冠高原は江戸期には波牟佐宇原、萬象ケ原などといわれる湿草原だったようである。地域の方の話によると山県郡の人が入植して木鍬で開拓したそうで高原の中ほどに供養塔が建てられている。この供養塔には法名など刻してあるが開拓先駆者は山県郡に葬られているようである。戦後の昭和21年(1946)に広島県の開拓政策により西山開拓団が入植して昭和30年代にはスキー場が設けられ冠高原と称されるようになったようである。
冠高原は江戸期には波牟佐宇原、萬象ケ原などといわれる湿草原だったようである。地域の方の話によると山県郡の人が入植して木鍬で開拓したそうで高原の中ほどに供養塔が建てられている。この供養塔には法名など刻してあるが開拓先駆者は山県郡に葬られているようである。戦後の昭和21年(1946)に広島県の開拓政策により西山開拓団が入植して昭和30年代にはスキー場が設けられ冠高原と称されるようになったようである。