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兆は1ヶ月前頃からインターネット・カメラから覗かれる母の生活に変調を感じたことだった。今まで決まった時間に起床し就寝、食事をしていたのに時間が一定しなくなり、暗い居間で座椅子に寝転がっている時間が増えた。起きている時は口を動かし何かを食べている時が多くなった。
母の異変を感じて今年はいつもより1ヶ月早く田舎に行く事にした。田舎での生活が長くなることを覚悟し今回は事前に中古車を購入した。東京から愛媛まで家内と運転を交代しながら先週金曜日に帰省した。途中家内の母が直前に入所した松山市郊外にある介護院に立ち寄り見舞った。
義母は家に篭るようになってから長いが、最近ベッドから落ちて腰の骨を折り寝たきりになった為、家族の手に余るようになり入所したという。彼女の顔つきとか会話は依然しっかりしているように感じたが、体全体がとても小さくなった感じを受けた。
家内に言わせると、義母はここから生きて出ることは無いという諦観のようなものが表情に出ていたといっていた。将来私の母が利用することを考え、担当の方に時間を頂いて施設の紹介、入所の条件やサービスと費用などについて説明を受けた。
その後、実家に戻ると母の見る影も無い姿にショックを受けた。顔全体がむくみ表情が乏しく反応が遅い。上記の介護院にいた年寄りの方の方が余程生き生きしていた。家の中は湿っぽく何だかションベン臭かった。土曜日に一泊した家内が東京に戻る為空港に向かう途中、実家のトイレの床やスリッパが濡れていたと教えてくれた。
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の問題がどうも母の変調のキーワードだった。家内を空港に送って帰宅後、その気になって調べると、トイレだけでなく家中のあちこちに「下の問題」の痕跡が見受けられた。
一方、食事は、月水金はケータリング・サービス、火曜日は介護ヘルパーさんの料理を食べ、残りの木土日を自炊にしていた。だが実際はご飯を炊く以外いわゆる調理はせず、ヘルパーさんが買ってきてくれた豆腐をそのまま奴で食べるといった食事で済ませていたようだ。
しかし、食欲はきわめて旺盛で、家内の実家で持たせてくれた買い物袋一杯の蜜柑とかビワ1箱を5日間くらいであっという間に食べてしまった。一度外食した時は東京のお店の1.5倍くらいの量がある天麩羅うどんを残さず食べた。この傾向は今年の年末年始にもあった。
ところが食後に服用していた薬やインシュリンを打っている様子がなかった。聞くと暫く医者に行ってないという。いつも口をもぐもぐさせており、歯がひどく悪くなっているらしい。かかりつけの医者や歯医者に行こうというと、いやだという。何時から悪くなったか聞くと覚えていないという。
状況が思ったより悪い。少し様子を見てと思っていたが、早めに専門家の意見を聞くべきと考えていつもの介護センターに連絡し昨日午前中に来て頂いて相談にのって頂いた。元看護婦さんだったベテランのカウンセラーMさんを含む二人の方と話すうちに、母は失禁するようになったことを認め少しずつ話してくれるようになった。
カウンセラーのMさんは一通り聞いてくれた後、母は歩いてトイレに行け食事も出来るので、微妙なところだが総合して介護保険の適用の申請をしてもいいレベルにあると判断してくれ、申請の手続きの書類を頂いて依頼する旨サインをした。しかし、その前にかかりつけの先生に診てもらって状況を説明することとした。
その後直ぐカウンセラーの方に教えてもらったオムツを買いに近くのドラッグストアーに行った。色々種類があって何を買っていいのか分からず、店員の助言で成るべく長く使えそうなパンツ型の紙オムツと4回分の尿を吸収するパッドを買った。レジの若い女の子の前ではチョット気恥ずかしい、僕のじゃないよと言わなくても良い馬鹿な言い訳をし、彼女が照れ笑いするという変な事態になった。
要介護から即入院に
その日の午後、カウンセラーに言われてその気になった母を連れて、急遽掛かりつけの先生に診て頂いた。先生は最後に診たのが4月10日で1ヶ月分薬を出していたから、約1ヶ月薬を飲んでないことが分かった。
血糖値が597と異常に高く「即入院」、その後の尿検査でケトン(KET)が出ていた為「今すぐ入院」、他のものは後で良いから取りあえず寝巻きと歯磨きをもって直ぐ入院しなさいといわれた。実は4月に入院を勧め母は断わっていたらしい。
先生は後で私を呼んで「きちんと薬を飲み、食事をコントロール出来ないことが入院の理由」と言われた。やや医者の怒りのようなものが感じられた。その後市立病院の先生に紹介状を書いて頂き、一旦実家に戻り入院に必要なものを準備して車で急いだ。といっても実は出かける前に化粧品を取りに車と家の間を何度も往復し、結局バック2つの荷物と紙おむつのパック2つを車に積み込んだ。
市立病院に到着すると既に連絡が付いており通常の窓口の手続き、内科の手続き、入院の手続きを順番に行いやっと4人部屋のベッドにたどり着いた。窓側の2ベッドは塞がっており、自宅と同じむきになるベッドを選び、荷物を整理して備え付けのもの入れに収納した。
その間に掛かりつけの医院での測定から始まって血圧が180、210、158と目まぐるしく乱高下した。母もよほど不安だったのだろう。内科の担当の先生は昨年2月に入院したときと同じ方で少し安心した。カルテを覗き込むと母の体重がその時37kg、今回48kg、1年半足らずで11kgも増えたことになる。
結果的に異常な食欲を放置したのが悔やまれる。食べ過ぎをたしなめると母は手がつけられなくなるほど酷く不機嫌になって、年寄りの唯一の楽しみを奪えないとの理屈で妥協してしまった。その場に直面すると難しい。
余談
母の変調の原因は「下の問題」が原因ではないかと思う。洗濯物は全て家の廊下に干し乾燥機で乾かすようになった。廊下の干し物を見ると下着が黒く汚れていた。この1-2ヶ月くらいで状況が悪化し、失禁を恐れて外に出なくなり、掛かりつけの医者に行かなくなったのではないだろうか。
若干「認知症」の気配を感じた。掛かりつけの先生は一度専門の先生に診てもらえと薦めて頂いたが、市立病院では反応はハッキリしていると言われた。年をとれば失禁になっても可笑しくないと言い、履きやすいオムツを買ってきてくれる身内もいなかった。申し訳ない気がした。
市立病院はいわゆる総合病院だがどの自治体も赤字経営で困っているはずと、上記の介護センターのカウンセラーの方に聞いてみると、先生の数がかなり減っており介護の面からも不安に思うことがあるといわれていた。
市立病院内には産科があったが、看護婦さんに聞くとある意味予想通り産科は閉鎖したという。市内には個人経営の産院が2、3残っているだけという。産科が減少しているという報道は私の田舎も例外ではなかったようだ。
母の保険証は悪評高い後期高齢者保険だった。数日前に母に来た基礎年金の通知には2000円の天引きがあった。2ヶ月に一度なので年間1万2000円の保険料となる。母は天引きされていた事すら知らず、その旨教えても特に怒ることもなかった。■