選挙直後メディアが報じた小泉政権の歴史的な勝利の解釈に違和感があったが、暫らくたって出口調査のデータに基づく分析にインタビューを補足させ本質に迫ったと思われる報道に出会った。
出来が良かったNHKの衆院選分析
確か昨年の総選挙一週間後のBS1週末のニュース番組だったと思うが、結果分析は奇をてらわない唯一まともなものだった。番組は出口調査データをキチンと分析し、変化を起こした選挙民像を生き生きと描き出した。評論家の思い込みやイデオロギーは一切無く、データに語らせた手法が却って新鮮で信頼性を高めた。
私はたまたまNHKの出口調査を受け、その質問内容からその分析を引き出すだけの情報量があることを実感した。一言で言えばこれは信頼できると思った。(それを踏まえて、この評論家はこういう理由でこう解釈すると報じるのがベストなのだが、不偏不党のNHKにはそれはない。)
一方民放の選挙結果分析は予め準備されていた評論家の私見とも言うべきもので、根拠としてメディアが選別した投票者の声を流すだけだった。果たしてそれが民意を代表する声か根拠が不明確なものだった。メディアの取り上げた市民の声や専門家の意見は、メディアが報じたい内容にそった恣意的な選択になっていた。速報性を重視したと言うのは言い訳にはならない。
批判の為の批判
政府だって都合のいい情報ばかり流すのだからバランスをとる、権力に対して常に批判的な姿勢をとると言う考えは理解できる。しかし、真実や物事の本質を捉え世の中に伝えていく役割を忘れた批判は、批判の為の批判になり、いつか信頼を失う。メディアが信頼できない国は不幸なことだ。
先日ニュース・ステーションのキャスターが小泉時代を突然「失われた5年」と言いだしたのは唐突で不可解な独りよがりと私には感じた。話を聞いているとこの人達は構造改革以前の派閥のボスが仕切る既得権益政治に戻りたいのかと感じることが度々ある。
民意の軽視は自らの首を絞める
小泉首相の5年間を総括する中で、小泉首相の高支持率は国民が小泉劇場に乗せられたものであるという論調が多い。小泉首相の成果を低く見る為に世論調査の支持をダウンプレイする傾向がある。そうなると逆説的だが、世論調査結果を分析して報道の正しさを検証すべきである。小泉劇場と決め付けた時点で思考停止しそれ以上本質に迫る努力を止めてしまう。
先の靖国参拝報道と前後して実施された世論調査の食い違いは非常に分り易い例だった。報道は中韓の反応にフォーカスし、まるで紛争を期待するかのように声高に報じた。事の善悪より寧ろその報道姿勢が反感を呼んだ。何故食い違ったか分析せず又もや小泉マジックに惑わされたと決め付け、驚いたことにそのあと黙り込んだ。私には「世論の反乱」のように感じた。
真実は海外と市場に聞け
この3年事件が起こる度に新聞・テレビ・雑誌などの報道を追っ掛けた結果、日本メディアの報道だけでは真実に迫れない場合があると度々感じ、気になる事件は海外の主要メディアをチェックするようになった。彼らの見方には表面的な側面はあるが、利害関係が無く思わぬ視点から本質が見えることがある。殊に小泉改革に対する評価が180度異なることが多いのには頭を捻った。
又、経済に限ればマーケットの反応は極めて直截的だ。お金が係わると徹底的に透明性を追求し、その評価が正直に株価や為替相場に現れる。恣意的な偏見が入る余地はない。どういう言い繕いをしようと、構造改革が停滞すると見做せば海外の投資家は資金を引き上げ、あっという間に株式市場は下げ相場になる。勿論それは経済にとって良し悪しの判定だけではあるが。■
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