かぶれの世界(新)

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照ノ富士の忖度?

2017-03-27 11:03:02 | スポーツ
稀勢の里の新横綱として逆転優勝は日本列島を沸かせた。普段は大相撲中継を見ない我が家でも、夕方6時前にチャンネルを切り替え稀勢の里の劇的な優勝をリアルタイムで見ることが出来た。昨夕はNHKニュースがトップで興奮気味に報じ、今朝は一般紙が1面、スポーツ欄、社会面と紙面を使って伝えた。

ここで、天邪鬼でひねくれ者の私は例によって違う見方をしたい。稀勢の里が勝った時私が最初に思い出したのは、1984年のロス五輪で肉離れを起こした山下が優勝した時のことだ。決勝で戦ったエジプトのラシュワンは山下の負傷した右足を攻めず、結果山下が優勝したと言われる(諸説ある)。彼はフェアプレー精神を讃えられ、後に日本訪問時に歓待された。

私はこの時スポーツマンがあらゆる手を使って勝利を目指すべきと思っていたから微妙な気持ちになり、ラシュワンを開けっ広げに歓待した日本人にも若干違和感があった。下手すればヤラセとか八百長と言われかねない行為だという思いがあり、素直に日本人選手が勝ったと喜べない気持ちが心の隅にあった。

今回も日本人の圧倒的多くが応援するが、怪我をして万全でない稀勢の里に対する思いが照ノ富士にあったのではないかと推測する。それは無意識だが人気の先輩横綱に対する配慮とか優しい思いがあったかもしれないと思う。素人ファンながら、取り口は強引に左肩の傷口に打撃を与えるようなものではなかった気がする。

だが、後からの報道では照ノ富士にも足に古傷があり、直前の取り組みで悪化していたとも聞く。その為に優勢に攻めながら土俵際で稀勢の里の回り込みや投げに足がついて行かなかったとの解説を見た。私風に解釈すると、それだからこそ照ノ富士がギリギリのところで踏み止れず優しさが出てひっくり返されたのだと思う。

何が何でも絶対に勝つという勝負の世界の思いを照ノ富士が貫けたかどうか、正直分からない。最近流行りの言葉で言うなら、彼の優しさが勝敗を分けたのは「忖度」だったのだろうか。勝負の世界ではそれも含めて勝ちか負けかが決まる。相撲に限らずあらゆる戦いにおいて、昔から優しい性格が災いして大成出来なかった人達が累々と続く。そして勝者のみ名を残す。■
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