かぶれの世界(新)

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西日本豪雨から11ヵ月(2)

2019-06-27 10:37:56 | 日記
西日本豪雨時に対処した地元警察が、警察官がどう対応したか記録した本をローカルテレビが先日伝えていたのが気になった。大洲市警察署は1階が浸水し、自宅も被災した警察官もいるなか、夫々が必死の対応をしたという。是非読んでみたいと思った。

バドミントンクラブのNさんもこのニュースを見ており、彼女も是非読んでみたいという。体育館の市職員はそんな話聞いたことが無いとつれない返事だった。市立図書館でもそんな本はないと言われ、受付や司書に警察署のホームページ等を調べて貰ったがそれらしきものは見つからなかった。(小さな町の図書館を訪れる人は少なく、館の若い女性総出で調べてくれた。改めて感謝します。)

ということで昨日昼間の多忙な時間をさけて夕方警察署に行って聞いてみた。警察署というと何故かそんな気遣いをしてしまう。警察署に行くのは十数年前オレオレ詐欺被害に遭い府中警察署で調書を取られた時以来だ。その時に比べこの地の警察署は意外に威圧感はなかった。

結論から言うと、伝えられた本というのは内部記録情報で、公にするものではないと閲覧を断られた。対応してくれた若い警官によると、テレビ放送以来見たいという声は多いという。上司に要望を伝えておくと応えた。私も無理押しする理由もなく、是非そうしてくれといい警察署を辞した。

市役所や図書館も西日本豪雨時の警察の対応の記録の存在を知らない、警察は情報共有して今後の自然災害の対応を改善して行こうとしない。夫々の組織が横の情報交換をせず、組織の縦割りだけで仕事をしている。地方も中央も同じかもしれない。そんな残念な例を見た。■
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西日本豪雨から11ヵ月(1)

2019-06-27 10:36:30 | 日記
今朝方から急に強い雨が降り始めた。天気予報は終日雨が降り300mmになる見込みという。奄美群島の熱帯低気圧は四国沖到達時は台風になると伝えている。自然と昨年の西日本豪雨を思い出した。その時は東京の自宅におり、娘の助言で断水が続く愛媛県大洲市の実家への帰郷を延期した。

愛媛県南部との境にある私の故郷は、日本一支流が多い肱川沿いにあり盆地なのに海抜数十mと低地にある。緩やかに流れる川は夏は高温多湿、冬は濃いい霧が昼まで盆地を覆う。川が氾濫し易い地形だ。小学校の頃は毎年一二度は川が氾濫し学校が休みになった記憶がある。

昨年豪雨の後暫くおいて帰郷し、肱川沿いに南側堤防とその周辺を歩いたり走ったりして復興状況をみた。大規模な水没に見舞われた国道沿いの新興商店街は幸いにも短期間で復旧していた。その理由の一つは新興商店街の殆どはフランチャイズ店だったことだ。

肱川西岸の個人商店の多い旧城下町商店街は数百年にわたる経験で、若干標高が高いところにあり洪水は免れた。だが、皮肉なことに別の洪水(コンビニ等のフランチャイズ店やネット販売)や車社会に対応できず、また後継者難で既に典型的なシャッター街になっている。

数日前にいつものジョギングコースの肱川の南岸を走り、途中で川を渡り北岸(五郎地区)の川沿いの道を走った。気になっていたのは北岸の川沿いに低地が続いていたからだ。田植え直後田んぼの水加減を調整しているらしき老人(と言っても私より若かった)を見つけて聞いてみた。

気になっていた保育園は水没せず、肱川本流へ流れ込む支流の水門が閉じられて保育園より低い田畑が水没した程度だった。本流の堤防が強化されて以来、雨の被害と言えばそのパターンになったという。46年前に死んだ父は当時市の治水担当(土木部長)で、農夫も父の名前を知っていた。

西日本豪雨による水害は肱川水系のダムと堤防の強化の治水システムが機能しなかったことを意味する。建設省の計画に従ったものと思うが、父も関わったはずで責任があったと推測する。だが、今まで父の責任を言う人に出会ったことはなく、上記の老農夫もそれらしき発言はなかった。

ジョギングとは言っても、こんな風に出会う人とお喋りしながら走ったので実家に戻った時は夕方7時を過ぎていた。夏至直前になると8時近くまで西の空が明るい。シャワーを浴び焼酎のお湯割りに胡瓜の塩もみと冷奴で軽く夕食を済ませた。■
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