新居で雑煮を頂く
昨夜は紅白を最後まで見たのでいつもより遅く寝たせいか、今朝目が覚めるともう7時過ぎだった。新居で迎える初めてのお正月は快適だった。昨年までは外気の寒さが窓や隙間から家の中に入ってくる感じで、布団から抜け出ると寒さで震えた。新居ではパジャマの上にフリースを羽織れば十分で、そのままリビングに移動してテレビを見ながら新聞を読めた。
やがて家内が起きて来て作ってくれたお雑煮がいつにも増して美味しかった。何でこんなに美味しいのかレシピを聞くと、前夜から昆布とカツオの出汁をとり、白菜・カブ・ニンジンを煮てみりんとお酒で味を整え柚子の皮で香り付けし、近所の和菓子屋さんに注文で作って貰ったお餅を入れたという。旨みがよく出てさっぱりした味が最高だった。雑煮は昔から同じはずなのに新鮮だった。
微妙な味覚と血圧の回復
この食材そのものを味わえた理由の一つは昨年から息子のプロティンダイエットを一部取り入れ、食習慣を変えた結果私の味覚が変わったのかもしれない。ポイントは夕食から炭水化物を除いたのと、朝夕に短時間のウエィトトレーニングを取り入れたことだ。先ず朝起きると骨盤矯正のストレッチと腕と肩のウエィトトレーニングをやり甘いものと牛乳をとった後、果物にヨーグルトと食パンを頂く。田舎では徹底して減塩料理を作った。
昼食は普通の食事をガッツリ食べる。そして夕食の2時間前に朝より強めのトレーニングをやり、ご飯など炭水化物を抜いて肉や野菜とお酒を頂く。それ以降は翌日まで何も口に入れない。極めて健康的だと思う。トータルの摂取カロリーは増えたが体重が2kg減、血圧が80-120前後で落ち着いている。掛かりつけ医と相談して降圧剤を1つ減らしたが血圧は変化ない。看護婦は降圧剤を減らした患者は初めてだとのこと。
人生最大の買い物と引っ越し
冬場になっても血圧が安定しているのは私にとっても初めてのことだが、そのもう一つの理由は新居の耐熱設計で屋内の気温が安定しているせいではないかと思う。家を買うのは人生最大の出費と言われるが、私にとっては4回目になる。20代後半の結婚前が最初で、その後米国で中古住宅を買い、実家の母屋と蔵の改築、そして今回の自宅建て替えだ。今回をもって私の人生最後の家になるのは間違いないと思う。
私自身は普通のサラリーマンだったが多少の運と才覚に恵まれた。最初は父に助けで借金なしで自宅を建て、その後も節約を続け貯めたお金で米国で家を買い、しかも日本と異なり同じ価格で売却でき、実家改築は退職金の一部で賄い、リーマンショックを乗り切り、今回は日銀の低金利を反映した住宅ローンで賄った。運の良いサイクルで家を手に入れたと思う。今回もトランプ効果の神風でローン返済に四苦八苦しなくて済みそうだ。
13回目の引っ越し
私は通算13回引っ越しを経験した。最初の4回は学校の寮と川崎と府中の社員寮に住む為で殆ど記憶がない。次に最初の自宅に引っ越し1回、米国ではホテル住いから仮住いのアパートを経て借家に移るまでに3回、購入した中古住宅からカリフォルニアのアパート住いを経て日本に帰任で3回、今回の自宅建て替えの為に団地住いで往復2回。と言っても、引っ越しのベテランではない、毎回引っ越しの形態が違うので参考にならない。
一番大変だった引越は今回の旧自宅から仮住いの団地への引越で、長年使った諸々の家具の廃棄や小物の引っ越しの殆どを私がやった。同居の家族は仕事があったし、業者を使わないでなるべく節約したかった。しかし、これが人生最後の引っ越しになるかどうか分からない。自主的でないものを含めると、最後にもう一度か二度ありそうな気がする。私がどういう死に方をするかで決まりそうだ。
人生初にして最後の・・・
昨年7月母が死亡して人生初めての喪主をやった。これが最初にして最後の喪主を務めることになると願う。2003年に早期退職した時は母より少しでも長生きして、母に私の葬式を出させないという思いであった。というのは、祖父も父も早死にし残された妻が45-55年も後家さんで子供と家を守った歴史を何とかしたかった。
そして、退職後13年目の昨夏に母が死に私が母の葬式を出した。ついに我が家の歴史を変え、退職時の目標を達成した。これからは逆の立場になり、私が余り長生きするようだと順番が狂うかもしれない微妙な状況になる。今言えることは、今後は出来るだけ長く健康寿命を維持し家族の負担にならないようにしたい。
70回目のお正月
私は今年70歳になる。自分で自分のことを決められる健康寿命が何時までもつか、残された時間がどの位あるのか分からない。先日投稿した「私的・長時間労働」も電通の問題にかこつけて私の若い時代の働き方を振り返った。まだやり残したことはあるが、今年からその為の準備を始めようと思う。が、まだ具体的なプランはない。
普段食べ付けない雑煮のお餅を二つ食べただけでお腹が張る感じがした。外は雲一つない絶好のお正月天気で、富士山を見て来ると言って遊歩道を歩き多摩川に出て堤防沿いの道を歩いた。多摩丘陵の向こうに真っ白な富士山がいつもより大きく見えた。30年前頃、寒空のもと河川敷で子供達と凧揚げしたのを思い出した。今日は凧揚げする子供たちの姿はなかった。正月の日差しで額に汗を感じ歩を緩め自宅に戻った。■
昨夜は紅白を最後まで見たのでいつもより遅く寝たせいか、今朝目が覚めるともう7時過ぎだった。新居で迎える初めてのお正月は快適だった。昨年までは外気の寒さが窓や隙間から家の中に入ってくる感じで、布団から抜け出ると寒さで震えた。新居ではパジャマの上にフリースを羽織れば十分で、そのままリビングに移動してテレビを見ながら新聞を読めた。
やがて家内が起きて来て作ってくれたお雑煮がいつにも増して美味しかった。何でこんなに美味しいのかレシピを聞くと、前夜から昆布とカツオの出汁をとり、白菜・カブ・ニンジンを煮てみりんとお酒で味を整え柚子の皮で香り付けし、近所の和菓子屋さんに注文で作って貰ったお餅を入れたという。旨みがよく出てさっぱりした味が最高だった。雑煮は昔から同じはずなのに新鮮だった。
微妙な味覚と血圧の回復
この食材そのものを味わえた理由の一つは昨年から息子のプロティンダイエットを一部取り入れ、食習慣を変えた結果私の味覚が変わったのかもしれない。ポイントは夕食から炭水化物を除いたのと、朝夕に短時間のウエィトトレーニングを取り入れたことだ。先ず朝起きると骨盤矯正のストレッチと腕と肩のウエィトトレーニングをやり甘いものと牛乳をとった後、果物にヨーグルトと食パンを頂く。田舎では徹底して減塩料理を作った。
昼食は普通の食事をガッツリ食べる。そして夕食の2時間前に朝より強めのトレーニングをやり、ご飯など炭水化物を抜いて肉や野菜とお酒を頂く。それ以降は翌日まで何も口に入れない。極めて健康的だと思う。トータルの摂取カロリーは増えたが体重が2kg減、血圧が80-120前後で落ち着いている。掛かりつけ医と相談して降圧剤を1つ減らしたが血圧は変化ない。看護婦は降圧剤を減らした患者は初めてだとのこと。
人生最大の買い物と引っ越し
冬場になっても血圧が安定しているのは私にとっても初めてのことだが、そのもう一つの理由は新居の耐熱設計で屋内の気温が安定しているせいではないかと思う。家を買うのは人生最大の出費と言われるが、私にとっては4回目になる。20代後半の結婚前が最初で、その後米国で中古住宅を買い、実家の母屋と蔵の改築、そして今回の自宅建て替えだ。今回をもって私の人生最後の家になるのは間違いないと思う。
私自身は普通のサラリーマンだったが多少の運と才覚に恵まれた。最初は父に助けで借金なしで自宅を建て、その後も節約を続け貯めたお金で米国で家を買い、しかも日本と異なり同じ価格で売却でき、実家改築は退職金の一部で賄い、リーマンショックを乗り切り、今回は日銀の低金利を反映した住宅ローンで賄った。運の良いサイクルで家を手に入れたと思う。今回もトランプ効果の神風でローン返済に四苦八苦しなくて済みそうだ。
13回目の引っ越し
私は通算13回引っ越しを経験した。最初の4回は学校の寮と川崎と府中の社員寮に住む為で殆ど記憶がない。次に最初の自宅に引っ越し1回、米国ではホテル住いから仮住いのアパートを経て借家に移るまでに3回、購入した中古住宅からカリフォルニアのアパート住いを経て日本に帰任で3回、今回の自宅建て替えの為に団地住いで往復2回。と言っても、引っ越しのベテランではない、毎回引っ越しの形態が違うので参考にならない。
一番大変だった引越は今回の旧自宅から仮住いの団地への引越で、長年使った諸々の家具の廃棄や小物の引っ越しの殆どを私がやった。同居の家族は仕事があったし、業者を使わないでなるべく節約したかった。しかし、これが人生最後の引っ越しになるかどうか分からない。自主的でないものを含めると、最後にもう一度か二度ありそうな気がする。私がどういう死に方をするかで決まりそうだ。
人生初にして最後の・・・
昨年7月母が死亡して人生初めての喪主をやった。これが最初にして最後の喪主を務めることになると願う。2003年に早期退職した時は母より少しでも長生きして、母に私の葬式を出させないという思いであった。というのは、祖父も父も早死にし残された妻が45-55年も後家さんで子供と家を守った歴史を何とかしたかった。
そして、退職後13年目の昨夏に母が死に私が母の葬式を出した。ついに我が家の歴史を変え、退職時の目標を達成した。これからは逆の立場になり、私が余り長生きするようだと順番が狂うかもしれない微妙な状況になる。今言えることは、今後は出来るだけ長く健康寿命を維持し家族の負担にならないようにしたい。
70回目のお正月
私は今年70歳になる。自分で自分のことを決められる健康寿命が何時までもつか、残された時間がどの位あるのか分からない。先日投稿した「私的・長時間労働」も電通の問題にかこつけて私の若い時代の働き方を振り返った。まだやり残したことはあるが、今年からその為の準備を始めようと思う。が、まだ具体的なプランはない。
普段食べ付けない雑煮のお餅を二つ食べただけでお腹が張る感じがした。外は雲一つない絶好のお正月天気で、富士山を見て来ると言って遊歩道を歩き多摩川に出て堤防沿いの道を歩いた。多摩丘陵の向こうに真っ白な富士山がいつもより大きく見えた。30年前頃、寒空のもと河川敷で子供達と凧揚げしたのを思い出した。今日は凧揚げする子供たちの姿はなかった。正月の日差しで額に汗を感じ歩を緩め自宅に戻った。■