還暦をとっくに過ぎた私がいうからには、相当前の昔のことだ。第2次世界大戦前後に青春時代を迎えた、つまり母と同年代の大正末期から昭和一桁に生まれた人達のことだ。実家のある集落に昔から住んでいる人達が集まって東屋で食事会をやった。
仕出し弁当をつつきながらお酒を飲んで世間話をするもので、昔農家が数少ない娯楽の一環で農閑期の行事とかお花見が形を変えて続いているものだ。まだ皆が若かった頃は車で遠方に行き1-2泊していたらしい。私の母も参加していたらしい。私以外の参加者は母の年代で、私ともう一人を除いて全員後家さんだ。自然話題は戦中戦後の彼らの青春時代の事になる。
話はNHKの連続ドラマから始まった。オバサン達のガールズトークは省略するとして、ドラマで出てくるダンスホールみたいなものは、戦争直後全国に広がり山奥の田舎にもあちこちにダンスホールが出来たらしい。隣村にダンスに行って来る、みたいな感じだったらしい。
なんと、杖がないと歩けないこの80過ぎの老農夫が、当時ワルツの名人といわれたという。ホンマかいな。本人は否定しないから本当なんだろう。驚いたのはダンスホールに行く時は必ずドス(匕首)を持って行ったそうだ。ドスが無い奴は鑢(ヤスリ)を砥いでいったと彼は言った。
それじゃまるでヤクザじゃないかと聞くと、その頃は世の中全体がそうだったという。彼によれば兵隊から戻った多くの若者達はそんな気分だったという。鑢は刺すと途中で折れるから厄介だったと聞いて、生身に刃物が刺さる瞬間を想像して気持ち悪くなった。
大分お酒が回ってきた。そのオジサンと隣に座った後家さんはやたらとお酒を飲む。話はもう亡くなった豪傑の暴露話に移っていった。最近亡くなった近所のオジサンはあちこちの後家さんに次から次へと手を出した。彼のお父さんはもっと凄かった、いやいや誰々さんはそんなものじゃない、あーしたこーした、等等。
いやはや聞くだけで昔の人は凄かった。話半分?それでも信じられない。だが、後家さん達も相槌を打って知っている様子だったから本当なのだろう。それに比べると今の若い人達は何と大人しい品行方正なことか、と思った。何でそうなったのか。
一つには、実家のある集落はこの地方で最も裕福なところと見做されているようだから、多分そうするだけのお資力があったのだろう。それに、特に田舎では酒と女以外に楽しみが無かったから、というのが彼の結論だった。私もスケベ心だけは当地の男達を引き継いでいるかもしれない。
与太話は何時までたっても尽きなく日が山の端に陰り、風が冷たく感じる頃になってお開きになった。残り物をお重に片付けて帰っていく丸い背中を見ると、今までの元気さが嘘のような老いを感じて少し寂しくなった。私の病気が万が一の事態になっても、何時でも東屋を使ってくれと言い残した。いずれにしろ夕食は残り物とお酒で済ませられる。これが今日の結論。■