母の特徴を一言で言うと「負けず嫌いなドケチ」だ。子供の頃に母から玩具等買って貰った記憶がない。買って貰ったのは親戚の叔母さんとかだった。私が子供の頃は敗戦後の物不足の時代だから、誰も贅沢は望めなかった。中学を卒業してもまだ我が家は極貧ではないが、金持ちでもないと思っていた。
しかし、友人が羨ましいと思ったこともない。中学時代に野球部に入部した時グラブを買って貰ったが、それだけ。ペラペラの白い運動靴を履いて練習した。先輩が使い古しのスパイク・シューズをくれ、父が靴屋に持って行き修理して履いた。そんなの私だけだったが別に何ともなかった、打ったり走れたら何の問題もなかった。
母から受け継いだこの性格は今になっても本当に助かっている。世間と比べ我家が貧乏ではないと気が付いたのは、20代半ばに父が東京に家を建ててくれた時だ。苦労しなかったせいか私はケチだが物欲というものがなくなった。家内に買い物を頼まれ、安いからとしなびた野菜を買ってきて二度と頼まれることもなくなった。
早期退職後この10年余りは子供のお下がりの服を着、靴を履いている。その後田舎で一人暮らしする時間が増えたが、自炊で作る食事も栄養が取れれば何でもいい。ただそれだけ。要するに私にはお金がかからない。これは全て先祖からの遺伝子に加え母のドケチ性格をひき継いだお蔭だ。そう思っていた。
言い訳すると、私は仕事や趣味には必要最低限のお金は使う。現実主義者もしくは実利主義者というべきだ。だからケネディが育ったボストン上流階級が、子供のお金の使い方が躾けられてないと親が軽蔑され、超大富豪のポールソンが財務長官に就任する時よれよれのコートを買いかえると奥さんに咎められ返品したという逸話を聞くと我ことのように嬉しくなる。
父が定年直前に母と祖母を残して死別し、更に数年後に祖母が死んで母が田舎で一人暮らしするようになった。この時母の「負けずきらい」の性格が後家さんの一人暮らしを支えたと思う。それまでは何か難しい事態になると祖母や父の後ろにいて矢面に立つことはなかった。祖母は明治から地主だった曾祖父の威光でゴッドマザーとして戦前から存在感を発揮していたらしい。
そこで母の負けん気が表に出た。祖母が死に突然一人になった母は周囲から軽く扱われることが許せなかったようだ。「女と思ってバカにされた」と吐き出すように喋る母の姿を何度か見た。運用で増やした遺産を使って実家を見かけ凄く立派に改修し、庭の手入れに熱中し豪邸っぽく仕上げた。
後に私が田舎暮らしをするため介護を兼ねて実家を改築した時、出入りの棟梁に家一軒建つほどお金がかかっていると聞いた。ご近所に見せつける狙いがあったのではないかと思う。それに加えて、近所の仲良しや気の合う親戚の子に高価な化粧品や衣服を買ってやったようだ。
母のドケチは後年負けず嫌いで消えてしまったようだ。私がしょっちゅう田舎に顔を出し母の様子を見るようになた頃は少し認知症になっていたのも一因と思う。三越や松阪屋等の会員とか、通販で定期購入していた商品などをすべてキャンセルした。四国の田舎の百姓家に有名百貨店のセールスが挨拶に来るなんておかしいと後に思った。
私は子供の頃の印象のままでいたが、妹は変化した母の浪費癖を知っていた。衣服や化粧品は高価なブランド品で気に入った人達にも与えていたようだ。私が家内に母のケチぶりを説明した時、彼女も実家に高価な化粧品があったというのを聞いたことがある。女は気付いていた。私が事実を直視できず信じなかっただけかも。
それでも私は子供の頃に見た母の節約スタイルだけ印象に残り、それを引き継いだと思っている。家内が呆れるケチぶりだが、自分自身は良い性格だと思っている。子供達もその影響を受けたのかクラス皆が持ってるゲーム機を我が家の子供が持ってないとか、娘は子供の頃に我が家は貧乏だと思っていたと聞いた時嬉しく思った。
母の負けず嫌いは私が子供の頃は気付かなかったせいか、自分は引き継いでいない気がする。私の理解が正しければ、母の負けず嫌いがドケチ性格を変えてしまったのだと思う。それを知らなかった私は(冷酷な)現実主義者に育ったような気がする。どちらかというと私の子供もそういう傾向があるような気もする。■
しかし、友人が羨ましいと思ったこともない。中学時代に野球部に入部した時グラブを買って貰ったが、それだけ。ペラペラの白い運動靴を履いて練習した。先輩が使い古しのスパイク・シューズをくれ、父が靴屋に持って行き修理して履いた。そんなの私だけだったが別に何ともなかった、打ったり走れたら何の問題もなかった。
母から受け継いだこの性格は今になっても本当に助かっている。世間と比べ我家が貧乏ではないと気が付いたのは、20代半ばに父が東京に家を建ててくれた時だ。苦労しなかったせいか私はケチだが物欲というものがなくなった。家内に買い物を頼まれ、安いからとしなびた野菜を買ってきて二度と頼まれることもなくなった。
早期退職後この10年余りは子供のお下がりの服を着、靴を履いている。その後田舎で一人暮らしする時間が増えたが、自炊で作る食事も栄養が取れれば何でもいい。ただそれだけ。要するに私にはお金がかからない。これは全て先祖からの遺伝子に加え母のドケチ性格をひき継いだお蔭だ。そう思っていた。
言い訳すると、私は仕事や趣味には必要最低限のお金は使う。現実主義者もしくは実利主義者というべきだ。だからケネディが育ったボストン上流階級が、子供のお金の使い方が躾けられてないと親が軽蔑され、超大富豪のポールソンが財務長官に就任する時よれよれのコートを買いかえると奥さんに咎められ返品したという逸話を聞くと我ことのように嬉しくなる。
父が定年直前に母と祖母を残して死別し、更に数年後に祖母が死んで母が田舎で一人暮らしするようになった。この時母の「負けずきらい」の性格が後家さんの一人暮らしを支えたと思う。それまでは何か難しい事態になると祖母や父の後ろにいて矢面に立つことはなかった。祖母は明治から地主だった曾祖父の威光でゴッドマザーとして戦前から存在感を発揮していたらしい。
そこで母の負けん気が表に出た。祖母が死に突然一人になった母は周囲から軽く扱われることが許せなかったようだ。「女と思ってバカにされた」と吐き出すように喋る母の姿を何度か見た。運用で増やした遺産を使って実家を見かけ凄く立派に改修し、庭の手入れに熱中し豪邸っぽく仕上げた。
後に私が田舎暮らしをするため介護を兼ねて実家を改築した時、出入りの棟梁に家一軒建つほどお金がかかっていると聞いた。ご近所に見せつける狙いがあったのではないかと思う。それに加えて、近所の仲良しや気の合う親戚の子に高価な化粧品や衣服を買ってやったようだ。
母のドケチは後年負けず嫌いで消えてしまったようだ。私がしょっちゅう田舎に顔を出し母の様子を見るようになた頃は少し認知症になっていたのも一因と思う。三越や松阪屋等の会員とか、通販で定期購入していた商品などをすべてキャンセルした。四国の田舎の百姓家に有名百貨店のセールスが挨拶に来るなんておかしいと後に思った。
私は子供の頃の印象のままでいたが、妹は変化した母の浪費癖を知っていた。衣服や化粧品は高価なブランド品で気に入った人達にも与えていたようだ。私が家内に母のケチぶりを説明した時、彼女も実家に高価な化粧品があったというのを聞いたことがある。女は気付いていた。私が事実を直視できず信じなかっただけかも。
それでも私は子供の頃に見た母の節約スタイルだけ印象に残り、それを引き継いだと思っている。家内が呆れるケチぶりだが、自分自身は良い性格だと思っている。子供達もその影響を受けたのかクラス皆が持ってるゲーム機を我が家の子供が持ってないとか、娘は子供の頃に我が家は貧乏だと思っていたと聞いた時嬉しく思った。
母の負けず嫌いは私が子供の頃は気付かなかったせいか、自分は引き継いでいない気がする。私の理解が正しければ、母の負けず嫌いがドケチ性格を変えてしまったのだと思う。それを知らなかった私は(冷酷な)現実主義者に育ったような気がする。どちらかというと私の子供もそういう傾向があるような気もする。■