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ぼっちキャンプの思い出(1)

2022-10-26 20:13:10 | 日記・エッセイ・コラム
コロナ以降にテレビ番組等で郊外の川や森に一人で行きキャンプする人が良く紹介されるようになった。若い女性が単独でキャンプする姿を見ると見てて若干不安を感じるが、これだけ人気があるということは多分大声を出せば誰かに情報が伝わる環境にあるのだろう。事故を聞いたことがない。

私は若い頃に友人に誘われ時折2-3泊かけて山登りに行ったが、アルプスや奥多摩など人気の山岳ルートには必ず山小屋があり利用した。だが、90年代半ばに仕事で米国ワシントン州に単身赴任した時は事情が異なった。人気の山でも登山口まで車で行き、山小屋はなくテント泊しか選択はなかった。バドミントン仲間は出来たが、一緒に山歩きする友達は出来なかった。

シアトル郊外の住宅地に住んだ私は、上司をかさにして日本人社員の家庭と付き合うな、現地人と付き合えと赴任前に助言を受けていた。なので現地のバドミントンクラブに加入し週末に練習に参加するか、テントを背負って一人山歩きした。その後ほぼ毎週マッサージを受け米国生活を楽しんだ。

私は90年代頃に米国で「ぼっちキャンプ」をやっていた、偶然にも先進的な「ぼっちキャンパー」だったことになる。最近の「ぼっちキャンプ」とは全く違う。テレビで重点的に紹介されるのは手の込んだ美味しそうな食事作りだが、私は軽くて場所をとらず手間暇かからないサバイバル食事だけだった。

私の山歩きの楽しみはガイドブックに紹介された美しい山々の景色だった。50前後だった私はガイドブックに紹介された3つのルートを纏めて歩いたりしたものだ。ガツガツ歩くのは今の私の「やり過ぎ高齢者」に通じる。気持ちだけは昔と同じだが、今は体力がついて来ない。

ただ一度例外がある。一度だけ日本から家族が揃って来た時、皆でキャンプ2泊の山歩きをした。REIでテントなどの登山用具等をレンタルして、家族全員に重い荷物を背負わせ山登りした。熊対策等の初めての経験もしたが、子供達(大高中の3人)は口を揃えて歩くだけでつまらなかったと後で聞いた。

その時は折角アメリカまで来てくれた家族に対して申し訳ないことをしたと思った。しかし、それが私の生まれつきの性分で後期高齢者になった今も変わりがない。その意味では「ぼっちキャンプ」私の性分に合ってたみたいで、反省することも無くぼっちキャンプを続けた。(続く)■

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