かぶれの世界(新)

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保証書付のケチ

2010-05-06 22:44:19 | 日記・エッセイ・コラム

先週の妹と入れ違いに家内が帰省していたが、今日東京に戻って行った。空港まで家内を送って家に戻ると雨が降り始め、夕方には連休中の異常な暑さから一転肌寒くなった。広い農家の部屋で一人いると、尚更寒くなってきた気がする。

この2週間は、妹や家内と長く話をする久しぶりの機会だった。話題が生活スタイルに及んだ時、田舎に戻った時母に代わって買い物に行くと、私が安物ばかり買ってくると母が嘆いていたと妹が言った。これが凄く気になった。この人だけには言われたくないと思っていた母の言だからだ。

と言うのは、母は昔の人特有の堅実、悪く言えば吝嗇家だと思っていたので、母の言葉は私には意外で、その認識ギャップに対する驚きだった。同時にそんな母にケチと言われたという事は、私は「保証書付のケチ」ということだと思った。だからといって悪い気はしなかった。

私自身は闇雲なケチではなく合理的ケチだと思っているからだ。収入に限らず普段は質素な生活で必要ないものは買わない、必要な時には惜しむこと無くお金を使う。それを普通の人より徹底してやっているだけだと。周りの人の不評を買うことも知ってはいるが止められない。

7年前に退職後、東京の自宅でもよく買い物を頼まれたが、私が安価な見切り品や賞味期限直前の食料を買ってくるものだから、終いに家内は私に買い物を頼まなくなった。食料だけでなく着る物に無頓着で、外出時にはキチンとしてほしい、部屋着みたいなものは駄目と家内はいつも言う。

なるべく家内の要求には従ったが、私自身はよれよれだろうと着れたらそれで十分だった。その後のリーマンショック以降、世の中は一転して節約志向に変わったが、私は一切生活態度を変えなかった。変える必要が無かったというべきか。

私の合理的節約、つまりケチは母の影響を受けたとばかり思っていた。

だが妹によれば、私が思っていたのと反対だった。母はケチどころか着るものや化粧品には相当お金をかけていたという。私は戦後日本が豊かになる前の15歳までしか実家にいなかったので、その印象が強く残っているのかもしれない。後から家内に聞くと妹と全く同じことを言った。

母は食べ物を(多分、毎日かかる費用だから)注意すれば家計は何とかなる、みたいなことを家内も言ったが、一方でおしゃれには随分お金をかけていたらしい。女性の見る目は同じだった。もしかしたら、私は母を上回るケチだと証明されたということか!

もう一つ私のケチな理由は、米国で一人暮しした時食料や衣料品などを人生初めて自分で買うようになった。その時、唯一の生活の知恵として会社勤めで知ったバリューアナリシスなど経費節減手法を自分の生活に取り込み、私の何でも徹底する癖が身についたのかもしれない。

3番目の理由は質素な生活スタイルが私の身体に合っていることだ。会社務め時代に仕事で食事する機会が多く、それが10年も20年も続いてコレステロールなどの生化学指標が危機的に悪化した。美味しい食事は大好きだが、平素は質素な食事でないと私の体が直ぐにツケを払う羽目になる。同じ理由かどうか分からないが、自然に身なりも同じということになった。

それでは、私の合理的節約は子供達に影響を与えているだろうか。私はないと思っていたが・・・

娘夫婦が引越しした時、溢れるばかりの衣料品の多さに驚いた。彼女は私の影響は受けてなさそうだ。一方、長男の嫁によれば少なくとも光熱費などについて、彼は私よりも徹底して「合理的節約」を彼女に求めているようだ。たぶん他の費目についても同じ傾向ではないかと推測する。

末の子もそうだが最近の若者の傾向として、酒やタバコを嗜まず車も不要と言うが、一方でファッションや趣味にはお金を使っているようだから、私と違って親の影響を受けたとは言わないと思う。■

コメント
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