衆院選が公示され今後4年間の国の舵取りを誰に任せるか選挙戦が始まった。マスコミがどう伝えるか注目したが、選挙の争点は安倍首相の狙い通りアベノミクスの信任を問うものになった。与野党の選挙公約は如何に国民の為になるか夫々が主張し合ういつものパターンだ。
だが、バブル崩壊後の失われた20年の間に分かち合う国富が徐々になくなった。国民の要求にこたえる為にお金を使い、その原資として毎回借金を増やし今や国の借金は1000兆円は超えてしまった。それでも選挙戦が始まると候補者もマスコミも配分を増やすことしか言わないいつものパターンになった。
その中で、今度の選挙で「不利益の分配」を問えと主張する今日の日本経済新聞の記事に注目した。アベノミクスは「期待という人の心理に働きかける経済政策」、つまり「期待の政治」であり、一昔前の高度成長時代に全国津々浦々まで豊かさを分配した「利益の政治」が出来なくなった状況から出て来た変化球だという。
その中で「期待の政治」に賭ける安倍首相の決断は悪くないと私は思う。最早残された選択肢は極めて限られている。もう金がない、国民は税金も払えないという。成長を実感できないとの声があるとアベノミクスを批判する野党も、適切な代案を示せないのだ。それが実態だと思う。
記事は続けて、それでは膨大な借金を抱えたこの国はやっていけるのか、少子高齢化で地方は疲弊が進み、若者世代に高齢者の社会保障費を負担させる世の中で良いのかと問いかける。今度の選挙でも恩恵を被っている高齢者が有利な選挙(シルバーデモクラシー)で若者が割を食う世の中になるのでは問題だと指摘する(だが、若者の投票率は低いだろう)。
与野党の候補者も我が国を代表するマスコミも痛みを伴う政策や論評を避けている、その姿勢に無責任とすら感じていたので、「不利益の分配」を説く日経(芹川論説委員長)の見識がとても新鮮に映った。将来益々不利益を誰が負担するかが問われる世の中になる。今度の選挙の勝敗は「期待の政治」を「シニアデモクラシー」で決着つけて終わってはならないと思う。■
だが、バブル崩壊後の失われた20年の間に分かち合う国富が徐々になくなった。国民の要求にこたえる為にお金を使い、その原資として毎回借金を増やし今や国の借金は1000兆円は超えてしまった。それでも選挙戦が始まると候補者もマスコミも配分を増やすことしか言わないいつものパターンになった。
その中で、今度の選挙で「不利益の分配」を問えと主張する今日の日本経済新聞の記事に注目した。アベノミクスは「期待という人の心理に働きかける経済政策」、つまり「期待の政治」であり、一昔前の高度成長時代に全国津々浦々まで豊かさを分配した「利益の政治」が出来なくなった状況から出て来た変化球だという。
その中で「期待の政治」に賭ける安倍首相の決断は悪くないと私は思う。最早残された選択肢は極めて限られている。もう金がない、国民は税金も払えないという。成長を実感できないとの声があるとアベノミクスを批判する野党も、適切な代案を示せないのだ。それが実態だと思う。
記事は続けて、それでは膨大な借金を抱えたこの国はやっていけるのか、少子高齢化で地方は疲弊が進み、若者世代に高齢者の社会保障費を負担させる世の中で良いのかと問いかける。今度の選挙でも恩恵を被っている高齢者が有利な選挙(シルバーデモクラシー)で若者が割を食う世の中になるのでは問題だと指摘する(だが、若者の投票率は低いだろう)。
与野党の候補者も我が国を代表するマスコミも痛みを伴う政策や論評を避けている、その姿勢に無責任とすら感じていたので、「不利益の分配」を説く日経(芹川論説委員長)の見識がとても新鮮に映った。将来益々不利益を誰が負担するかが問われる世の中になる。今度の選挙の勝敗は「期待の政治」を「シニアデモクラシー」で決着つけて終わってはならないと思う。■
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