気がかりなことを一言。新聞報道によると6年目を迎えた9.11の追悼行事は、再開発が始まった為グランドゼロ近くの公園に移動して開催されたという。遺族の一部からクレームが出た一方で、新たな動きが出始めたことが報じられている。
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年は当地メディアの扱いに変化が起こったという。衝撃的な事件から6年経ち「何時まで追悼すればいいのか」という問いかけに始まり、所謂「9.11疲れ」とか「追悼疲れ」現象が出てきた。追悼式を最後まで中継しないテレビ局も出たそうだ。
しかし、単なる風化というより教訓を生かして前向きで地道な活動に転換しつつあるというのが報道を見ての私の印象だ。今までの家族を失った悲しみに満ちた感情的な行事から、テロの悲劇を繰り返さない市民レベルの外交から教育活動など前向きな動きが報じられている。
他の国ではどうだろうか。今も直接テロの脅威に曝されている欧州を中心に世界各地で問題を共有する追悼式が行われたという。一方、日本でも各地の宗教関係等の施設で追悼式が行われたようだが調べた限り新聞・テレビは全くといってよいほど日本での活動を報じていない。
9.11の犠牲者2700人余のうち日本人が24人含まれているのだが、何故か日本では関心が無いように感じる。テロは依然世界にとって最大の脅威の一つのはずなのだが。
原因の一つは安倍首相辞任というビッグニュースと重なったことであるのは間違いない。米国が強引に進めたイラク戦争(有志連合国が参戦したが)が泥沼に入り、対テロ戦争が誤った戦争と認識され厭戦気分が広まったことも原因している。
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大の理由は、しかしながら、メディア自身がテロは遠い国で起こっている他人事と見做し、ニュース価値がないと考えているからだと思う。イラク戦争が始まったとき毎日見かけた中東やテロの専門家も最近ではとんとお目にかかれなくなった。
もしかしたら日本が最もテロの脅威が風化した国ではないだろうかというのが私の印象だ。イラクで日本人犠牲者が出た頃と今とでは大違いだ。日本は世界中でビジネスをし、企業の利益の殆どは海外から得ているのだが、テロだけはグローバル化していないと無意識に考えている。
テロ特措法は戦争行為の一環と見做す憲法解釈上の判断でその賛否はあって当然だ。しかし、何のメッセージも聞こえない。世界市民として問題を共有しともに解決して行こうという気持ちが無く、ただ「アッシにはかかわりの無いことです」という姿勢は別の形の一国平和主義と軽蔑を受けることにならないだろうか。
私はメディアが責任を果たしていない、もっと頑張って発信して欲しいと考える。テロというと米国のごり押し非難しか思い浮かばない発想の貧困さが、結局日本を世界市民と共感をもたない特別な国にしてしまうのではないかと考えるが如何なものだろう。■