今年の初め「朝日の変心」と題して、朝日新聞のある記事を私は高く評価した。それは昨年12月30日に掲載した記事「リスク社会に生きる」で放射線リスクの世界基準との比較と、喫煙や飲酒等のリスクとの比較をすることにより、過剰な放射能アレルギーの蔓延に一石を投じた。
又、翌日の社説で消費税増税について「痛みを先送りするな、選挙で有利か不利かで政治をするな、さもないと国家破綻の危機を招く」と説いた。朝日新聞を福祉アレルギーの権化と思っていた私は、従来報道との違いを「朝日の変心」だと受け止めた。
これら一連の報道は、最近の度の過ぎたポピュリズム報道と政治の流れを変えるかもしれないと期待した。実は、読売や日経等の有力紙の社説でも消費税増税に賛成する論調を何度か見かけている。だが、昨今の報道を見聞きした範囲では主要新聞社説の後押しがあっても、消費税増税法案の国会審議は難航している。
最近は新聞を読まない人が増えたというから、新聞の世論への影響力が無くなったのかも知れない。社説だけではなく新聞全体を見なければ世論への影響は測れないかも知れない。新聞全体としては政治面等の大々的な政局報道がメインで、社説の消費税増税賛成は非難された時のアリバイだと、私は以前決め付けたことがある。
この疑いに応えたかのように、今月13日の朝日新聞コラム「政治考」(星浩編集委員)で消費増税論争はメディアにも「歴史的使命」があると説いた記事に私は注目した。私がいつも不満に思っている問題をズバリ指摘しいていた。その部分を以下に抜粋する。
「欧州が債務危機にもがいている。・・・そんな難しい時代に、消費増税を報じる政治メディア(私自身も含めて)が気になる。政争を報じることには熱心だが、肝心の与野党間の政策論争には関心が薄い・・・」、「・・・小沢一郎元代表のグループが法案採決で造反必死だとか、反小沢勢力が反発しているとか、そんなニュースが多すぎないか。」、「権力闘争に比べれば、・・・政策論争は地味だ。テレビにとっては『視聴率の稼げないテーマ』・・・」
ところが、小沢氏の無罪判決の2日後位から小沢氏を巡る新聞の政局報道は陰を潜めた様に感じた。星編集委員の公表した記事が政治面の記事に反映されたと私は理解した。しかも朝日だけではない。読売や日経でも同じように感じた。編集方針について交流があったのだろうか。
一方、テレビ報道は濃淡があるが残念ながら政局報道を重視する姿勢が続いている。特にTBSは異常に熱心で、朝日もその傾向が続いているように感じる。上記の引用記事のようにテレビは視聴率が取れる報道に偏り、「歴史的使命感」が無いのかもしれない。テレビ局は新聞系列下にあると思っていたが、ニュース報道の編集方針は独立しているからだろうか。
翌日の朝日新聞は社説で日中韓FTAの成否はTPPがカギを握ると主張し、低迷する日本経済の活性化には貿易・投資の自由化で世界の成長を生かすことが不可欠と説いている。農業をはじめ国内業界からの反対に対しては必要な対策を講じればいいじゃないかという。小沢派の強硬な反対論ばかり報じた姿勢とは明らかに異なる。弱者への過剰な配慮が国全体の経済を弱体化させる政策(若しくは無策)になる、そんな報道姿勢からの転換と理解した。
なのに消費増税にしろ、FTA/TPPにしろ、政治が中々結論を出せず、韓国に出し抜かれたり日本外しの状況が続くのは何故か。状況は寧ろ悪化している。「変心してないテレビ報道」のせいなのか、それとも政治(家・システム)が無能で機能しないのか、国民がアホなのか。私がボヤかなくとも政治は常に批判の対象になっている。だが、野田首相は最近の短命宰相の中で最もマシだと思う。天邪鬼の私としてはとりあえずそれ以外の理由を今後とも追求して行ってみたい。■