昨年から日米の選挙の報道を追っかけて報道の仕方がかなり違うことを実感した。日本の政治や経済が特殊だというけど、メディアも負けず劣らず特殊だと思わずにはいられない。一方的に悪いとはいわないが、少なくともこれでは世界から尊敬され引用される報道にはならないと思わずにはいられない。全体にその傾向が強いのだが特にテレビが情けない。私の見た報道人は世界のメディアから評価され引き抜かれることはまずなさそうだ。
テレビ報道がニュースショウ化したのは米国が先行している。米国滞在時に起こったモニカ・ルインスキーの報道は異常だった。彼らもスキャンダルは大好きだ。しかし、米国には夫々テレビ局の(時には米国の)良心を代表するといわれるアンカーマンがおり本質を鋭く追求して行き報道の質を高め、又それが当然のように期待されそれが故に尊敬され、ジャーナリズムに関わる人の目標になっている。新聞も著名な記者がいて同じような仕組みがある。ところが、日本のテレビでまともに見えるアンカーは、私と意見は異なるが筑紫氏くらいしか思いつかない。
今回の衆院選でも争点を深く理解しているとはとても思えない芸能人やアナウンサーが薄っぺらい知識や正義感を振りかざし、コメンテータの受け売りを朝から晩まで繰り返していた。素人はちょっと複雑になると「評論家」といわれている人達の意見に頼らざるを得ないが、彼らがまた酷い。本筋に切り込まずマージナル・イシューの揚げ足取りばかりで、まるで仲間外れにされ拗ねている様な評論をする者が殆どだった。1面のヘッドラインで論じなければならないことを省略して、16面の所謂「穿った見方」だけを尤もらしく喋る。選挙結果が示したメッセージをデータに基づき真面目に分析し報じたテレビ番組は、私が見た範囲では視聴率1%以下の時間帯のNHK BS1放送だけだった。民意が何だったのかの認識が報道にとっても最も重要だと思うのだが。
わかりやすい例を挙げると、数日まえから自民党の新人が派閥に入らないよう党が教育・情報交換の場を作るという報道があった。それは「小泉党」を作り首相の立場を強めると2,3のコメンテータが言うのを見た。普段口を揃えて派閥に批判的な人達が一体どうしたのか。実は派閥の情報源を持っていてその既得権益が侵されることを心配したのかと勘繰りたくなる。彼等はもしかしたら隠れ抵抗勢力なのか。これが将来の派閥の動きにどういう影響を与えるか、効果があるのかをまず論評するのが本筋でないのか。その上で得意の裏の狙いのウンチクを論じるべきではないのか。
しかし一方的に非難できない同情すべき点もある。ジャーナリストの多くは長い間政治家や官僚の作文に聞き飽きて文字通りに取ることを諦め、裏の意味ばかり必死で追いかける性格が遺伝子に組み込まれてしまったと思う。多分、諦めたところで堕落が始まったのだと思う。テレビのニュースショウ化はジャーナリズムの規律に欠け結果的に堕落を加速させた。私は青っ白いと言われるかも知れないが、ジャーナリストの役割は政治家の言葉を重く取り事実として伝え、それを文字通りに実行するよう追跡報道し圧力をかけていくのが守るべき一線だと考える。
嘗てベトナム戦争時代、米国政府の発表の言葉と現実の乖離をクレディビリティ・ギャップと呼び、銃弾に倒れる記者が続いたがメディアは真正面から切り込んで事実を報道し追及して行った。イラク戦争ではブッシュ政権支持のFOXテレビが優先され戦場から生の映像が米国民に伝わりにくかったが、カトリーナでは全チャネルが被災状況を刻々と伝えブッシュ非難が一気に高まった。映像のもつ影響をどう生かすか今一度良く考え報道の姿勢を見直してもらいたい。■
テレビ報道がニュースショウ化したのは米国が先行している。米国滞在時に起こったモニカ・ルインスキーの報道は異常だった。彼らもスキャンダルは大好きだ。しかし、米国には夫々テレビ局の(時には米国の)良心を代表するといわれるアンカーマンがおり本質を鋭く追求して行き報道の質を高め、又それが当然のように期待されそれが故に尊敬され、ジャーナリズムに関わる人の目標になっている。新聞も著名な記者がいて同じような仕組みがある。ところが、日本のテレビでまともに見えるアンカーは、私と意見は異なるが筑紫氏くらいしか思いつかない。
今回の衆院選でも争点を深く理解しているとはとても思えない芸能人やアナウンサーが薄っぺらい知識や正義感を振りかざし、コメンテータの受け売りを朝から晩まで繰り返していた。素人はちょっと複雑になると「評論家」といわれている人達の意見に頼らざるを得ないが、彼らがまた酷い。本筋に切り込まずマージナル・イシューの揚げ足取りばかりで、まるで仲間外れにされ拗ねている様な評論をする者が殆どだった。1面のヘッドラインで論じなければならないことを省略して、16面の所謂「穿った見方」だけを尤もらしく喋る。選挙結果が示したメッセージをデータに基づき真面目に分析し報じたテレビ番組は、私が見た範囲では視聴率1%以下の時間帯のNHK BS1放送だけだった。民意が何だったのかの認識が報道にとっても最も重要だと思うのだが。
わかりやすい例を挙げると、数日まえから自民党の新人が派閥に入らないよう党が教育・情報交換の場を作るという報道があった。それは「小泉党」を作り首相の立場を強めると2,3のコメンテータが言うのを見た。普段口を揃えて派閥に批判的な人達が一体どうしたのか。実は派閥の情報源を持っていてその既得権益が侵されることを心配したのかと勘繰りたくなる。彼等はもしかしたら隠れ抵抗勢力なのか。これが将来の派閥の動きにどういう影響を与えるか、効果があるのかをまず論評するのが本筋でないのか。その上で得意の裏の狙いのウンチクを論じるべきではないのか。
しかし一方的に非難できない同情すべき点もある。ジャーナリストの多くは長い間政治家や官僚の作文に聞き飽きて文字通りに取ることを諦め、裏の意味ばかり必死で追いかける性格が遺伝子に組み込まれてしまったと思う。多分、諦めたところで堕落が始まったのだと思う。テレビのニュースショウ化はジャーナリズムの規律に欠け結果的に堕落を加速させた。私は青っ白いと言われるかも知れないが、ジャーナリストの役割は政治家の言葉を重く取り事実として伝え、それを文字通りに実行するよう追跡報道し圧力をかけていくのが守るべき一線だと考える。
嘗てベトナム戦争時代、米国政府の発表の言葉と現実の乖離をクレディビリティ・ギャップと呼び、銃弾に倒れる記者が続いたがメディアは真正面から切り込んで事実を報道し追及して行った。イラク戦争ではブッシュ政権支持のFOXテレビが優先され戦場から生の映像が米国民に伝わりにくかったが、カトリーナでは全チャネルが被災状況を刻々と伝えブッシュ非難が一気に高まった。映像のもつ影響をどう生かすか今一度良く考え報道の姿勢を見直してもらいたい。■
メディアの堕落について、もっと日本で論じられるべきであると思います。
私自身が現在最も問題にしたい点は、少し視点が異なるかもしれませんが、アメリカではコマーシャル・メッセージやコマーシャル・フィルムに著名人を使うのは通信販売などが主であり、一般の商品ではほとんどないことです。
日本のメディア媒体がこぞって著名人を宣伝に駆り出すことは、経済の活性化を阻害する要因になっているように思われますが、いかがでしょうか。
また、ご指摘されておられます政治報道では、評論家の言がまったく「評論」ではなく「追従」と「受け売り」でしかなく、そのためか必要のない部分で批判を繰り返すことになっているのではないか、と思われます。
また、メディアがイメージ戦略的に作り出す評論家も多くに上ると思われます。
世界各国の民主政の程度と経済社会指標の相関関係においてはメディア媒体の普及が大変に密接に関連していることがアメリカの学会で発表されております。
日本のメディアが形式的な面だけでアメリカにならっているのであれば、メディア本来の働きのひとつであるクラス相互間の意思疎通に関してほとんど役割を担っていないことになると思われます。
日本のメディアの番組制作者は、経営のためのトップからの指示があるのでしょうが、「真実の報道」という表向きばかりではなく、社会各層の意思疎通を少しでも図り、日本の本当の意味での主流の意見を媒体するとともに、少数意見をもっと双方向の情報源として取り上げる工夫をしてほしいと思います。
「評論家」は、簡単に自説を曲げることなく、果敢にディベートを交わして頂きたく思います。ただし、朝まで生テレビのようなアジェンダ設定を牛耳る司会者の力が強いようなディベートはあまり意味がないようです。
BBCのハード・トークのように、アメリカの著名政治家が「なぜ、そのようなことを聞くのか」と涙ながらに怒りながらも、最後にはお互いが笑顔で番組を終了するような政治報道番組が日本でも制作される日が待ち遠しく思います。ただし、そのためには市民的ルールと市民的自由についてお互いがもっと尊重できる社会になることが先決であるとは思います。
イギリスやアメリカの議会では、採決の際に、元プロレスラーが暴れまわるなどという光景は決してないようです。
さらなるブログでのご活躍、ニューヨークからではございますが、楽しみに致しております。
確かに日本のテレビメディアは自らを貶め自殺行為をしているような気がします。それでも平気なのは電波割り当てが既得権益になっていて本当の競争がないからです。彼らは視聴率第一ですからそこにニーズ(視聴者)があると主張するでしょう。
私は米国の公共放送、その中でもボストンのWGBHの質の高い報道に感銘を受けたことがあります。米国のメディアがイラク戦争開戦の理由となった情報が実は根拠がないことを掴んだのに編集方針で1面ではなくインパクトの無い紙面に追いやられ戦争支持に傾いた世論を変えられなかった過程を克明に追ったものでした。NHKのBS放送されたものですが多分視聴率は少数点以下だったでしょう。
メディアがしっかりしても結果の保証が無いことはいくらでもあります。アブグレーブ虐待追求が尻すぼみになり現場の兵だけ罰せられて幕引きになった経過も報じられました。私は天才参謀カールローブ氏のメディア対策が上回ったと見ております。正にメジャーリーグの戦いという印象を受けますが、判断は民度が問われ正しい答えを出す保障などない。それでも情報が限られた中で批判も出来ない国が出す正しい答えより余程ましだと思っています。
私は著名人がコマーシャルに出ることは気にしませんがおっしゃる様にそれがミスリードに繋がるなら問題です。カトリーナやインドネシア津波の支援に立ち上がった米国の著名人は結果的にコマーシャルに出るより余程自らの値打ちを高めているのだが、それに気がつかないのですかね。よく言えば日本人はロールモデルになることにある種の気恥ずかしさを感じているということかも。