所沢市の小学校の教諭が4年の男子児童に「窓から飛び降りなさい」「明日から来るな」と言い放ち、母親が学校に相談して問題が発覚したと報じられた。教諭は謝罪し所沢市教委は「誠に遺憾、再発防止に努める」としたようだ。このニュースを聞いた瞬間私は「信じられない、何て酷い先生」だと思った。
一方で、私は先生は突然悪口雑言を吐いたわけではあるまい、こうなるには児童との間にそれなりのやり取りがあったと推測した。マスコミは教諭や学校の問題に集中し子供の問題は全く触れない。全体像が見えないまま片方の責任を問うのは無責任だ。先生や学校当局だけを非難して本当の対応など出来ないと私は思う。
今迄この手の事件で教育の問題は指摘されても、子供や家庭の問題を深堀されたことはない。それでは同じ問題が今後も続き、むしろ増加する恐れすらある様に憂慮する。報じられないので真実は分からないのだが、もう一方側に問題があっても放置され改善されないまま再発する可能性があるからだ。
現代はマスコミに代わる代替手段がある。子供側にも非があると思う内情を知る人達が週刊誌やネット経由で、経緯を暴露し却って問題を大きくする場合すらある。マスコミが意図的に重要な片側の事実を報じない(或いは疑いのある)ニュースを見た時に、重要なピースが欠け落ちているという違和感が生じるだろう。
マスコミが自己主張したい事件の場合、主張に都合の悪い事実を報じない時がある。私にとって違和感があるのは「リベラル」といわれる朝日新聞や毎日新聞だ。私はマスコミが主張するのは寧ろ好ましいと思う。だが、系列のテレビニュースが自社の主張に矛盾する事実を黙殺する姿勢は強い違和感がある。まともなマスコミを目指すなら、相反する考えの識者を登場させ議論させるCNNとかPBN程度のことはやるべきだ。
最近の流行りの言葉でいうとマスコミ各社はあるテーマになると、特定の力が働いて「主張ファースト」になる。主張ファーストの度が過ぎて「事実つまみ食い捻じ曲げ」報道になっていると感じる時があるのだ。マスコミ報道には絶対にあってはならないことと常々思っていた。
長々と能書きをたれたが、最近の朝日新聞に自社の主張を越えて「事実ファースト」と感じられる記事を見つけ新鮮な驚きを覚えた。小さなことだがそれが朝日新聞の価値を高めたという本記事のテーマだ。
それは都知事選で「安倍やめろ」コールに対して、「こんな人達に負けるわけにはいかない」と感情的に言い返した安倍首相をマスコミ各社は非難し都議選惨敗の一因になったと報じられた件だ。あれっと思ったのは朝日新聞の記事を読んだ訳ではない。登録すればヘッドラインと要約を伝えてくれるメールによると、首相の問題発言を誘発した人達が発した言葉を取り上げて批判したことだ。
テレビは(意図的に)前後を省略して問題発言だけ切り取って報じた。選挙が終わった後でタイムリーではなかったが私はこの見出しを見て、直感的に朝日新聞社内にも主流ではなくともメディアの良心があったと思いホッとした。この手の前後無視報道はしょっちゅう見かけ、主張に沿った専門家の声のみ紹介する。それでは本筋を離れミスリードすると私は思っていたからだ。
いい例が沖縄の基地反対デモに対応した警察官の「土人」発言だ。その前に反対派の人達が聞くに堪えない言葉で挑発したことは大新聞は殆ど報じなかった。公の立場にある警察官の発言が問題視され責任を追及されるのは当然だが、挑発したデモ隊の言葉もまた取り上げられその是非について対で報じられるべきだった。今では新聞に代わりデモ隊の多くが本土から動員された人達の悪口雑言が週刊誌やネットで報じられ暴言のきっかけが分かっている。
子供やデモの不適切な言葉や行動を咎めず放置する風潮は良い事ではないと私は考える。それはそれでキチンと批評されるべきだと思う。放置するといつか社会を壊してしまうことを私は恐れる。私は期待を込めて朝日新聞の小さな見直しに希望を見た。朝日新聞の主張には同意しなくとも、報じるニュースは信頼できるのならお金を払って購読する価値がある。今後も継続してウォッチしていく。■
一方で、私は先生は突然悪口雑言を吐いたわけではあるまい、こうなるには児童との間にそれなりのやり取りがあったと推測した。マスコミは教諭や学校の問題に集中し子供の問題は全く触れない。全体像が見えないまま片方の責任を問うのは無責任だ。先生や学校当局だけを非難して本当の対応など出来ないと私は思う。
今迄この手の事件で教育の問題は指摘されても、子供や家庭の問題を深堀されたことはない。それでは同じ問題が今後も続き、むしろ増加する恐れすらある様に憂慮する。報じられないので真実は分からないのだが、もう一方側に問題があっても放置され改善されないまま再発する可能性があるからだ。
現代はマスコミに代わる代替手段がある。子供側にも非があると思う内情を知る人達が週刊誌やネット経由で、経緯を暴露し却って問題を大きくする場合すらある。マスコミが意図的に重要な片側の事実を報じない(或いは疑いのある)ニュースを見た時に、重要なピースが欠け落ちているという違和感が生じるだろう。
マスコミが自己主張したい事件の場合、主張に都合の悪い事実を報じない時がある。私にとって違和感があるのは「リベラル」といわれる朝日新聞や毎日新聞だ。私はマスコミが主張するのは寧ろ好ましいと思う。だが、系列のテレビニュースが自社の主張に矛盾する事実を黙殺する姿勢は強い違和感がある。まともなマスコミを目指すなら、相反する考えの識者を登場させ議論させるCNNとかPBN程度のことはやるべきだ。
最近の流行りの言葉でいうとマスコミ各社はあるテーマになると、特定の力が働いて「主張ファースト」になる。主張ファーストの度が過ぎて「事実つまみ食い捻じ曲げ」報道になっていると感じる時があるのだ。マスコミ報道には絶対にあってはならないことと常々思っていた。
長々と能書きをたれたが、最近の朝日新聞に自社の主張を越えて「事実ファースト」と感じられる記事を見つけ新鮮な驚きを覚えた。小さなことだがそれが朝日新聞の価値を高めたという本記事のテーマだ。
それは都知事選で「安倍やめろ」コールに対して、「こんな人達に負けるわけにはいかない」と感情的に言い返した安倍首相をマスコミ各社は非難し都議選惨敗の一因になったと報じられた件だ。あれっと思ったのは朝日新聞の記事を読んだ訳ではない。登録すればヘッドラインと要約を伝えてくれるメールによると、首相の問題発言を誘発した人達が発した言葉を取り上げて批判したことだ。
テレビは(意図的に)前後を省略して問題発言だけ切り取って報じた。選挙が終わった後でタイムリーではなかったが私はこの見出しを見て、直感的に朝日新聞社内にも主流ではなくともメディアの良心があったと思いホッとした。この手の前後無視報道はしょっちゅう見かけ、主張に沿った専門家の声のみ紹介する。それでは本筋を離れミスリードすると私は思っていたからだ。
いい例が沖縄の基地反対デモに対応した警察官の「土人」発言だ。その前に反対派の人達が聞くに堪えない言葉で挑発したことは大新聞は殆ど報じなかった。公の立場にある警察官の発言が問題視され責任を追及されるのは当然だが、挑発したデモ隊の言葉もまた取り上げられその是非について対で報じられるべきだった。今では新聞に代わりデモ隊の多くが本土から動員された人達の悪口雑言が週刊誌やネットで報じられ暴言のきっかけが分かっている。
子供やデモの不適切な言葉や行動を咎めず放置する風潮は良い事ではないと私は考える。それはそれでキチンと批評されるべきだと思う。放置するといつか社会を壊してしまうことを私は恐れる。私は期待を込めて朝日新聞の小さな見直しに希望を見た。朝日新聞の主張には同意しなくとも、報じるニュースは信頼できるのならお金を払って購読する価値がある。今後も継続してウォッチしていく。■