江戸期の石州往還は吉和地区と匹見地区の境である御境から俣矢ケ原(国道488号は広見地区に大きく迂回)へ通じていたが、万丈川を遡りニソウ谷から御坂峠を越えて赤谷、俣矢ケ原に向う間道もあった。
10数年前、俣矢ケ原で田んぼを作っておられる方が、かつての峠越道であった掘割りがあると教えて頂き平成20年(2008)に探訪した。かつて木地屋足跡探訪で西中国山地を巡っていたが今は熊の生息域を徘徊する勇気は無くなった。
今日も元気で徘徊。。。。~~~
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