原長野地区にある鎮神堂で台風により以前の堂が倒壊したために現在の堂は平成5年に再建されたものである。この地には元浄楽寺があったところで廃寺になってからその跡に小堂を建立し、寺の縁者が代々祀っておられ明治時代に庭園風に整備されたようである。更新の活力になります! ポチッとね!
宮園公園にある時計塔で定時に廿日市市のイメージソング「緑が空を包む日」がながれるようである。廿日市市のイメージソングは昭和63年(1988)4月1日廿日市市制施行記念に作られたもので、現在も使用されているかは定かでないが市役所の電話待ちにながれるさわやかな音楽である。更新の活力になります! ポチッとね!
速谷神社前交差点の手前左側の民家裏手にある平楽地蔵堂で、中世の速田社(現在の速谷神社)と関わりのあった平楽寺の名残りを伝えてくれる。かつての平楽寺は速谷神社前郵便局付近にあったものとみられ、この付近の小字は堂垣内でバス停にも使用されており平楽寺の名残りを伝える地名でもある。更新の活力になります! ポチッとね!
昔、廿日市との関わりの深かった本郷村(現岩国市本郷町)の旧役場近くのメインストリート面した町屋で、2階に手摺のついた出縁が設けられている。かつては町並みが続いて田舎の都会であり役場近くなので、手摺のついた出縁などから料亭か遊郭の跡ではなかろうか・・・更新の活力になります! ポチッとね!
かつては厳島神社の回廊など各所に奉納された多くの絵馬が掲額されていたが、現在はその一部が千畳閣に掲げてある。この絵馬は天保10年(1839)に伊予今治の絵師山本雲渓が描いた「武松虎退治の図」で、中国の明代に書かれた小説「水滸伝」の一場面で故郷に帰る途中、偶然出会った景陽岡の人食い虎を退治したという話しを描いたもののようである。更新の活力になります! ポチッとね!
今年廿日市4代目桜島大根が出来て現在花が咲いており、この種を実らせて来年は5代目を栽培する予定である。在来大根と交配したものとみられるものが1株あったが、他の4株は桜島大根の性質を受け継いでおり大きいもので畑上に出たウエストは84㎝であった。来年はどのようになるだろうか楽しみである。更新の活力になります! ポチッとね!
塩屋地区の高台で山陽自動車道(正しくは広島岩国道路) 沿いにある大田神社とその周辺の桜並木は満開である。広島岩国道路の築造で大田神社も現在地に移転して周辺に桜の木が植えられたようである。ここから妹背の滝入口までの側道沿いには桜の木が植えられており、満開の桜並木が国道2号線からも遠望できる。更新の活力になります! ポチッとね!
上平良地区にある民家の土蔵で出入口の庇部分に設けられている漆喰細工の蔵飾りである。庇の持ち送り部分の外側には花と葉文が表わしてあり、内側は葉文が表わしてある。また屋根の破風先端部には葉文が表わしてある。更新の活力になります! ポチッとね!
先日の桜満開越しのすばらしい洞雲寺の景観を紹介したが、参道の桜並木の反対側はご覧のように山の一部が取除かれている。縁日である「とおーんじ」の日にはこの参道両側には己斐の植木露店などがずらり並んで賑やかであった。子供の頃は迷い子になるのではと思うほどの人並みであったのであるが・・・更新の活力になります! ポチッとね!
佐方川右岸でJR山陽本線鴨原踏切の上流側の堤防土手に植えられている桜並木でここの堤防は小公園化されている。この付近の佐方川は天井川であり佐方フラワー通りは川床よりずい分と低い位置にある。ここの桜並木も都市計画道路畑口寺田線が通るために近い将来一部取除かれることになるようだ。更新の活力になります! ポチッとね!
洞雲寺参道に植えられている桜の満開越しに洞雲寺を遠望する景観は素晴しいものであるが今年が見納めになりそうだ。参道入口の住宅はすでに撤去され工事の槌音が間近まで迫っており、この景観の消滅は時間の問題である。更新の活力になります! ポチッとね!
可愛川右岸のJR山陽本線と平良大橋の間にある可愛川公園の桜は満開であった。公園内には以前紹介した慰霊碑とその脇には大砲の砲身が設置されている。この砲身は英国アームストロング社製で明治・大正期の戦艦に使用されていたものである。更新の活力になります! ポチッとね!
岩国市美和町にある美和歴史民俗資料館に、室町時代廿日市の鋳物師である久枝綱家が鋳造した鉄燈籠が展示してあった。山代衆(旧美和町、錦町、本郷村、美川町一帯の土豪をいう)の中村氏が先祖の菩提を弔うために建立されたもので、中世から廿日市と山代地方との関係が窺われるのである。更新の活力になります! ポチッとね!
上平良地区にある大歳神社の桜はほぼ満開であり、この土曜・日曜日くらいが見どころであろう。境内ぐるりと巡らせた玉垣とずらりと並んだ石燈籠は圧巻であり隠れた名所である。石燈籠の中には女剣劇の女王不二洋子の寄進したものもみられる。更新の活力になります! ポチッとね!
現在のポストはほとんど金属製の箱型(角型)をしたものが多く見られるが、平良小学校の校庭には懐かしい円筒状の通称「丸ポスト」があった。この丸ポストはお役目を終えたもののようであるが、地方の一部には丸ポストが今でも現役として残っているところもあるようだ。更新の活力になります! ポチッとね!
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