厳島神社の東廻廊入口の石段右脇に建立されている鋳造燈籠で、燈籠の竿部分の銘文をみると天明8年(1788)正月に萩の鋳物師である郡司信向が鋳造している。鋳物師の郡司信向は始め七兵衛信尚と名乗っており安永頃に七兵衛信向と改名している。この燈籠は信向時代のもので寛政初め頃に再び七兵衛信尚に復している。
厳島神社の東廻廊入口の石段右脇に建立されている鋳造燈籠で、燈籠の竿部分の銘文をみると天明8年(1788)正月に萩の鋳物師である郡司信向が鋳造している。鋳物師の郡司信向は始め七兵衛信尚と名乗っており安永頃に七兵衛信向と改名している。この燈籠は信向時代のもので寛政初め頃に再び七兵衛信尚に復している。