普天間基地の移設問題についての今月4日の鳩山首相の抑止力発言以降、メディア各社の報道のトーンが微妙に変わったように私には感じる。この発言直後は、今頃になって海兵隊が沖縄にいることが抑止力を維持していることを学んだという、一国の首相とも思えないアマチア発言に驚き各社厳しい評価を下した。
その後激しい反対運動の報道は続くが、どうも記事の切れ味が悪くなった気がする。アマチア首相が発した「抑止力」という言葉に戸惑い、よって立つべき基本の考え方が各社マチマチだからではないかと私は推測する。即ち、抑止力がどういうもので我が国とって何故必要なのか共通の理解が無いためではないかと私は考える、かく言う私もだが。
抑止力は日本の安全保障をどうするか、基本になる考えだと私は思う。多くの国民の目には現在の日米同盟を軸にした安全保障体制は、かつて絶対反対でまともな議論すらしない野党の存在の前に、議論を深化させること無く歴代の自民党政権が構築維持して来たといってよい。
今回の首相発言で報道各社は抑止力についてどう考えるか見直し掘り下げることを私は期待した。その過程で報道各社のスタンスが明確になり、与野党の考え方もより具体的になるだろうと予測した。首相が何故抑止力の為沖縄に海兵隊基地が必要と考えたか知りたいと。
だが、社民党の福島大臣の反対発言を除き内閣や与党幹部の発言が続かなかった。反対運動する高校生に聞かなくても良いが、反対を後押しする福島氏には安全保障や抑止力をどう考えているのかメディアは聞くべきだ。総論を抜きにして各論で反対意見を伝えるだけでは無責任だし、そこからは何も学ばれず生まれないように私は感じる。
個別問題と総論の間の折り合いをつけ政治決断する勇気が欠けているのは、何もアマチア首相だけではなさそうだ。視聴者や読者を失うことを恐れて避けて通っていると思うと残念だ。それとも、メディアも議論すべき考えが纏まっていないのだろうか。表立って議論し国民の理解を深めるのはこの機会を除いて無い様に感じるが。差し迫った危機時に直面して初めて考え道を誤まるのは歴史の教訓だ。
話は脱線するが今朝方、WHOが海外渡航しての臓器移植するいわゆる「渡航移植」を自粛するよう新指針を発表したニュースが伝えられた。これは国内の基準で臓器移植を難しくさせる一方で、困った日本人が海外に渡り臓器を金で買って移植する身勝手さ、個人や家族ではなく国としての身勝手さに共通する問題のように感じるのは私だけか。■