
こうした絵画を通し、アメリカ社会の持つ様々な問題点が見えてくるのも、この展覧会の一つの見どころでもありました。
ジャクソン・ポロック「コンポジション」(1938-41年頃)
ラストは抽象表現が登場します。定番のロスコにサム・フランシス、そして愛知県美術館でいよいよ一大回顧展のはじまるポロックなども出ていましたが、いずれもやや小粒な印象は否めません。
全体としてもそうした有名どころの大作をじっくり味わうというよりも、知られざる画家を見出していった方がより楽しめるような気がしました。
モダンアート展鑑賞ガイド
冊子形式の鑑賞ガイドがよく出来ています。作品への理解を深めてくれました。
サム・フランシス「ブルー」(1958年)
既に会期も半ばを過ぎていますが、それほど混雑はしていないようです。新美の大型展にしてはゆったりとした気持ちで見ることが出来ました。
12月12日まで開催です。派手さはありませんがおすすめします。
「モダン・アート,アメリカン 珠玉のフィリップス・コレクション」 国立新美術館
会期:9月28日(水)~12月12日(月)
休館:火曜日
時間:10:00~18:00 *毎週金曜日は夜20時まで開館
住所:港区六本木7-22-2
交通:東京メトロ千代田線乃木坂駅出口6より直結。都営大江戸線六本木駅7出口から徒歩4分。東京メトロ日比谷線六本木駅4a出口から徒歩5分。
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「伊東深水展」 平塚市美術館
平塚市美術館
「開館20周年記念展 伊東深水-時代の目撃者」
10/22-11/27
近代日本画の巨匠、伊東深水(1898-1972)の画業を展観します。平塚市美術館で開催中の「伊東深水 時代の目撃者」へ行って来ました。
伊東深水といえば、師の鏑木清方、そして京都の上村松園と並び、言わば美人画の三巨頭として挙げられますが、今回の展覧会ではむしろ風俗画家としての側面に着目し、その業績を辿っています。
「鏡獅子」(1934年)
出品は本画、版画、スケッチを合わせて計100点です。回顧展としては申し分のない内容でした。
1898年に深川で生まれ、活字工として働きながら絵を描いていた深水は次第に頭角を表し、13歳になってから鏑木清方の門をたたきます。
展示もその頃、僅か14歳の時の作品から始まりました。
街中で腰掛ける新聞売りを描いた「新聞売子」(1912)からは、精緻な籠の描き込みをはじめ、早くも深水の完成された画力を見ることが出来るのではないでしょうか。このように深水は当初、労働者や貧困層の生き様を写すことに大きな関心を寄せていました。
初期の頃の作品を楽しめるのもこうした回顧展ならではのことです。
縦長の構図に釣り人を収めた「寒鮒釣り」(大正時代初期)は、寒々しいグレーの水辺をはじめ、セピア色の空など、どこか物悲しい風情を漂わせています。
「乳しぼる家」(1916年) 福島県立美術館寄託
また「乳しぼる家」(1916)など、後に鮮やかな色彩を駆使した『カラリスト深水』からは想像もつかないような静まり返った情景も、深水の知られざる一面を見せる一枚でした。
新版画の深水もまた魅力的です。深水は当時、一つ芸術運動であった新版画の制作に取り組み、全部で147点の作品を残しました。
今回はそのうちの20点ほどが紹介されていますが、主題も風景に人物と多様です。
半身をさらけ出し、鏡を見ながら眉に墨を入れる女性を描いた「眉墨」(1928)こそ、これぞ深水といえるような艶やかさを感じますが、羽子板を下から振り上げる様を表した「追羽根」(1938)の動的な構図には強く感心させられました。
そして時に官能的とさえ言える深水の美人画ですが、その最たる例として挙げておきたいのが、「髪」(1949)です。
髪を梳く二人の女性が描かれていますが、その右側の女性は頭を逆さにしながら上半身をあらわにしている為、乳房が大きく垂れ下がっています。
同じような髪梳き、また半裸の女性を描いた美人画は数多くありますが、これほどエロティックなものはないかもしれません。
また後方からの視点で、独特なフェティシズムを感じさせるのが、「宵」(1933)です。 涼しげな白い浴衣を纏った女性がこちらに背中を向けて寝る姿が描かれています。画面の一部にかかる簾の透け表現もまた見事ですが、あたかも鑑賞者が覗き見をしているかのような構図も印象的でした。
「皇紀二千六百二年婦女図(一部)」(1942年) 株式会社大和証券グループ本社
今回、深水の新出の作品が2、3点ほど出ていますが、とりわけ目立つのは「皇紀二千六百二年婦女図」(1942)と「海風」(1942)です。
タイトルが示すように、ともに国威発揚を意識させるような大作ですが、前者に登場する女性には深水が戦時下において考案したという服が着せられています。
「海風」(1942年)
また風に向かい指を示す女性の立ち姿を表した「海風」は、深水が志向した「力の芸術」を体現した作品と言えるのかもしれません。その迫力は圧倒的でした。
なお戦時下において深水は海軍情報要員として1943年、南方、主にインドネシアへと赴きます。そこで現地の人々を訪ね歩き、その風俗を約400枚ほどスケッチに残したそうですが、展示でも一部が紹介されていました。
さて浮世絵とは浮世を示すもの、すなわち現代を描くものであると考えた深水は、当時の最先端の社会を臆することなく日本画で描き出します。
洋装の女性が印象に深い「聞香」(1950)や、六曲一双の大画面に舞台の控え室で化粧などをする芸者を描いた「春宵(東おどり)」(1954)などからは、時にモダンである深水画の魅力を存分に味わうことが出来ました。
またモダン、時代への先どりという観点からは「黒いドレス」(1956)も忘れることが出来ません。
深水は洋画家から色面分割の手法などを学び、それを自作に取り込みましたが、この「黒いドレス」における極太の輪郭線はもとより、全体を覆う黄色がかった色彩の統一感は、明らかに日本画離れしています。思わずビュフェの絵画を思い出してしまいました。
「菊を活ける勅使河原霞女史」(1966年) 草月会
晩年の深水はより人間の内面性に向かい、背景を取り払って人の表情を巧みに切り取った肖像画を描きました。
「婦女潮干狩図」(1929年)
またともすると深水の美人画にはどこかアクの強さを見出すことがありますが、それは単に美しい女性の表面だけでなく、人間の内面も包み隠さずに描いた深水だからこそ成し遂げ得た表現なのかもしれません。
風俗画家としての側面を知ると、日頃慣れ親しんだ深水の美人画がまた一味も二味も異なって見えました。
ちなみに深水が画家を志したきっかけとして、速水御舟の作品を見て感動したことがあったからだそうです。
今回、深水の珍しい風景画が出ていますが、そこには確かに御舟の影響を見ることが出来ます。そうした部分も発見の一つでした。
11月27日までの開催です。おすすめします。
「開館20周年記念展 伊東深水-時代の目撃者」 平塚市美術館
会期:10月22日(土)~11月27日(日)
休館:月曜日
時間:9:30~17:00
住所:神奈川県平塚市西八幡1-3-3
交通:JR線平塚駅東口改札・北口4番バス乗り場より神奈川中央交通バス 「美術館入口」下車、徒歩1分。または「日産車体前」下車、徒歩5分。JR線平塚駅東口改札・北口、または西口から徒歩約20分。
「開館20周年記念展 伊東深水-時代の目撃者」
10/22-11/27
近代日本画の巨匠、伊東深水(1898-1972)の画業を展観します。平塚市美術館で開催中の「伊東深水 時代の目撃者」へ行って来ました。
伊東深水といえば、師の鏑木清方、そして京都の上村松園と並び、言わば美人画の三巨頭として挙げられますが、今回の展覧会ではむしろ風俗画家としての側面に着目し、その業績を辿っています。
「鏡獅子」(1934年)
出品は本画、版画、スケッチを合わせて計100点です。回顧展としては申し分のない内容でした。
1898年に深川で生まれ、活字工として働きながら絵を描いていた深水は次第に頭角を表し、13歳になってから鏑木清方の門をたたきます。
展示もその頃、僅か14歳の時の作品から始まりました。
街中で腰掛ける新聞売りを描いた「新聞売子」(1912)からは、精緻な籠の描き込みをはじめ、早くも深水の完成された画力を見ることが出来るのではないでしょうか。このように深水は当初、労働者や貧困層の生き様を写すことに大きな関心を寄せていました。
初期の頃の作品を楽しめるのもこうした回顧展ならではのことです。
縦長の構図に釣り人を収めた「寒鮒釣り」(大正時代初期)は、寒々しいグレーの水辺をはじめ、セピア色の空など、どこか物悲しい風情を漂わせています。
「乳しぼる家」(1916年) 福島県立美術館寄託
また「乳しぼる家」(1916)など、後に鮮やかな色彩を駆使した『カラリスト深水』からは想像もつかないような静まり返った情景も、深水の知られざる一面を見せる一枚でした。
新版画の深水もまた魅力的です。深水は当時、一つ芸術運動であった新版画の制作に取り組み、全部で147点の作品を残しました。
今回はそのうちの20点ほどが紹介されていますが、主題も風景に人物と多様です。
半身をさらけ出し、鏡を見ながら眉に墨を入れる女性を描いた「眉墨」(1928)こそ、これぞ深水といえるような艶やかさを感じますが、羽子板を下から振り上げる様を表した「追羽根」(1938)の動的な構図には強く感心させられました。
そして時に官能的とさえ言える深水の美人画ですが、その最たる例として挙げておきたいのが、「髪」(1949)です。
髪を梳く二人の女性が描かれていますが、その右側の女性は頭を逆さにしながら上半身をあらわにしている為、乳房が大きく垂れ下がっています。
同じような髪梳き、また半裸の女性を描いた美人画は数多くありますが、これほどエロティックなものはないかもしれません。
また後方からの視点で、独特なフェティシズムを感じさせるのが、「宵」(1933)です。 涼しげな白い浴衣を纏った女性がこちらに背中を向けて寝る姿が描かれています。画面の一部にかかる簾の透け表現もまた見事ですが、あたかも鑑賞者が覗き見をしているかのような構図も印象的でした。
「皇紀二千六百二年婦女図(一部)」(1942年) 株式会社大和証券グループ本社
今回、深水の新出の作品が2、3点ほど出ていますが、とりわけ目立つのは「皇紀二千六百二年婦女図」(1942)と「海風」(1942)です。
タイトルが示すように、ともに国威発揚を意識させるような大作ですが、前者に登場する女性には深水が戦時下において考案したという服が着せられています。
「海風」(1942年)
また風に向かい指を示す女性の立ち姿を表した「海風」は、深水が志向した「力の芸術」を体現した作品と言えるのかもしれません。その迫力は圧倒的でした。
なお戦時下において深水は海軍情報要員として1943年、南方、主にインドネシアへと赴きます。そこで現地の人々を訪ね歩き、その風俗を約400枚ほどスケッチに残したそうですが、展示でも一部が紹介されていました。
さて浮世絵とは浮世を示すもの、すなわち現代を描くものであると考えた深水は、当時の最先端の社会を臆することなく日本画で描き出します。
洋装の女性が印象に深い「聞香」(1950)や、六曲一双の大画面に舞台の控え室で化粧などをする芸者を描いた「春宵(東おどり)」(1954)などからは、時にモダンである深水画の魅力を存分に味わうことが出来ました。
またモダン、時代への先どりという観点からは「黒いドレス」(1956)も忘れることが出来ません。
深水は洋画家から色面分割の手法などを学び、それを自作に取り込みましたが、この「黒いドレス」における極太の輪郭線はもとより、全体を覆う黄色がかった色彩の統一感は、明らかに日本画離れしています。思わずビュフェの絵画を思い出してしまいました。
「菊を活ける勅使河原霞女史」(1966年) 草月会
晩年の深水はより人間の内面性に向かい、背景を取り払って人の表情を巧みに切り取った肖像画を描きました。
「婦女潮干狩図」(1929年)
またともすると深水の美人画にはどこかアクの強さを見出すことがありますが、それは単に美しい女性の表面だけでなく、人間の内面も包み隠さずに描いた深水だからこそ成し遂げ得た表現なのかもしれません。
風俗画家としての側面を知ると、日頃慣れ親しんだ深水の美人画がまた一味も二味も異なって見えました。
ちなみに深水が画家を志したきっかけとして、速水御舟の作品を見て感動したことがあったからだそうです。
今回、深水の珍しい風景画が出ていますが、そこには確かに御舟の影響を見ることが出来ます。そうした部分も発見の一つでした。
11月27日までの開催です。おすすめします。
「開館20周年記念展 伊東深水-時代の目撃者」 平塚市美術館
会期:10月22日(土)~11月27日(日)
休館:月曜日
時間:9:30~17:00
住所:神奈川県平塚市西八幡1-3-3
交通:JR線平塚駅東口改札・北口4番バス乗り場より神奈川中央交通バス 「美術館入口」下車、徒歩1分。または「日産車体前」下車、徒歩5分。JR線平塚駅東口改札・北口、または西口から徒歩約20分。
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マウリッツハイス美術館展記者発表会
来年6月、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」が新生・東京都美術館へとやってきます。マウリッツハイス美術館展記者発表会に参加してきました。
マウリッツハイス美術館展記者会見会場スクリーン。
2010年より全面改修工事が進行する東京都美術館ですが、いよいよ2012年の6月にグランドオープンを迎えることをご存知でしょうか。
マウリッツハイス美術館全景。
そのオープニングを飾る展覧会が、「北ヨーロッパの宝石箱」ともうたわれるオランダ・ハーグに位置するマウリッツハイス美術館展です。コレクションの中核である17世紀オランダ・フランドル絵画約50点が、新たな東京都美術館のお披露目とあわせて、一同に紹介されることが決まりました。(*東京展以降、神戸市立博物館へと巡回。)
もちろんその最大の目玉はヨハネス・フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」に他なりません。画家を代表するかの名作と言えば2000年、大阪で開催された伝説的な「フェルメールとその時代展」に出品されましたが、以来約12年、いよいよ東京都美術館で公開されることになりました。
挨拶するフィリップ・ドゥ・ヘーア駐日オランダ王国特命全権大使。
さて来年の展覧会の開催の案内にあわせ、11月7日、都内のホールにて記者発表会が行われました。
マウリッツハイス美術館展示室。(左、肥塚隆駐オランダ大使日本国特命全権大使。中央、オランダ会場司会雨宮塔子。右、エミリー・ゴーデンカーマウリッツハイス美術館館長。)
来賓の挨拶の後、東京の会場とオランダ・マウリッツハイス美術館がインターネット回線で結ばれ、同館のエミリー・ゴーデンカー館長による作品解説へと移りました。
「ディアナとニンフたち」(1653-1654年頃)の前で解説するゴーデンカー館長。
まずはフェルメールの初期作、「ディアナとニンフたち」です。若い頃のフェルメールはそもそも歴史的な絵画を描くことに興味があり、このような神話を主題とした作品を完成させました。
画面には狩人の女神であるディアナを中央に配していますが、その表現は他の画家とはかなり異なっています。
というのも狩人ということで、一般的にはもっと活動的な姿で描かれることが多いそうですが、フェルメール作ではもの静かで女性的な様相で表現されています。これはフェルメールの描いた一連の静謐な女性像の一つの典型的な例であるとのことでした。
「真珠の耳飾りの少女」(1665年頃)の前で解説するゴーデンカー館長。
続いてフェルメールでは最も有名な「真珠の耳飾りの少女」のご登場です。この魅惑的な少女は一見、実在の人物をモデルにしたようにも思えますが、実は頭のターバンは当時のものでないことから、想像上の人物を描いたということが分かっています。
それを「肖像画」ではなく「トローニー」と呼ぶそうです。17世紀オランダ絵画ではこの「トローニー」が多数存在し、その多くが習作的な性格を持つことでも知られています。フェルメールは「トローニー」である「真珠の耳飾りの少女」を驚くべきテクニックで技術で完成させました。
またフェルメールと言えばカメラ・オブスクラを用いていたのではないかと指摘されますが、諸説はあるものの、ゴーデンカー館長はこの作品に関してはカメラを使っていないのではないかということです。
微かに開いた口、そして何かを訴えかけるような表情は、まさに見る者の心を掴んで離しません。作品の前に立つと彼女にまつわる物語を自由に想像出来るというのも、この作品を味わう醍醐味ではないかということでした。
レンブラント「自画像」(1669年)の前で解説するゴーデンカー館長。
最後に今回のマウリッツハイス美術館展で6点ほど来日するレンブラントのうち、最晩年の傑作である「自画像」の解説が行われました。
そもそもレンブラントの自画像は多くあり、その時代別の変遷を辿るのも興味深いものがありますが、この作品では一般的によく言われる苦しみや困難というよりも、画家として充実な人生を送ったという一つの到達点が示されているのではないかということです。
また作品をX線で調査、解析したところ、当初は画家が仕事をしている時にかぶった白い帽子が描かれていたことが分かったそうです。それをレンブラントは僅かな操作でターバンに変え、絵の意味をもまた違ったものにしました。
レンブラントが終生関心を抱いていた人間の内面をよく表している作品と言えるのかもしれません。
さてマウリッツハイス美術館とのネット回線の中継の終了後、今度は展覧会全体の構成、また出品作についての簡単な解説がありました。
第1章 マウリッツハイス美術館の歴史
第2章 風景画
第3章 歴史画(物語画)
第4章 肖像画
第5章 静物画
第6章 風俗画
以下、各章毎の参考図版を順に掲載しておきます。
第2章「風景画」 *ヤーコプ・ファン・ライスダール「ベントハイム城の眺望」(1670-1675年頃)、「漂白場のあるハールレムの風景」(1652-1654年頃)
第3章「歴史画」 *レンブラント「スザンナ」、ルーベンス「聖母飛昇天(下絵)」(1622-1625年頃)
第4章「肖像画」 *フランス・ハルス「笑う少年」(1625年頃)
第5章「静物画」 *ヤン・ブリューゲル(父)「万暦染付の花瓶に生けた花」(1610-1615年頃)
第6章「風俗画」 *ヤン・スーテン「親に倣って子も歌う」(1665年頃)、デ・ホーホ「A man smoking and a woman drinking in a courtyard」(1658-1660年頃)
フェルメール、レンブラントの他、ライスダールやブリューゲル、そしてオランダ風俗画ではお馴染みのホーホなども見どころになるのではないでしょうか。
さてこの記者発表会、なんと画期的なことにUSTREAMで全世界にインターネット配信されました。そのアーカイブは現在もマウリッツハイス美術館展のWEBサイトで視聴可能です。是非ともご覧ください。
「マウリッツハイス美術館展」WEBサイト
マウリッツハイス美術館のコレクションが国内でまとめて公開されるのも、1984年の国立西洋美術館での展示以来、約30年ぶりのことです。大幅にリニューアルされ、また新たな装いとなる東京都美術館での展覧会に大いに期待したいと思います。
「マウリッツハイス美術館展」 東京都美術館
会期:2012年6月30日(土)~9月17日(月・祝)
時間:9:30~17:30 *金曜日は20時まで。
休館:月曜日。(7月2日は開室。休日の場合は翌日休館)
主催:東京都美術館、朝日新聞社、フジテレビジョン
後援:オランダ王国大使館
特別協賛:第一生命保険
協賛:ジェイティービー、ミキモト
チケット:2012年3月下旬頃発売開始予定
巡回:神戸市立博物館(2012/9/29-2013/1/6)
マウリッツハイス美術館展記者会見会場スクリーン。
2010年より全面改修工事が進行する東京都美術館ですが、いよいよ2012年の6月にグランドオープンを迎えることをご存知でしょうか。
マウリッツハイス美術館全景。
そのオープニングを飾る展覧会が、「北ヨーロッパの宝石箱」ともうたわれるオランダ・ハーグに位置するマウリッツハイス美術館展です。コレクションの中核である17世紀オランダ・フランドル絵画約50点が、新たな東京都美術館のお披露目とあわせて、一同に紹介されることが決まりました。(*東京展以降、神戸市立博物館へと巡回。)
もちろんその最大の目玉はヨハネス・フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」に他なりません。画家を代表するかの名作と言えば2000年、大阪で開催された伝説的な「フェルメールとその時代展」に出品されましたが、以来約12年、いよいよ東京都美術館で公開されることになりました。
挨拶するフィリップ・ドゥ・ヘーア駐日オランダ王国特命全権大使。
さて来年の展覧会の開催の案内にあわせ、11月7日、都内のホールにて記者発表会が行われました。
マウリッツハイス美術館展示室。(左、肥塚隆駐オランダ大使日本国特命全権大使。中央、オランダ会場司会雨宮塔子。右、エミリー・ゴーデンカーマウリッツハイス美術館館長。)
来賓の挨拶の後、東京の会場とオランダ・マウリッツハイス美術館がインターネット回線で結ばれ、同館のエミリー・ゴーデンカー館長による作品解説へと移りました。
「ディアナとニンフたち」(1653-1654年頃)の前で解説するゴーデンカー館長。
まずはフェルメールの初期作、「ディアナとニンフたち」です。若い頃のフェルメールはそもそも歴史的な絵画を描くことに興味があり、このような神話を主題とした作品を完成させました。
画面には狩人の女神であるディアナを中央に配していますが、その表現は他の画家とはかなり異なっています。
というのも狩人ということで、一般的にはもっと活動的な姿で描かれることが多いそうですが、フェルメール作ではもの静かで女性的な様相で表現されています。これはフェルメールの描いた一連の静謐な女性像の一つの典型的な例であるとのことでした。
「真珠の耳飾りの少女」(1665年頃)の前で解説するゴーデンカー館長。
続いてフェルメールでは最も有名な「真珠の耳飾りの少女」のご登場です。この魅惑的な少女は一見、実在の人物をモデルにしたようにも思えますが、実は頭のターバンは当時のものでないことから、想像上の人物を描いたということが分かっています。
それを「肖像画」ではなく「トローニー」と呼ぶそうです。17世紀オランダ絵画ではこの「トローニー」が多数存在し、その多くが習作的な性格を持つことでも知られています。フェルメールは「トローニー」である「真珠の耳飾りの少女」を驚くべきテクニックで技術で完成させました。
またフェルメールと言えばカメラ・オブスクラを用いていたのではないかと指摘されますが、諸説はあるものの、ゴーデンカー館長はこの作品に関してはカメラを使っていないのではないかということです。
微かに開いた口、そして何かを訴えかけるような表情は、まさに見る者の心を掴んで離しません。作品の前に立つと彼女にまつわる物語を自由に想像出来るというのも、この作品を味わう醍醐味ではないかということでした。
レンブラント「自画像」(1669年)の前で解説するゴーデンカー館長。
最後に今回のマウリッツハイス美術館展で6点ほど来日するレンブラントのうち、最晩年の傑作である「自画像」の解説が行われました。
そもそもレンブラントの自画像は多くあり、その時代別の変遷を辿るのも興味深いものがありますが、この作品では一般的によく言われる苦しみや困難というよりも、画家として充実な人生を送ったという一つの到達点が示されているのではないかということです。
また作品をX線で調査、解析したところ、当初は画家が仕事をしている時にかぶった白い帽子が描かれていたことが分かったそうです。それをレンブラントは僅かな操作でターバンに変え、絵の意味をもまた違ったものにしました。
レンブラントが終生関心を抱いていた人間の内面をよく表している作品と言えるのかもしれません。
さてマウリッツハイス美術館とのネット回線の中継の終了後、今度は展覧会全体の構成、また出品作についての簡単な解説がありました。
第1章 マウリッツハイス美術館の歴史
第2章 風景画
第3章 歴史画(物語画)
第4章 肖像画
第5章 静物画
第6章 風俗画
以下、各章毎の参考図版を順に掲載しておきます。
第2章「風景画」 *ヤーコプ・ファン・ライスダール「ベントハイム城の眺望」(1670-1675年頃)、「漂白場のあるハールレムの風景」(1652-1654年頃)
第3章「歴史画」 *レンブラント「スザンナ」、ルーベンス「聖母飛昇天(下絵)」(1622-1625年頃)
第4章「肖像画」 *フランス・ハルス「笑う少年」(1625年頃)
第5章「静物画」 *ヤン・ブリューゲル(父)「万暦染付の花瓶に生けた花」(1610-1615年頃)
第6章「風俗画」 *ヤン・スーテン「親に倣って子も歌う」(1665年頃)、デ・ホーホ「A man smoking and a woman drinking in a courtyard」(1658-1660年頃)
フェルメール、レンブラントの他、ライスダールやブリューゲル、そしてオランダ風俗画ではお馴染みのホーホなども見どころになるのではないでしょうか。
さてこの記者発表会、なんと画期的なことにUSTREAMで全世界にインターネット配信されました。そのアーカイブは現在もマウリッツハイス美術館展のWEBサイトで視聴可能です。是非ともご覧ください。
「マウリッツハイス美術館展」WEBサイト
マウリッツハイス美術館のコレクションが国内でまとめて公開されるのも、1984年の国立西洋美術館での展示以来、約30年ぶりのことです。大幅にリニューアルされ、また新たな装いとなる東京都美術館での展覧会に大いに期待したいと思います。
「マウリッツハイス美術館展」 東京都美術館
会期:2012年6月30日(土)~9月17日(月・祝)
時間:9:30~17:30 *金曜日は20時まで。
休館:月曜日。(7月2日は開室。休日の場合は翌日休館)
主催:東京都美術館、朝日新聞社、フジテレビジョン
後援:オランダ王国大使館
特別協賛:第一生命保険
協賛:ジェイティービー、ミキモト
チケット:2012年3月下旬頃発売開始予定
巡回:神戸市立博物館(2012/9/29-2013/1/6)
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「油絵茶屋再現」 浅草寺境内
浅草寺境内
「油絵茶屋再現」
10/15-11/15
日本初の油絵展を現代に甦らせます。浅草寺境内で開催中の「油絵茶屋再現」へ行ってきました。
東京随一の観光地といえば浅草、そして浅草寺ですが、その境内で今、油絵を日本で初めて紹介した展覧会を再現したイベントが行われていることをご存知でしょうか。
その名もずばり「油絵茶屋」です。明治7年、油絵制作はおろか、まだ『美術』という言葉も珍しかった時代に、「西洋画工」を名乗る画家の五姓田芳柳・義松親子らが、ここ浅草の地にて油絵を見せ物として展示していました。
今でこそ展覧会の場と言えば博物館なり美術館を連想しますが、当時はまだそうした施設もありません。ようするに小屋です。小さな茶屋をつくり、その中で油絵を並べて見せていました。
「油絵茶屋チラシ」 明治7年
再現にはかなりの困難が伴います。実はそもそも見世物小屋の図面はなく、油絵自体も全く残っていません。そこで再現に関わった東京芸大のメンバーは、当時の他の小屋の写真、そして殆ど唯一現存する当時の宣伝チラシを参考にして研究、今回の展示にこぎつけたというわけでした。
小屋の内部はかなり狭く感じますが、実際にはもっと狭かったのではないかと言うことです。(再現建物は幅11メートル、奥行き3.5メートル、高さ4メートル。)また絵画の色そのものも分からないため、やはり他の資料での調査、また類推して描いたとのことでした。
絵画は役者絵が目立ちますが、これは当時よく好まれた主題ということでした。
「関羽(市川団十郎)」 菅亮平
日本画表現では難しい濃厚な色遣いなどに当時の人々は驚いたのではないでしょうか。私も大好きな三国志の英雄、関羽も、作家の菅亮平さん(@ryoheican)の手にかかればご覧の通りでした。どこかエキゾチックです。
なお茶屋ということで、会場入口にはベンチも置かれ、お茶まで振る舞われています。なお当時はコーヒーまで提供されていたそうですが、それは油画が維新後の新たな時代を象徴するものであることにも関係しているかもしれません。
建物自体は簡素なものですが、期間限定でクローズしてしまうのには勿体ないほどよく出来ています。浅草は江戸時代から明治にかけて江戸・東京最大の盛り場であったことが知られていますが、いつしかその拠点は他の場所に奪われてしまいました。また美術そのものも博物館が開設した上野へと拠点が移ります。この再現を契機に、ここ浅草より美術の息吹がまた出るのやもしれません。
場所は仲見世を越え、宝蔵門をくぐった先の右側、ちょうど本堂の手前でした。目印は「油絵茶屋」と書かれた幟です。
「美術という見世物 油絵茶屋の時代/木下直之/講談社学術文庫」
入場は無料です。11月15日まで開催されています。
「油絵茶屋再現」 浅草寺境内
会期:10月15日(土)~11月15日(火)
休館:会期中無休
時間:9:00~16:30
住所:台東区浅草2-3-1
交通:東武伊勢崎線、東京メトロ銀座線浅草駅より徒歩7分。都営地下鉄浅草線浅草駅A4出口より徒歩10分。
「油絵茶屋再現」
10/15-11/15
日本初の油絵展を現代に甦らせます。浅草寺境内で開催中の「油絵茶屋再現」へ行ってきました。
東京随一の観光地といえば浅草、そして浅草寺ですが、その境内で今、油絵を日本で初めて紹介した展覧会を再現したイベントが行われていることをご存知でしょうか。
その名もずばり「油絵茶屋」です。明治7年、油絵制作はおろか、まだ『美術』という言葉も珍しかった時代に、「西洋画工」を名乗る画家の五姓田芳柳・義松親子らが、ここ浅草の地にて油絵を見せ物として展示していました。
今でこそ展覧会の場と言えば博物館なり美術館を連想しますが、当時はまだそうした施設もありません。ようするに小屋です。小さな茶屋をつくり、その中で油絵を並べて見せていました。
「油絵茶屋チラシ」 明治7年
再現にはかなりの困難が伴います。実はそもそも見世物小屋の図面はなく、油絵自体も全く残っていません。そこで再現に関わった東京芸大のメンバーは、当時の他の小屋の写真、そして殆ど唯一現存する当時の宣伝チラシを参考にして研究、今回の展示にこぎつけたというわけでした。
小屋の内部はかなり狭く感じますが、実際にはもっと狭かったのではないかと言うことです。(再現建物は幅11メートル、奥行き3.5メートル、高さ4メートル。)また絵画の色そのものも分からないため、やはり他の資料での調査、また類推して描いたとのことでした。
絵画は役者絵が目立ちますが、これは当時よく好まれた主題ということでした。
「関羽(市川団十郎)」 菅亮平
日本画表現では難しい濃厚な色遣いなどに当時の人々は驚いたのではないでしょうか。私も大好きな三国志の英雄、関羽も、作家の菅亮平さん(@ryoheican)の手にかかればご覧の通りでした。どこかエキゾチックです。
なお茶屋ということで、会場入口にはベンチも置かれ、お茶まで振る舞われています。なお当時はコーヒーまで提供されていたそうですが、それは油画が維新後の新たな時代を象徴するものであることにも関係しているかもしれません。
建物自体は簡素なものですが、期間限定でクローズしてしまうのには勿体ないほどよく出来ています。浅草は江戸時代から明治にかけて江戸・東京最大の盛り場であったことが知られていますが、いつしかその拠点は他の場所に奪われてしまいました。また美術そのものも博物館が開設した上野へと拠点が移ります。この再現を契機に、ここ浅草より美術の息吹がまた出るのやもしれません。
場所は仲見世を越え、宝蔵門をくぐった先の右側、ちょうど本堂の手前でした。目印は「油絵茶屋」と書かれた幟です。
「美術という見世物 油絵茶屋の時代/木下直之/講談社学術文庫」
入場は無料です。11月15日まで開催されています。
「油絵茶屋再現」 浅草寺境内
会期:10月15日(土)~11月15日(火)
休館:会期中無休
時間:9:00~16:30
住所:台東区浅草2-3-1
交通:東武伊勢崎線、東京メトロ銀座線浅草駅より徒歩7分。都営地下鉄浅草線浅草駅A4出口より徒歩10分。
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野見山暁治展ミュージアムグッズ
先週末よりブリヂストン美術館ではじまった野見山暁治展ですが、そのミュージアムグッズがなかなか洒落ています。目を引いた方も多いのではないでしょうか。
まず目立つのが黒と白のデザインの二種類のTシャツですが、これらはなんと野見山がグッズの販売にあわせ、自ら筆をとって、スケッチ、デザインしたものだそうです。
また自らのデザインと言えばもう一つ見逃せないのが、ガラスペンダントです。
こちらは1万円と他のグッズよりお値段がはりますが、それもそのはず、なんと野見山がかつて全面的にデザインしたステンドグラス(作品は東京メトロ副都心線明治神宮前駅に設置)と同じものを用いています。
ちなみにこのペンダント、数量限定での発売ですが、上の写真でもご覧の通り、既に在庫稀少です。お求めの方は急がれた方が良いかもしれません。
もっとお手軽に野見山グッズをという方には可愛らしいピンバッジがお待ちかねです。
こちらは一つ800円とお値打ちです。種類は二つあり、こちらも野見山が自らデザインしたものとのことですが、私も早速一つ買ってみました。
もちろん定番のポストカード類も豊富です。またエッセイや画集等の書籍も充実していました。
なお野見山はこうしたグッズデザインを手がけるのがとても好きなのだそうです。今回のグッズもとても乗り気で制作されたとのことでした。
さて気さくな人柄でも知られる野見山さんのアーティストトークが11月12日(土)に予定されています。
アーティスト・トーク「野見山暁治をもっと知る」
日 時:2011年11月12日(土) 14:00~16:00
聴講料:400円
定員:130名(先着順)
会場:ブリヂストン美術館1階ホール
開場:13:00
*野見山暁治先生への質問を受け付けます。 ホール入口に設置した質問箱に13:50までに入れて下さい。
直接ご本人のお話を伺える絶好の機会です。また質疑応答もあります。興味のある方は是非とも申込まれてみてはいかがでしょうか。
またお馴染みの「弐代目・青い日記帳」の企画による「野見山暁治展担当学芸員ギャラリートーク」が11月23日に予定されています。
【青い日記帳企画「野見山暁治展」担当学芸員ギャラリートーク】
日時:2011年11月23日(水・祝) 16:30~17:30
会場:ブリヂストン美術館
参加費:無料(但し展覧会のチケットはご自分でご用意下さい)
参加表明→http://twipla.jp/events/14810
担当の中村節子学芸員の熱のこもった解説を聞くことが出来るのではないでしょうか。定員は先着順で45名です。こちらもお早めにどうぞ。
「異郷の陽だまり/生活の友社」
かつて2003年に行われた東京国立近代美術館での野見山展を見て深い感動を覚えたことを思い出します。実はあの野見山展は、私が現代美術に関心を持つ切っ掛けとなった展覧会でもありますが、その驚くべきほどに自由な色彩世界に強い衝撃を受けたものでした。
展覧会の様子などは別記事でまとめる予定です。
「野見山暁治展」 ブリヂストン美術館
会期:10月28日(金)~12月25日(日)
休館:月曜日(祝日の場合は翌日)
時間:10:00~18:00
住所:中央区京橋1-10-1
交通:JR線東京駅八重洲中央口より徒歩5分。東京メトロ銀座線京橋駅6番出口から徒歩5分。東京メトロ銀座線・東京メトロ東西線・都営浅草線日本橋駅B1出口から徒歩5分。
まず目立つのが黒と白のデザインの二種類のTシャツですが、これらはなんと野見山がグッズの販売にあわせ、自ら筆をとって、スケッチ、デザインしたものだそうです。
また自らのデザインと言えばもう一つ見逃せないのが、ガラスペンダントです。
こちらは1万円と他のグッズよりお値段がはりますが、それもそのはず、なんと野見山がかつて全面的にデザインしたステンドグラス(作品は東京メトロ副都心線明治神宮前駅に設置)と同じものを用いています。
ちなみにこのペンダント、数量限定での発売ですが、上の写真でもご覧の通り、既に在庫稀少です。お求めの方は急がれた方が良いかもしれません。
もっとお手軽に野見山グッズをという方には可愛らしいピンバッジがお待ちかねです。
こちらは一つ800円とお値打ちです。種類は二つあり、こちらも野見山が自らデザインしたものとのことですが、私も早速一つ買ってみました。
もちろん定番のポストカード類も豊富です。またエッセイや画集等の書籍も充実していました。
なお野見山はこうしたグッズデザインを手がけるのがとても好きなのだそうです。今回のグッズもとても乗り気で制作されたとのことでした。
さて気さくな人柄でも知られる野見山さんのアーティストトークが11月12日(土)に予定されています。
アーティスト・トーク「野見山暁治をもっと知る」
日 時:2011年11月12日(土) 14:00~16:00
聴講料:400円
定員:130名(先着順)
会場:ブリヂストン美術館1階ホール
開場:13:00
*野見山暁治先生への質問を受け付けます。 ホール入口に設置した質問箱に13:50までに入れて下さい。
直接ご本人のお話を伺える絶好の機会です。また質疑応答もあります。興味のある方は是非とも申込まれてみてはいかがでしょうか。
またお馴染みの「弐代目・青い日記帳」の企画による「野見山暁治展担当学芸員ギャラリートーク」が11月23日に予定されています。
【青い日記帳企画「野見山暁治展」担当学芸員ギャラリートーク】
日時:2011年11月23日(水・祝) 16:30~17:30
会場:ブリヂストン美術館
参加費:無料(但し展覧会のチケットはご自分でご用意下さい)
参加表明→http://twipla.jp/events/14810
担当の中村節子学芸員の熱のこもった解説を聞くことが出来るのではないでしょうか。定員は先着順で45名です。こちらもお早めにどうぞ。
「異郷の陽だまり/生活の友社」
かつて2003年に行われた東京国立近代美術館での野見山展を見て深い感動を覚えたことを思い出します。実はあの野見山展は、私が現代美術に関心を持つ切っ掛けとなった展覧会でもありますが、その驚くべきほどに自由な色彩世界に強い衝撃を受けたものでした。
展覧会の様子などは別記事でまとめる予定です。
「野見山暁治展」 ブリヂストン美術館
会期:10月28日(金)~12月25日(日)
休館:月曜日(祝日の場合は翌日)
時間:10:00~18:00
住所:中央区京橋1-10-1
交通:JR線東京駅八重洲中央口より徒歩5分。東京メトロ銀座線京橋駅6番出口から徒歩5分。東京メトロ銀座線・東京メトロ東西線・都営浅草線日本橋駅B1出口から徒歩5分。
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「長谷川等伯と狩野派」 出光美術館
出光美術館
「長谷川等伯と狩野派」
10/29-12/18
出光美術館で開催中の「長谷川等伯と狩野派」へ行って来ました。
つい2年前、東京国立博物館で行われた長谷川等伯展をご記憶の方も多いかもしれません。
今回はその長谷川等伯を筆頭とする長谷川派の系譜を、当時の画壇を席巻した狩野派との関連に注意しながら辿っています。
展示は屏風、しかも六曲一双の大きな作品がメインです。「正信」印にはじまる一連の狩野派から長谷川等伯、そして等伯の系譜を継いだ長谷川派の屏風がずらりと並ぶ様子はなかなか壮観でした。
展覧会の構成は以下の通りです。
第一章 狩野派全盛
第二章 等伯の芸術
第三章 長谷川派と狩野派-親近する表現
第四章 やまと絵への傾倒
冒頭は狩野派です。華麗な屏風が気持ちを高めてくれます。
桃と桜、さらには海棠までを贅沢にあしらった狩野長信の「桜・桃・海棠図屏風」を見ていると、なかなか同じ時期では叶わない三者三様のお花見を一緒に楽しんでいるような気持ちにさせられました。
初期狩野派にとっては扇絵は重要な収入源だったそうです。狩野松栄、秀頼合作の「扇面貼付屏風」には、様々な名所絵などが描かれています。
後に扇絵は宗達に代表されるような俵屋に流行が移りますが、様々な需要に応えた狩野派ならではの作品と言えるかもしれません。
「竹虎図屏風」(右隻) 長谷川等伯 桃山時代 出光美術館
ちらしの表紙を飾った等伯の「竹虎図屏風」もさすがの貫禄です。
前屈みになった人なっこい表情の虎にも惹かれますが、やはりここで魅力的なのは巧みに取り入れた大気、とりわけ風の表現です。
松林図の例をあげるまでもなく、等伯の大気と光の表現は非常に優れたものがありますが、ここでも斜めに吹く風の描写が屏風の空間全体に動きを与えています。
またこの作品では探幽の認めた印にも要注目です。
これは探幽がこの作品を補筆、鑑定した時に記したものですが、そこには中国の周文の作であるとされています。
現在でこそ筆致などから、等伯の真筆で間違いないということですが、等伯と狩野派の関わりを知る一つの例でもあるのかもしれません。
さて今回の展示で私がとても嬉しかったのは、等伯が学んだという中国の牧谿が二点ほど出ているということです。
それこそ等伯は得意とする大気の描写などをこうした画家らから吸収しましたが、中でも「平沙落雁図」の深淵な美しさは松林図に匹敵するとしても過言ではありません。
点々と連なる小さな雁と眼下の葦の茂み、そして墨のぼかしによる茫洋たる空が無限に広がる様はいつ見てもぐっと心を掴まれます。
実は私自身、この作品は墨画の風景画の中でも蕪村の夜色楼台図と並んで大好きなのですが、久しぶりに見られて感激もひとしおでした。
さて等伯の大気と光の表現を楽しめる作品は何も『竹に虎』だけではありません。
『竹に鶴』を組み合わせた「竹鶴図屏風」においても、等伯の硬軟使い分けた巧みな筆さばきを味わうことができます。
比較的精緻に描かれた鶴に対し、背景の竹の描写は大胆で、ぼかしによろ光の表現、そして跳ねるようなタッチによる落葉など、こうも筆が変幻自在に操られるものかと強く感心させられました。
さて何かと対比的に捉えられる長谷川派と狩野派ですが、むしろ両者の類似性に注目しているのが今回の面白いところです。
その最たる例が長谷川派と狩野常信によるほぼ同じ主題の「波濤図屏風」でした。
もちろん波の色遣いなど、細部の描写こそかなり異なりますが、中央に奇岩を配し、そこへ粘り気を帯びた波が襲う構図などは、一見するとかなり似ています。
狩野派にだけ水鳥が舞っていた点と、長谷川派作品の方が奥行き感を強調していたのは興味深いところでしたが、こうも似通った作品がまさか両派にあるとは思いもよりませんでした。
展示の最後を締めるのは、当時大いに流行したという「柳橋水車図屏風」です。
元々は長谷川派が草案し、狩野派の画家も多く描いたという作品ですが、派手な金彩や図像的な柳など、全体としめはかなりデコラティブであるという印象を受けました。
「桜・桃・海棠図屏風」(部分) 狩野長信 桃山時代 出光美術館
それにしても出品作の全てが館蔵品であることには、改めての出光美術館の懐の深さを思いしらされます。
作品自体にはさほど新鮮味はないかもしれませんが、細かな解説パネルなど、丁寧な構成にも好感が持てました。また図録も用意されています。
「もっと知りたい長谷川等伯/東京美術」
12月18日までの開催です。
「長谷川等伯と狩野派」 出光美術館
会期:10月29日(土)~12月18日(日)
休館:月曜日
時間:10:00~17:00 毎週金曜日は19時まで開館。
住所:千代田区丸の内3-1-1 帝劇ビル9階
交通:東京メトロ日比谷線・千代田線、都営三田線日比谷駅、東京メトロ有楽町線有楽町駅、帝劇方面出口より徒歩5分。JR線有楽町駅国際フォーラム口より徒歩5分。
「長谷川等伯と狩野派」
10/29-12/18
出光美術館で開催中の「長谷川等伯と狩野派」へ行って来ました。
つい2年前、東京国立博物館で行われた長谷川等伯展をご記憶の方も多いかもしれません。
今回はその長谷川等伯を筆頭とする長谷川派の系譜を、当時の画壇を席巻した狩野派との関連に注意しながら辿っています。
展示は屏風、しかも六曲一双の大きな作品がメインです。「正信」印にはじまる一連の狩野派から長谷川等伯、そして等伯の系譜を継いだ長谷川派の屏風がずらりと並ぶ様子はなかなか壮観でした。
展覧会の構成は以下の通りです。
第一章 狩野派全盛
第二章 等伯の芸術
第三章 長谷川派と狩野派-親近する表現
第四章 やまと絵への傾倒
冒頭は狩野派です。華麗な屏風が気持ちを高めてくれます。
桃と桜、さらには海棠までを贅沢にあしらった狩野長信の「桜・桃・海棠図屏風」を見ていると、なかなか同じ時期では叶わない三者三様のお花見を一緒に楽しんでいるような気持ちにさせられました。
初期狩野派にとっては扇絵は重要な収入源だったそうです。狩野松栄、秀頼合作の「扇面貼付屏風」には、様々な名所絵などが描かれています。
後に扇絵は宗達に代表されるような俵屋に流行が移りますが、様々な需要に応えた狩野派ならではの作品と言えるかもしれません。
「竹虎図屏風」(右隻) 長谷川等伯 桃山時代 出光美術館
ちらしの表紙を飾った等伯の「竹虎図屏風」もさすがの貫禄です。
前屈みになった人なっこい表情の虎にも惹かれますが、やはりここで魅力的なのは巧みに取り入れた大気、とりわけ風の表現です。
松林図の例をあげるまでもなく、等伯の大気と光の表現は非常に優れたものがありますが、ここでも斜めに吹く風の描写が屏風の空間全体に動きを与えています。
またこの作品では探幽の認めた印にも要注目です。
これは探幽がこの作品を補筆、鑑定した時に記したものですが、そこには中国の周文の作であるとされています。
現在でこそ筆致などから、等伯の真筆で間違いないということですが、等伯と狩野派の関わりを知る一つの例でもあるのかもしれません。
さて今回の展示で私がとても嬉しかったのは、等伯が学んだという中国の牧谿が二点ほど出ているということです。
それこそ等伯は得意とする大気の描写などをこうした画家らから吸収しましたが、中でも「平沙落雁図」の深淵な美しさは松林図に匹敵するとしても過言ではありません。
点々と連なる小さな雁と眼下の葦の茂み、そして墨のぼかしによる茫洋たる空が無限に広がる様はいつ見てもぐっと心を掴まれます。
実は私自身、この作品は墨画の風景画の中でも蕪村の夜色楼台図と並んで大好きなのですが、久しぶりに見られて感激もひとしおでした。
さて等伯の大気と光の表現を楽しめる作品は何も『竹に虎』だけではありません。
『竹に鶴』を組み合わせた「竹鶴図屏風」においても、等伯の硬軟使い分けた巧みな筆さばきを味わうことができます。
比較的精緻に描かれた鶴に対し、背景の竹の描写は大胆で、ぼかしによろ光の表現、そして跳ねるようなタッチによる落葉など、こうも筆が変幻自在に操られるものかと強く感心させられました。
さて何かと対比的に捉えられる長谷川派と狩野派ですが、むしろ両者の類似性に注目しているのが今回の面白いところです。
その最たる例が長谷川派と狩野常信によるほぼ同じ主題の「波濤図屏風」でした。
もちろん波の色遣いなど、細部の描写こそかなり異なりますが、中央に奇岩を配し、そこへ粘り気を帯びた波が襲う構図などは、一見するとかなり似ています。
狩野派にだけ水鳥が舞っていた点と、長谷川派作品の方が奥行き感を強調していたのは興味深いところでしたが、こうも似通った作品がまさか両派にあるとは思いもよりませんでした。
展示の最後を締めるのは、当時大いに流行したという「柳橋水車図屏風」です。
元々は長谷川派が草案し、狩野派の画家も多く描いたという作品ですが、派手な金彩や図像的な柳など、全体としめはかなりデコラティブであるという印象を受けました。
「桜・桃・海棠図屏風」(部分) 狩野長信 桃山時代 出光美術館
それにしても出品作の全てが館蔵品であることには、改めての出光美術館の懐の深さを思いしらされます。
作品自体にはさほど新鮮味はないかもしれませんが、細かな解説パネルなど、丁寧な構成にも好感が持てました。また図録も用意されています。
「もっと知りたい長谷川等伯/東京美術」
12月18日までの開催です。
「長谷川等伯と狩野派」 出光美術館
会期:10月29日(土)~12月18日(日)
休館:月曜日
時間:10:00~17:00 毎週金曜日は19時まで開館。
住所:千代田区丸の内3-1-1 帝劇ビル9階
交通:東京メトロ日比谷線・千代田線、都営三田線日比谷駅、東京メトロ有楽町線有楽町駅、帝劇方面出口より徒歩5分。JR線有楽町駅国際フォーラム口より徒歩5分。
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11月の展覧会・ギャラリーetc
11月中に見たい展覧会などをリストアップしてみました。
展覧会
・「驚異の部屋へようこそ」 町田市立国際版画美術館(~11/23)
・「松戸アートラインプロジェクト2011」 松戸駅西口周辺(11/5~11/27のうちの土日祝)
・「シェル美術賞展2011」 代官山ヒルサイドフォーラム(11/16~11/27) 無料引換券
#受賞作家によるアーティスト・トーク 聞き手:本江邦夫審査員長/家村珠代審査員 11/19 13:00~/14:30~
・「開館20周年記念展 伊東深水」 平塚市美術館(~11/27)
・「歌舞伎町アートサイト」 新宿シネシティ広場(旧コマ劇場前)他(11/19~12/3)
・「南蛮美術の光と影 泰西王侯騎馬図屏風の謎」サントリー美術館(~12/4)
・「ウィーン工房 モダニズムの装飾的精神」 パナソニック電工汐留ミュージアム(~12/20)
・「トゥールーズ=ロートレック展」 三菱一号館美術館(~12/25)
・「野見山暁治展」 ブリヂストン美術館(~12/25)
#アーティストトーク:「野見山暁治をもっと知る」 講師:野見山暁治 11/12 14:00~ 先着順。400円。
・「中国の陶磁・漆・青銅」 根津美術館(11/16~12/25)
・「アルプスの画家 セガンティーニ」 損保ジャパン東郷青児美術館(11/23~12/27)
・「ゼロ年代のベルリン/建築、アートがつくりだす新しい環境」 東京都現代美術館(~2012/1/9)
・「シャルロット・ペリアンと日本」 神奈川県立近代美術館鎌倉(~2012/1/9)
・「池袋モンパルナス展 ようこそアトリエ村へ」 板橋区立美術館(2011/11/19~2012/1/9)
#講演と朗読:「池袋モンパルナスが遺したもの」 講師:寺田農(俳優、東海大学文学部文芸創作学科教授) 11/19 14:00~ 先着100名。
・「ぬぐ絵画 日本のヌード 1880-1945」 東京国立近代美術館(2011/11/15-2012/1/15)
#講演会:「ヌードは難しくて解らない」 講師:横尾忠則 11/26 14:00~ 要事前申込(往復ハガキにて) 11/12必着
・「瀧口修造とマルセル・デュシャン」 千葉市美術館(2011/11/22~2012/1/29)
#コンサート:「高橋アキ・ピアノ・リサイタル-ケージ・武満・実験工房」 演奏:高橋アキ 12/3 14:00~ 要事前申込(往復ハガキにて) 11/25必着
・「ザ・ベスト・オブ・山種コレクション」 山種美術館(2011/11/12~2012/2/5)
・「アンリ・ル・シダネル展」 埼玉県立近代美術館(2011/11/12~2012/2/5)
ギャラリー
・「日常/ワケあり 江口悟・田口一枝・播磨みどり」 神奈川県民ホールギャラリー(~11/19)
・「高田安規子・政子個展」 ラディウム-レントゲンヴェルケ(11/4~11/26)
・「淺井裕介 パギとソレ」 ARATANIURANO(~11/26)
・「小瀬村真美 闇に鳥、灰白の影」 Yuka Sasahara Gallery(~12/3)
・「米田知子:Japanese House」 シュウゴアーツ(~12/3)
・「青秀祐:マルチロール・ファイター」 eitoeiko(11/12~12/10)
・「大坂秩加展:良くいえば健気」 GALLERY MoMo Ryogoku(11/12~12/10)
・「Lumen・Sonus・Memoria 光・音・記憶」 YUKA TSURUNO(11/12~12/10)
・「八木良太:高次からの眺め」 無人島プロダクション(10/30~11/19、11/29~12/17)
・「クリスチャン・マークレー:Scrolls」 ギャラリー小柳(~12/22)
・「会田誠:美術であろうとなかろうと」 TWS本郷(11/5~12/25)
後ほど記事を追加します。
展覧会
・「驚異の部屋へようこそ」 町田市立国際版画美術館(~11/23)
・「松戸アートラインプロジェクト2011」 松戸駅西口周辺(11/5~11/27のうちの土日祝)
・「シェル美術賞展2011」 代官山ヒルサイドフォーラム(11/16~11/27) 無料引換券
#受賞作家によるアーティスト・トーク 聞き手:本江邦夫審査員長/家村珠代審査員 11/19 13:00~/14:30~
・「開館20周年記念展 伊東深水」 平塚市美術館(~11/27)
・「歌舞伎町アートサイト」 新宿シネシティ広場(旧コマ劇場前)他(11/19~12/3)
・「南蛮美術の光と影 泰西王侯騎馬図屏風の謎」サントリー美術館(~12/4)
・「ウィーン工房 モダニズムの装飾的精神」 パナソニック電工汐留ミュージアム(~12/20)
・「トゥールーズ=ロートレック展」 三菱一号館美術館(~12/25)
・「野見山暁治展」 ブリヂストン美術館(~12/25)
#アーティストトーク:「野見山暁治をもっと知る」 講師:野見山暁治 11/12 14:00~ 先着順。400円。
・「中国の陶磁・漆・青銅」 根津美術館(11/16~12/25)
・「アルプスの画家 セガンティーニ」 損保ジャパン東郷青児美術館(11/23~12/27)
・「ゼロ年代のベルリン/建築、アートがつくりだす新しい環境」 東京都現代美術館(~2012/1/9)
・「シャルロット・ペリアンと日本」 神奈川県立近代美術館鎌倉(~2012/1/9)
・「池袋モンパルナス展 ようこそアトリエ村へ」 板橋区立美術館(2011/11/19~2012/1/9)
#講演と朗読:「池袋モンパルナスが遺したもの」 講師:寺田農(俳優、東海大学文学部文芸創作学科教授) 11/19 14:00~ 先着100名。
・「ぬぐ絵画 日本のヌード 1880-1945」 東京国立近代美術館(2011/11/15-2012/1/15)
#講演会:「ヌードは難しくて解らない」 講師:横尾忠則 11/26 14:00~ 要事前申込(往復ハガキにて) 11/12必着
・「瀧口修造とマルセル・デュシャン」 千葉市美術館(2011/11/22~2012/1/29)
#コンサート:「高橋アキ・ピアノ・リサイタル-ケージ・武満・実験工房」 演奏:高橋アキ 12/3 14:00~ 要事前申込(往復ハガキにて) 11/25必着
・「ザ・ベスト・オブ・山種コレクション」 山種美術館(2011/11/12~2012/2/5)
・「アンリ・ル・シダネル展」 埼玉県立近代美術館(2011/11/12~2012/2/5)
ギャラリー
・「日常/ワケあり 江口悟・田口一枝・播磨みどり」 神奈川県民ホールギャラリー(~11/19)
・「高田安規子・政子個展」 ラディウム-レントゲンヴェルケ(11/4~11/26)
・「淺井裕介 パギとソレ」 ARATANIURANO(~11/26)
・「小瀬村真美 闇に鳥、灰白の影」 Yuka Sasahara Gallery(~12/3)
・「米田知子:Japanese House」 シュウゴアーツ(~12/3)
・「青秀祐:マルチロール・ファイター」 eitoeiko(11/12~12/10)
・「大坂秩加展:良くいえば健気」 GALLERY MoMo Ryogoku(11/12~12/10)
・「Lumen・Sonus・Memoria 光・音・記憶」 YUKA TSURUNO(11/12~12/10)
・「八木良太:高次からの眺め」 無人島プロダクション(10/30~11/19、11/29~12/17)
・「クリスチャン・マークレー:Scrolls」 ギャラリー小柳(~12/22)
・「会田誠:美術であろうとなかろうと」 TWS本郷(11/5~12/25)
後ほど記事を追加します。
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「読響ブックレット2012」楽団員紹介コーナー
来シーズンの読響のプログラムなども記載されています。「読響ブックレット2012」を読んでみました。
こうしたブックレット形式でオーケストラのシーズンプログラムを紹介することは何も珍しいことではありませんが、最近、親しみやすいイベントなどを果敢に仕掛ける読響のこと、中身がちょっと一風変わっています。
それがずばり楽団員の紹介写真のコーナーです。ここには有りがちな顔写真一覧ではなく、何と各団員の方々が思い思いのポーズをとった写真が並んでいます。
そのポーズがなかなか強烈です。楽器を片手にダンスするような姿はまだしも、ちょっとしたぬいぐるみといった小道具から、何と大きなバイクまでが登場していました。
またコントラバスの高山さんはマグリットがお好きなのでしょうか。楽器にマグリットの作品の切り抜きが貼ってありました。
そしてもうひとつ、私として共感を覚えるのが、ともかくお酒を持ってポーズをされている方が多いということです。チェロの渡部さんの飲みっぷりには見惚れてしまいました。
それにしても皆さんはじけています。こんなに楽しい団員紹介のページは他に知りません。
なお嬉しいことに、このブックレットはPDFファイルにて読響サイトからダウンロード出来ます。
「読響ブックレット2012」(PDF)
また各公演会場でも無料配布しているそうです。是非お手にとってご覧ください。
こうしたブックレット形式でオーケストラのシーズンプログラムを紹介することは何も珍しいことではありませんが、最近、親しみやすいイベントなどを果敢に仕掛ける読響のこと、中身がちょっと一風変わっています。
それがずばり楽団員の紹介写真のコーナーです。ここには有りがちな顔写真一覧ではなく、何と各団員の方々が思い思いのポーズをとった写真が並んでいます。
そのポーズがなかなか強烈です。楽器を片手にダンスするような姿はまだしも、ちょっとしたぬいぐるみといった小道具から、何と大きなバイクまでが登場していました。
またコントラバスの高山さんはマグリットがお好きなのでしょうか。楽器にマグリットの作品の切り抜きが貼ってありました。
そしてもうひとつ、私として共感を覚えるのが、ともかくお酒を持ってポーズをされている方が多いということです。チェロの渡部さんの飲みっぷりには見惚れてしまいました。
それにしても皆さんはじけています。こんなに楽しい団員紹介のページは他に知りません。
なお嬉しいことに、このブックレットはPDFファイルにて読響サイトからダウンロード出来ます。
「読響ブックレット2012」(PDF)
また各公演会場でも無料配布しているそうです。是非お手にとってご覧ください。
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