かぶれの世界(新)

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06夏の田舎暮らし(2)

2006-07-16 14:45:57 | 日記・エッセイ・コラム

連日暑い日が続く。数日前に最高気温が37度になり全国ニュースになったそうだ。東屋に御簾を張ったが10時頃になると東の山の端からの日差しが庭に差し、その反射で急に暑くなる。そうなると脳みそが沸騰し始めとても本など読めなくなる。昼間東屋の気温が最高43度になっていた。たまらず昨日小型扇風機を買ってきたが、熱風が吹き付けてくる感じでちっとも効果ない。あきらめて部屋に戻った。

98年7月にサクラメントに引っ越した日、気温が華氏111度まで上昇し当時レコードと報じていた。乾燥しているのでそれ程暑さを感じなかったのだが、頭皮を貫いて脳に与える熱の影響は湿度に関係なく、暫くすると急に目眩を感じ後から思い出してぞっとしたことがある。それにしても7月の暑さは気温はそう変わらなくとも8月より厳しく感じる。

今月初め田舎に着いた時見つけたドン臭い蚊は、ここ数日動きが俊敏になりやや小振りで羽音が大きく動きが鋭くなったような気がする。暑さがエネルギーを与えたのかも知れない。ブーンという羽音だけで暑苦しい気分にさせる。

2週間前に耕した畑は直後の梅雨の長雨で表土が固まってしまった。昨日鋤の形をした特殊な鍬で今度は畑の表土5-10cmを削った。今までの母の説明だとこれで大豆を植える準備が終ったはずだ。朝9時から11時前までやっただけで暑さでバテバテになった。

今日は早朝7時から恒例の部落総出のドブさらいだ。市の美化運動の一環としてやっているそうで、途中市の職員が見回りに来て挨拶をして帰っていった。市の運動だが実行は自治会ベースで、地域の特色が出ている。

前後で檀家総代の後任を決め、農作業の連絡事項が伝えられる。参加できない人は5000円払うルールに異論があったが、組長は全員参加が前提の行事であり手間賃として考えないで欲しいという説得でそれ以上の反論が無かった。

アパ-トの住人には案内を出すけれども、今年も参加者はないそうだ。かつて一人だけ参加してくれる人がいたそうだが、その後転居され今では誰も参加しなくなった。去年も書いたがこれは田舎も都会も同じだという気がする。

今年は溝のゴミや砂利が増えたような気がした。土地の人は上流の活動で山が荒れた結果砂利が増えたという。溝に捨てられたビールの空き缶が増えたのはどういうことだろう。本流の国道を外れた車が増えたせいか。ゴミは世相を現す。

午後は作業しながら聞いた山の写真を見せてもらいにSさんの家に行く。別の人にはパソコンの相談に乗ることにした。少しずつ田舎の生活になじんできた。■

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宰相橋本龍太郎

2006-07-13 16:34:33 | スポーツ

今月1日橋本龍太郎元首相が急死した。1億円ヤミ献金事件で政界引退に追い込まれ失意の中去っていた。死を悼む国民的な声が盛り上がることなく忘れ去られようとしている。一国の宰相として気の毒な終り方といえる。

確かに橋本氏は国民的な人気が無かった。人気のない消費税率アップを断行して参院選に大敗し首相退陣、最近の1億円ヤミ献金まで悪いイメージばかりある。多分人気のない最も大きい理由は「怒る、威張る、拗ねるが橋本」といわれた個人的性格によるところが大きい。テレビに出てくる氏の受け答えはいかにも傲慢で、これでは人気が出るはずがない。

ビジネスの世界では大蔵大臣時代に総量規制を実施しバブル崩壊の原因を作り、1991年2月日経平均株価が最高値から実に67%の下落の12,879円97銭となった。首相時代(96-98)6大改革を推進したが「失われた10年」といわれ、戦後最悪の景気後退の真っ只中にあった。

この9月の退陣を控え小泉政権5年の評価がされているが、皮肉なことに彼が断行した構造改革の多くは橋本首相時代に種が蒔かれていたと報告されている。省庁再編、金融ビッグバン、普天間基地返還、官邸機能強化等など。

橋本氏はもっと評価されてしかるべきではないかと思う人もいるはずだ。しかし、利権政治の象徴であった竹下派を引き継いだボスが、政策決定プロセスを維持しながら本質的な構造改革が出来たろうか。既得権益層の抵抗を排する為には国民の支持と豪腕が必須であり、それなくして小泉氏の破壊的なアプローチは取れず改革は換骨堕胎されていたろう。

更に外交の領域では橋本氏には日米関係の重要性は理解していたが、国内政治とは逆に反対多数の世論を押し切ってイラク戦争に自衛隊を派遣できなかったと思われる。判断の是非もさることながら、手前勝手な一国平和主義から世界に貢献する日本に脱却出来たとは思えない。

氏の傲慢な態度は自民党派閥政治の中での生き方しか知らないキャリアの中で育まれ、国民と共に戦わなければならないバブル崩壊後の国難にあって、それ以外の態度をとることが出来なかったと私は推測する。それが最後に悲劇を招いた。

それでも、橋本元首相が小泉改革の先鞭をつけ今日の金融活性化、景気回復のタネを蒔いた貢献は言い過ぎではない。個人的魅力によって政治家の実績評価が左右される不公平は残念ながら歴史の常である。橋本龍太郎氏のご冥福を祈りたい。■

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小さく生んで大きく育てる

2006-07-11 23:45:27 | 社会・経済

日本のものづくりの復活について先に「摺り合わせ方生産」を追及すべき、しかし万能ではないと述べた。だが摺り合わせ生産の優位性を利益が出るビジネスモデルにまでもっていくのは別の話である。これを5-10年の時間軸で見て議論したい。

先に日本の半導体事業は世界市場戦略を欠いた為ニッチ産業に没落したと説いた。言い換えると「大きく生まないと大きく育てられない」ということだった。しかし、「小さく生んで大きく育てる」ことが出来るアプローチがあり、既に日本企業にも成功例がある。最初にパソコンの例をあげる。

Windows95とIBMPCの出現によってパソコンがモジュール生産可能になり水平分業化した結果、誰でも部品を買ってきて最新のパソコンを作れるようになり、ビジネスモデルが根本的に変わった。これを機会に生産が東南アジアから始まり現在は中国シフトされ、大幅な価格下落が起こった。パソコンメーカーは淘汰されマイクロソフトとインテルは巨額の利益を上げるITの代表企業になった。

実はパソコンのOS(Windows)やCPUの価格は当時から殆ど下がっていない。当初OSやCPUはパソコン原価の数%しか占めずマイクロソフトやインテルは駆け出しの弱い立場にいた。それが一旦採用され必須部品になり価格維持する一方で本体価格は下落し原価の10%以上になり、数量増による利益は殆どマイクロソフトとインテルに流れるビジネスモデルになった。

このウィンテル・モデルはパソコンメーカーに本体を値下げさせ需要を喚起する一方で、OSとCPUの知的財産保護と技術開発の両面から独占供給体制を堅持して価格維持することにより効率的に利益を吸い上げるビジネスモデルを確立できた。これはまさに「小さく生んで大きく育てる」例であった。但し彼らは初めから世界市場を視野に入れていた。

90年代中頃まで日本がほぼ100%のシェアを誇っていた液晶ディスプレイや光ディスクでも実は類似のことが起こっている。開始したときは設備投資の割りに殆ど売り上げが得られず、利益を出すまでに何年もかかる非常に特殊な部品や材料が内蔵されている。

90年代後半から日本からその部品や材料が韓国・台湾に輸出されて液晶パネルなどに内蔵されるサブユニットが作られ,それが中国に輸出されて最終製品が組み立てられるハイテック製品の国際機能分業体制が短期間で作られた。

液晶パネルの場合もモジュール化が進み、日本の最終製品生産は急速に競争力を失い淘汰された。しかし、カラーフィルタや偏光板などの部品とそれに使うフィルム等の「川上部品」は日本企業が独占的に供給し価格が安定しているのに対し、最終製品は需給が緩むと価格下落が続き、「川上部品」の占めるコストが60~70%と過半を占めるようになった。

このビジネスモデルは流動的でパソコンほど安定していない。韓国・台湾企業は川上部品このビジネスモデルを変えようと必死の努力を続け一部に成果が出始めたが、最終製品組み立てほど容易に日本にキャッチアップできてないのが現状である。

川上部品や材料は巨額の設備投資、長い時間かけたノウハウの蓄積、摺り合わせ生産など日本が得意とする生産システムに依存するところが多々ある。日本から工作機械を買ってくれば直ぐに作れるようなものではない。

歴史の浅いせいか国民性か分からないが中韓企業はじっくり時間をかけて基幹部品を作る経営戦略は見かけず、結果として日本の川上部品メーカーが独占供給し利益を得る構図になっている。このビジネスモデルの起源は異なるが、パソコンにおけるOSやCPUと同じように一旦採用すると代替はない。

ところで日本に独占供給体制堅持のため知的財産保護を含めた明確な優位性維持戦略があるだろうか。現在の状況は日本企業が国内生産から海外生産にシフトするという過程から図らずしも生まれた。

海外生産シフトが進み生産現場と技術開発の距離が出来、得意の摺り合わせが機能しなくなってきたというアラームが発せられている。国際機能分業体制をもっと意図を持った戦略に高めていくことが重要と私は考える。

日本の上流部品・材料の優位性を可能ならしめた原理と構造を科学的に解き明かしそれを強化していかなければ、今日の立場を長く維持できない。横断的な活動が活発な日本特有の組織の「摺り合わせ」活動だけで優位性を保つことは難しい。■

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W杯ファンの熱き遠吠え(10)

2006-07-10 22:00:30 | スポーツ

今回は詠嘆調もどきで総括!

・  ミドルレンジのシュートが目立ったが、実は守備力が決め手の大会だった。

         日本のワールドカップは初戦の豪州戦最後の10分で終った。

         悲しいかなアジアの低迷は続く。

         アルゼンチンはドイツをリードした時敗退の道を歩き始めた。

         ブラジルは未だに何故負けたか分からないでいる。

         ドイツは最も価値のある負け方、イングランドは最も価値のない負け方をして終った。

         ポルトガルの黄金世代は最後の機会に結果を出した。

         フランスの悲劇は1998年に始まり2006年に終った。

         ジダンが何を言われて切れたか誰か教えて。

         真のMVPはイタリアのディフェンスだった。

         フランスは負けてシャンゼリゼ凱旋、イタリアは勝って3部リーグ陥落が待っている。

         真の勝者はドイツ観衆だった。

         余談: ドイツにも国旗アレルギーがあったんだ。大戦の後遺症、でも日本より健全。

明日から寝不足を解消し健康的な生活に戻れる・・・はずだ。■

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W杯ファンの熱き遠吠え(9)

2006-07-08 23:24:33 | スポーツ

ベスト8、ベスト4の勝敗予測は見事に外れた。私の目には実力差は紙一重、勝敗の決め手が運か偶然なのか実力の反映なのかよく分からない接戦が多かった。しかし欧州と南米がベスト8に残り、南米が脱落したものの所謂強豪国が順当に勝ち残った。

私の目には勝敗を分ける違いがよくわからなかった。勝負がついた後の解説はもっともらしいけど、筆者が結果を予測しえたかどうか疑わしい。予測できなければ私にはたいした意味はない。言えることは欧州のチームの実力は凄く接近しているが、トップと次のグループの間には微妙だけど超えられない差があるようだ。

喩えて言うならトップグループは92+-3点の力、次のグループは88+-3点、日本は79+-3点程度の実力のイメージだ。それに環境や時々のコンディションやチーム戦略など偶然と必然が重なり結果を左右するというのが私の印象だ。

予選ラウンドとベスト16までは92vs79とか88vs79の戦いだったから、試合当日力が6=+3~-3振れても波乱は生じなかった。しかし、ベスト8以降は-3になると勝てるチャンスは極めて少なくなったということなのだろう。ロナウジーニョが-3のままでは決勝ラウンドは勝てなかった。

今回は環境やコンディションなどのファクターが欧州勢にとってフラット・レートのタクシーに乗るようなものだった。日本の勝敗については+-3点の議論よりもっと79点を押し上げないと勝負にならなかった。オシムがインタビューに答えて同じ趣旨のことを言っていたように思う。

今までのベストゲームはイタリア対ドイツだった。準決勝でこれほどいいゲームが見られるとは思わなかった。今大会随一の守備力を持つイタリアは徐々に調子を上げてきており、フランスはジダンの動きが封じられ苦戦するだろうというのが私の予測である。■

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