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ハンドルは報ハム道だよ
何だか随分前のドラマだな~、このごろやたら再放送が多いな~と思いつつ、途中から見たのについつい最後まで見てしまい、あることを思い出したので、自己防衛ということについて幾つか書こうと思いました。そのドラマの内容と直接関連した事柄については明後日に書きます。
昔、東京で暮らし始めたとき、先輩から、「自宅の電話を取るときに名乗ったらだめだよ、『はい』とだけ言って、相手が『○○さんのお宅ですか』と言ったら『そうです』と言えばいいから。そうしないと後が大変だよ、変な電話いっぱいかかってきちゃうよ」とアドバイスされ、以来、地方都市に引っ越した今もそれをずっと守っています。
実際、うちが○○だと分かっている人は「○○さんのお宅ですか」だし、セールスなら「奥様でいらっしゃいますか、本日は△△のご案内を・・・」だし、最近はめったにないけれど、いたずらなら無言か「はぁ~はぁ~」だし、「はい」だけで私だと確認できる人は「あ~、あたし、あのさ・・・」で話が始まるし、電話を受けた側がいきなり名乗る必要など全くない、むしろ自己防衛のためにはこちらから名乗らないほうがいいと考えています。これが「名乗らない自己防衛」です。
ついでにいうと、受け手は「はい」ですよ、「もしもし」ではありません。「もしもし」は呼びかけの言葉で、「これから申す」という意味ですから、例えば、「もしもし、○○さんのお宅ですか、私は△△の□□と申します」というように使う言葉です。ましてや、電話を受ける側は、顔の見えない相手からいきなり話しかけられるわけですから、ひょっとして、振り込め詐欺の電話かもしれないのですから、とりあえず「はい」とだけ言って相手が何か言うのを待てばいいのです。実際、ネットで「名乗る」と入れて検索すると、「○○を名乗る不審者にご注意ください」とか、「○○と名乗る不審な男が・・・」とか、詐欺事件に関する内容ばかり出てきますからね。
それから、「名乗っていただき」で検索すると、医療安全、リスクマネジメントに関する内容のものがたくさん出てきます。「患者さん誤認防止のために名前を名乗っていただき」とか、「患者様ご自身でフルネームを名乗っていただき」とか、「~でフルネームを確認し、さらに、患者様にも名前をフルネームで言っていただいております」とか、患者の取り違え事故を防ぐためにリスク管理マニュアル等にそういう文言をはっきりと記載し、いろいろ注意しているんだなぁということが分かります。
「名乗る(名告るは常用漢字の音訓外)」とは、自分の姓名や身分を他人に告げること、という意味で、昔から現代に至る用法からいっても、この言葉自体に善悪や上下関係といった概念はないようです。「ここに姓名を書いてください」「ここに姓名を書いていただいて」と同様に、「姓名を名乗ってください」「姓名を名乗っていただいて」という言い方に違和感はありませんが、名乗る相手が「私」であってはいけないように思います。面と向かって、相手に、私に向かって名乗ってほしいということを伝えたいなら、「ご自身で、名前を、フルネームでおっしゃっていただけますか」というふうになります。「担当の者に姓名を名乗ってください」「担当の者に姓名を名乗っていただいて」と、第三者が言うなら、また、マニュアル等に書くなら、問題ありません。
私が盲腸の手術をして入院していたとき、妹が見舞いに来てベッドに腰掛けていたのですが、私がトイレに行って部屋に戻ってくると、看護師さんが妹の脈を計っています。看護師さんは私に気付いてじっとながめてはいるのですが、そのまま妹の脈を計っています。しばらくして、きょとんとしている妹の顔を見て、パジャマ姿で立っている私を上から下までじーっと見て、普通の洋服を着ている妹をじーっと見て、その後は全員大爆笑です。私は苦痛にもだえながら大爆笑です。本当にもぉ~、傷口が開くかと思いましたよぉ~( ̄・ ̄;)。
これが脈の計測だからよかったようなものの、注射だったらどうなったでしょうか? さすがにそのときは妹が抵抗するだろうとは思いますが・・・、当時は本人確認ということがあまりやかましくいわれておらず、採血でも、注射でも、私が半眠りの状態でもそのまま静かにす~っと済ませていったものですよ。でも、最近は事情が違いますね、医療現場の労働条件はますます厳しくなり、医療に関して素人の私でさえ予測できてしまうような、起こるべくして起こるというような医療事故も見られ、患者の側はというと、何か起きたら訴えるというふうに強気になるばかり。それで病院側がさまざまな工夫をするのはいいことですが、患者本人は何も協力しないというのは非常によくないことで、患者の側でも事故を防ぐ努力をしなければいけないのです。
患者の側で考えても、協力してくれと言われるから、ではなく、己を守るためには、自分でできることは何でもやる、いわば「名乗る自己防衛」であり、これなら世の中の自己チューさんにもご納得いただけるのではないでしょうか。そもそも病気を治すのは患者本人であり、医師や看護師はその手助けをしてくれているのだと私は思うのです。治りたいと思うなら、患者本人にできることはやる、「誤認防止のため、投薬や注射などの前にはご自身で姓名をおっしゃってください」と言われたら、次からはいちいち言われなくても名乗るのが患者のあるべき姿だと思うのですが、どうでしょうか?
もし私が看護師だったら、患者本人に治りたいという意欲を持ってほしいと願います。たとえ治らない病気だと分かっているような場合でも、QOLを少しでも向上させるため、余生をよりよいものにするため、そういう意欲を持って努力してほしいと願います。患者としては、病気をすれば気分も落ち込んで、呼ばれても返事をしたくないようなときさえありますが、看護師は、そうした願いを持っているがゆえに、自ら進んで名乗るというところから始めてほしいと思うでしょう。手を挙げて「はい、○○○○です、注射よろしく」なんて言ってもらえたらうれしいでしょうねぇ~(^^)。
何だか随分前のドラマだな~、このごろやたら再放送が多いな~と思いつつ、途中から見たのについつい最後まで見てしまい、あることを思い出したので、自己防衛ということについて幾つか書こうと思いました。そのドラマの内容と直接関連した事柄については明後日に書きます。
昔、東京で暮らし始めたとき、先輩から、「自宅の電話を取るときに名乗ったらだめだよ、『はい』とだけ言って、相手が『○○さんのお宅ですか』と言ったら『そうです』と言えばいいから。そうしないと後が大変だよ、変な電話いっぱいかかってきちゃうよ」とアドバイスされ、以来、地方都市に引っ越した今もそれをずっと守っています。
実際、うちが○○だと分かっている人は「○○さんのお宅ですか」だし、セールスなら「奥様でいらっしゃいますか、本日は△△のご案内を・・・」だし、最近はめったにないけれど、いたずらなら無言か「はぁ~はぁ~」だし、「はい」だけで私だと確認できる人は「あ~、あたし、あのさ・・・」で話が始まるし、電話を受けた側がいきなり名乗る必要など全くない、むしろ自己防衛のためにはこちらから名乗らないほうがいいと考えています。これが「名乗らない自己防衛」です。
ついでにいうと、受け手は「はい」ですよ、「もしもし」ではありません。「もしもし」は呼びかけの言葉で、「これから申す」という意味ですから、例えば、「もしもし、○○さんのお宅ですか、私は△△の□□と申します」というように使う言葉です。ましてや、電話を受ける側は、顔の見えない相手からいきなり話しかけられるわけですから、ひょっとして、振り込め詐欺の電話かもしれないのですから、とりあえず「はい」とだけ言って相手が何か言うのを待てばいいのです。実際、ネットで「名乗る」と入れて検索すると、「○○を名乗る不審者にご注意ください」とか、「○○と名乗る不審な男が・・・」とか、詐欺事件に関する内容ばかり出てきますからね。
それから、「名乗っていただき」で検索すると、医療安全、リスクマネジメントに関する内容のものがたくさん出てきます。「患者さん誤認防止のために名前を名乗っていただき」とか、「患者様ご自身でフルネームを名乗っていただき」とか、「~でフルネームを確認し、さらに、患者様にも名前をフルネームで言っていただいております」とか、患者の取り違え事故を防ぐためにリスク管理マニュアル等にそういう文言をはっきりと記載し、いろいろ注意しているんだなぁということが分かります。
「名乗る(名告るは常用漢字の音訓外)」とは、自分の姓名や身分を他人に告げること、という意味で、昔から現代に至る用法からいっても、この言葉自体に善悪や上下関係といった概念はないようです。「ここに姓名を書いてください」「ここに姓名を書いていただいて」と同様に、「姓名を名乗ってください」「姓名を名乗っていただいて」という言い方に違和感はありませんが、名乗る相手が「私」であってはいけないように思います。面と向かって、相手に、私に向かって名乗ってほしいということを伝えたいなら、「ご自身で、名前を、フルネームでおっしゃっていただけますか」というふうになります。「担当の者に姓名を名乗ってください」「担当の者に姓名を名乗っていただいて」と、第三者が言うなら、また、マニュアル等に書くなら、問題ありません。
私が盲腸の手術をして入院していたとき、妹が見舞いに来てベッドに腰掛けていたのですが、私がトイレに行って部屋に戻ってくると、看護師さんが妹の脈を計っています。看護師さんは私に気付いてじっとながめてはいるのですが、そのまま妹の脈を計っています。しばらくして、きょとんとしている妹の顔を見て、パジャマ姿で立っている私を上から下までじーっと見て、普通の洋服を着ている妹をじーっと見て、その後は全員大爆笑です。私は苦痛にもだえながら大爆笑です。本当にもぉ~、傷口が開くかと思いましたよぉ~( ̄・ ̄;)。
これが脈の計測だからよかったようなものの、注射だったらどうなったでしょうか? さすがにそのときは妹が抵抗するだろうとは思いますが・・・、当時は本人確認ということがあまりやかましくいわれておらず、採血でも、注射でも、私が半眠りの状態でもそのまま静かにす~っと済ませていったものですよ。でも、最近は事情が違いますね、医療現場の労働条件はますます厳しくなり、医療に関して素人の私でさえ予測できてしまうような、起こるべくして起こるというような医療事故も見られ、患者の側はというと、何か起きたら訴えるというふうに強気になるばかり。それで病院側がさまざまな工夫をするのはいいことですが、患者本人は何も協力しないというのは非常によくないことで、患者の側でも事故を防ぐ努力をしなければいけないのです。
患者の側で考えても、協力してくれと言われるから、ではなく、己を守るためには、自分でできることは何でもやる、いわば「名乗る自己防衛」であり、これなら世の中の自己チューさんにもご納得いただけるのではないでしょうか。そもそも病気を治すのは患者本人であり、医師や看護師はその手助けをしてくれているのだと私は思うのです。治りたいと思うなら、患者本人にできることはやる、「誤認防止のため、投薬や注射などの前にはご自身で姓名をおっしゃってください」と言われたら、次からはいちいち言われなくても名乗るのが患者のあるべき姿だと思うのですが、どうでしょうか?
もし私が看護師だったら、患者本人に治りたいという意欲を持ってほしいと願います。たとえ治らない病気だと分かっているような場合でも、QOLを少しでも向上させるため、余生をよりよいものにするため、そういう意欲を持って努力してほしいと願います。患者としては、病気をすれば気分も落ち込んで、呼ばれても返事をしたくないようなときさえありますが、看護師は、そうした願いを持っているがゆえに、自ら進んで名乗るというところから始めてほしいと思うでしょう。手を挙げて「はい、○○○○です、注射よろしく」なんて言ってもらえたらうれしいでしょうねぇ~(^^)。