河愛川公園内の戦没者慰霊碑脇に設置してある四十口径安式十五糎砲身で何度か紹介しているが、以前は綺麗に塗装されていたが現在は塗装が劣化している。この四十口径安式十五糎砲身は大正13年(1924)7月に平良村在郷軍人分会が呉海軍軍需部に保管されていた廃兵器を譲り受け、速谷神社に奉納したものである。速谷橋付近に戦没者慰霊碑が建立されこの砲身が設置され、のち現在地に再建立されて慰霊碑の上部に設置されていたが、地震時に危険を伴うため慰霊碑脇に降ろされた。
河愛川公園内の戦没者慰霊碑脇に設置してある四十口径安式十五糎砲身で何度か紹介しているが、以前は綺麗に塗装されていたが現在は塗装が劣化している。この四十口径安式十五糎砲身は大正13年(1924)7月に平良村在郷軍人分会が呉海軍軍需部に保管されていた廃兵器を譲り受け、速谷神社に奉納したものである。速谷橋付近に戦没者慰霊碑が建立されこの砲身が設置され、のち現在地に再建立されて慰霊碑の上部に設置されていたが、地震時に危険を伴うため慰霊碑脇に降ろされた。
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