今年のノーベル平和賞はパキスタンの少女マララさんと、インドのサトルヤティ氏に決まった。近年の平和賞選考には多くの疑念が示されたが、今年は極めて適切で妥当と言う声が世界のメディアから報じられた。私も全くその通りだと思う。
平和賞の選考基準が実績よりもぶち上げた旗印に対する期待に変わってきたと言われるが、元々かなり政治的だったと私は感じていた。しかし、マララちゃん(あえてちゃん付けする)のこの1年間の活動はエネルギッシュで、世界中を説得する本物の力があったと思う。
平和賞が発表される前に候補として「憲法第9条を保持している日本人」を推薦したという報道を見た。私はそれを聞いて、趣旨は理解したが何ら世界平和の活動も貢献もしてない人達の覚悟の無い活動のような唐突感があり、正直同じ国の人間として恥ずかしくなった。
唐突感と同時に政治的な狙いのあざとさを感じて嫌な気分もあった。マララちゃんの命をかけた戦いと発信力のかけらも感じない。彼女は暗殺されそうになったし、今も死の危険の中で恐れず訴え続けている。血を流して平和を守ろうとする人達が世界中にいると考えれば生半可な推薦等出来ないはずだ。■
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