昨日の新聞テレビは一斉に第2次世界大戦に関るニュースを報じドラマ等を流した。私が目にした中では、戦争の「被害者」としての立場からの報道が圧倒的に多いという印象があった。第2次世界大戦では300万人もの方が亡くなったのだから、被害者の立場にたつ記憶に事欠かないだろう。
だが、中国・韓国や東南アジア諸国は、日本を先ず戦争の加害者であると見做している。自国が起した戦争の被害者ぶる前に、加害者であったことを忘れてはならないと私は考える。そういう視点から、新聞がどう考えているか気になり、朝日・読売・日経3大紙の社説を読み比べてみた。
先ず気がついたのは、見出しで朝日・読売は「終戦」といい、日経は「敗戦」といっている点だ。既にこの段階で姿勢の違いが分かる。「終戦」という見出しはそれ以降の記事が信頼できるか疑わしいという気持ちにさせた。日本は第2次世界大戦に無条件降伏したのであり、終戦と言い換えるのはゴマカシの象徴的な例だと私は思う。
日経はなぜ無謀な戦争に走ったか徹底検証し、同じ失敗を繰り返さない努力をせよと説き、日独伊三国同盟から対中・対米政策の失敗をあげて、国際情勢の甘い分析と国内の情緒に依拠した外交政策が国を誤まらせた、加えて多くのメディアや世論が拍手を送ったと指摘した。
読売は先ず直前のソ連軍侵攻を取り上げ北方領土の回復を主張している。続いて、原爆投下による被害と同時に日本が国際情勢を見誤り無謀な戦争を始め、中国や東南アジアの人々に多大な惨害をもたらしたと付け加えた。最後に国際的に受け入れられる戦没者追悼の取り組みを指摘している。
朝日は何故戦争を引き起こしたか原因追求するより、今日の閉塞感を改革されない官僚制による「仕切り資本主義」と「人任せ民主主義」の問題と指摘し、現民主党政権へ「昭和との決別」をせよと呼びかけている。毎年のことだから今年は趣向を変えたのかもしれないが、「終戦」の日の社説としては風変わりだ。
朝日の社説は一言で言えば酷いと思う。被害者であると同時に加害者であったという視点が欠けている。国際的な視野がなく、弱者であれば正義である的な今日の風潮そのものだ。大局観が感じられないし、日経の社説あったような新聞に煽られた世論が満州侵攻を喝采した、という反省が全くなかった。
読売と日経の社説は、程度の差はあるが日本人が戦争に対してしなければならない外向きと内向きの反省をきちんとした上での主張であり、その内容は異なっても主張として読むに値すると思う。私が最大の反省とすべきは国家を誤らせてはいけない、その為には政治・官僚システムだけでなく、メディアと国民の覚悟が必要だったし今もその姿勢が求められると考える。■