隣の集落から春祭りに招かれたと、先月「田舎暮し雑感」で紹介した。曽祖父が集会所に土地を融通したことを忘れないで、今でも招待されるのだそうだ。地区長によると戦前は実家のある集落に地主が住み、招いてくれた集落は小作が住んでいた。だが、それは少なくとも70年以上前のことだ。それにしても未だに敬意を払ってくれるとは随分記憶力が良い人達だ。
うちに残っている古い文書を調べると江戸末期から明治頃の活動を想像させるものが残っている。最近、文書以外にも曽祖父の存在を感じさせることがあった。
小作とか年貢というと凄く昔の言葉のように感じるが、この言葉はまだ生きている。近所のオジサンが未だに毎年「年貢」なるものを収めに来る。戦後の農地解放後も所有権は私が相続しているが耕作権は他所の農家にあるもので、今でも耕作料(年貢)を収めてもらっているわけだ。田舎道の角にある三角地で、農地としては殆ど値打ちがない。
そのオジサンから、母が入院し自分も年をとったので、老人二人が生きている間に小作の畑を売るか買うかしたい、と申し出があった。今まで母に申し出ていたが、言葉の行き違いや誤解があってうまくいかなかったが、今回私が病院の母に聞き転売していいと確認した。オジサンの申し出は平方mあたり1万円弱で、知人に聞けば相場以下らしいが了解した。
先月中頃、二人で市役所の農業委員会に出かけ申請した。農地の売買は許可制であることを事前に確認していた。担当によると、昨年農地転売が買い取る側の審査を厳しくやるよう見直されたそうで、売主の私は本人確認の謄本の写しを提出する程度で終った。後はオジサンが基本的に農業を真面目にやっているかどうかを問い合わせる質問が続いた。
1時間程度で手続きが終りその日は帰った。先月末に委員会で審査され、今週月曜日に許可された旨連絡をうけた。直ぐにオジサンと市役所に出向き書類を受け取り、その足で市内の代書屋に出向き契約と不動産所有移転の登記に必要な書類作成を依頼した。印鑑証明を送ってくれるよう東京の自宅に依頼していたので、最終的に支払いを受け手続きが終るのは来週になる予定だ。
この機会に初めて実家の宅地と農地や山林の登記書をしみじみと見た。登記書は曽祖父の名前から始まり、早死にした祖父の名前がどこにも出てこない。曽祖父時代の土地が時代を経て堤防や道路に収容され、切り刻まれて農地としては極めて小さい数百平方mの小さな土地が沢山あった。そこに江戸末期から現代までの歴史を感じた。
先立って、県法務局の支局に行き地図を確認したが、現在状況と一致してない部分が多い。存在しない三角地もある。今50-60年ぶりの「国調(国土調査、国勢調査とは違う)」中だそうで、まだ実態とは相当に異なる。蛇足だが、にもかかわらず固定資産税が正確に来るのは実に不思議だ。
市役所から来た固定資産税の通知を調べると、この細切れ不動産の固定資産税は数百円、山林だともっと安く数十円という通知が来ていた。今まで調べたことも無かったが、土目が変わると通常の農地サイズでも固定資産税は一気に跳ね上がる。農地を木材置き場用に地目変更したものは300倍の税金がかかることがわかった。
気になって貯木場として貸している製材所に問い合わせると、昨日社長と子息が来られて最近仕事が激減したが製材業を続ける意思を確認させてもらった。住宅市場が不振で、売り上げがピーク時の2割に減少し、社員の8割を辞めてもらい何とか繋いでいるという。
これでは、値上げをお願いするどころではない。偶然にも私が勤めた同じ会社の研究所に勤めていたと分かった子息との話に向かうしかなかった。日本でも名の知れたハイテック研究所の研究者が林業や製材業に関るのも悪くは無い。ということで今年は現状維持、来年は見直すことで終った。曽祖父もこういう展開は予想もしなかったろう。■