噂されていた福田元官房長官の総裁選不出馬が正式に表明された。報道によると年齢・支持率低下・靖国を争点にしないがその理由だという。彼が総裁後継の候補とされて以来米中韓やアジア諸国などに外遊し意欲満々だったはずなのに何が起こったのか。
これについても既に憶測が流れている。一つは北朝鮮ミサイル発射事件が安倍氏との差を決定的なものにして勝ち目のない戦になったからという。この間福田氏は意図的に発言せず(彼らの言葉によれば生体反応せず)自ら降りる場を作ったと私は思う。
靖国神社首相参拝を争点にしたくなかったというが、その前に国立追悼施設を提唱しアジア外交修復の為散々参拝を反対してきており、今更それを理由にして降りるのは理屈が通らない。年齢について言えば、父親の福田赳夫氏が首相になったのは彼より年上だったし、そんなことは初めからわかっていた。
そのほかに森派の分裂を防ぎたかったという説もあるが、実は派閥内の支持が殆ど無かったと報じられている。総裁選を戦う資金不足という説もあるが、かつてと異なり総裁選で札束が飛ぶ時代ではない。
結局のところ福田氏は自分が可愛かった。彼は党内支持者が熱い思いで大挙してきて是非出てくれというのを待っていた。総裁は担がれてなるもので自ら手を挙げて戦うなどという恥ずかしいことは誇りが許さないと考えていた。彼に近い筋から漏れ出たという推測記事であるが、これが本音の不出馬理由であると私は信じる。
しかし、我が国の首相になる総裁選の有力候補がこういう次元で出馬不出馬を決めたのは実に残念だ。何故自らの考えを主張し党員、即ち国民の前で正々堂々と対立候補と意見を戦わせないのだろうか。
ここで降りるのは総裁選の争点を曖昧にし、結果的に自民党内の古い体質を温存させ為にならない。安倍・反安倍の対立軸はその顔ぶれを見ると、年金や消費税よりもむしろ新旧既得権益と安全保障(米国追随か米中バランス外交か)という権力闘争である。郵政解散後も対立の根は深く残っている。
福田氏の不出馬はこの基本的に相容れない考えを白日に晒して国民の前で議論する又とない機会を奪った。勿論、代替の対立候補が擁立され総裁選は戦われるだろうがもう勝負は決まったようなものだ。不出馬が何をもたらすか福田氏は分かっていたはずなのに、自分の誇りの為に止めたという風に見えるのは誠に残念だ。■