洞雲寺西墓地にある厳島神主家で桜尾城主であった藤原興藤の墓碑で、この宝篋印塔には「興藤 天文九年庚子夘月日」と刻されている。
長府功山寺蔵の洞雲寺誌によると「位牌面 東光寺殿玉叟長琳大居士 天文十年辛丑四月六日也」とあり、他文献でも没年は天文十年(1541)とあるので、この宝篋印塔は興藤が在世中に建立した逆修塔ではないかとみられている。
洞雲寺西墓地にある厳島神主家で桜尾城主であった藤原興藤の墓碑で、この宝篋印塔には「興藤 天文九年庚子夘月日」と刻されている。
長府功山寺蔵の洞雲寺誌によると「位牌面 東光寺殿玉叟長琳大居士 天文十年辛丑四月六日也」とあり、他文献でも没年は天文十年(1541)とあるので、この宝篋印塔は興藤が在世中に建立した逆修塔ではないかとみられている。
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