goo blog サービス終了のお知らせ 

かぶれの世界(新)

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

潮時

2011-05-20 22:11:03 | 通販・買い物

ものには潮時というものがある。凄く上手く行っていても、いつかはピークを迎えそれ以降は落ちて行くだけとなる。難しいのはピークに達した時が何時か誰もわからない、あの時がピークだったと後から分かるだけだ。リーダーは退き際を誤り、株価はまだ上昇すると思い買うと暴落する。

私の場合何が潮時かというと、この2ヶ月間パソコンの買い替えをするか否か悩んだことだ。2ヶ月前に田舎に来た時から、パソコンを買換えるべきかずっと考えてきた。買換えを考える理由は沢山あったが、どれも決定的とは思えなかったからだ。

私の利用しているパソコンはWindows-XP、でいずれも2003-4年頃に買った。新しいアプリやデータで重くなり徐々に性能低下し、ハードディスクを掃除し主記憶を増設して今まで凌いできた。だが、写真や動画のアプリが遅いのはまだしも、メールなどの基本機能が遅くなりイライラしだした。

3月頃からパソコン販売動向の異常を伝えるニュースを目にするようになった。インテルのCPUに不具合が見つかり春の新商品販売開始が遅れ、大震災が追い討ちをかけて販売不調が予測された為、在庫が残らないように大幅な価格低下が起こっているというものだ。

ネットなどで専門家は、この価格下落の時期はWindows-XPからWindows-7に乗り換える絶好の機会だと買換えを勧めていた。丁度その頃マイクロソフトがIE-9をリリースし、試してみようと思ったがXPはサービスの対象外になっていることが分かった。

これで一気に火が点いた、パソコンを買い換えよう。潮時だ、と。ニュースが伝えていたのはノートパソコンの値下がりで、価格が更新される毎土曜日に専門店を訪問すると確かに毎回安くなっていた。性能重視の私はデスクトップ狙いだが、棚にあるのはノートパソコンが多かった。

それではと、息子の助言を仰ぐと全国チェーンの専門店だといってもこちらの店はチョット高い。色々調べた結果、メーカーからのダイレクトメールのキャンペーン価格が最も安かった。21.5インチモニタ付でi3/i5CPU、MM4GB、HD500GBで5万円を切るという一昔前なら夢のような価格だ。

腹を決めてオーダーを出す前に急にパソコンがフリーズし始めた。経験でウィルスチェックがイタズラしている事は分かっていた。最初はフリーソフトのavast!を最新版に更新、その後修復しても何も改善しなかったので、思い切ってアンインストールした。

ゼロからもう一度同じソフトをインストールするとKingsoftなるものに包まれた新版に替わった。何とこれがWindows-XPマシンを生まれ変わらせた。一気に購入した頃の性能を取り戻してさくさく動くようになり、不安定だったアプリも安心して動かせるようになった。

気が付いたら買換えする理由を失った。一時期はすっかり買い換えモードに嵌ったが、正気に戻った気分だ。良く考えればIE-9で何が良くなるのか、私にとって必要かどうか良く理解しないで買換えの潮時だと思っていた。これを使いたいという所謂キラーアプリケーションはない。

最近のパソコンは新商品といってもCPUの周波数を上げ、メモリーを増やした程度だから、新商品を買わないと何かが出来ないという訳でもない。世界のパソコン市場の2/3は新興国向けになり、インテルやマイクロソフトと主要パソコンメーカーは新興国向け商品開発に力を注いでいる(日本経済新聞5/20)。我々はターゲットではない。

買い替えを止めたのはこの頃流行の自粛をした訳ではない。あえて言うなら幼い時から不要なものは買わないと躾けられた、生れつきで筋金入りの自粛だ。とは言うものの、パソコンの詳細仕様を比較し価格を調べている時は楽しかった。「買い物はする直前が一番楽しい、一旦買ったら後悔する」先人の言い伝えだ。じゃ買わなかったらどうか、それも何だか寂しい。■

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

英語が聞えなくなった

2011-05-17 21:47:00 | 日記・エッセイ・コラム

大震災以来テレビやラジオで流す音楽は、いわゆる「心が和み元気を与える」曲で、歌詞が凄く分かりやすいものが多くなったような気がする。メロディもさることながら何を言っているかわからないでは元気を与えるのは難しいから当然と思う。

半年前に長男がくれたiPodで音楽を聞きながら毎日散歩するのが日課だ。これまた末の息子がくれた耳に押し込むタイプのイアフォーンは低音特性がよく、今まで聞き取れなかった楽器の音が鮮明に聞え、聞き取れなかった歌詞が分かるようになった。「何だこう言ってたのか」と発見して歌詞の意味の深さに改めて感心したりする。

カントリーやジャズなどの英語の歌詞の単語が切れ切れに聞き取れるようになると、そこから想像して意味が分かるようになった(多分)。95年に米国に赴任した時、ある日突然歌の意味が分かるようになると、何年か前から駐在していた同僚が言ったのを思い出した。その時私は40代半ばでその領域には達しなかったが、数年後それに近い感覚を得た気がした。

95年の赴任前のTOEICが735点だったが、99年に帰任3年経過した2003年に海外ボランティアの資格を得る為、再受験すると900点弱(895)まで上昇した。実はその頃は早期退職し時間が十分あったので、しっかりTOEIC受験対策をしてその効果が出た。そんなに実力はなかった。

それでもビジネス交渉はさておき、日常会話は支障なくできる程度の自信はあった。余裕が出てくる。昨年夏頃だったと思うが、楽天やユニクロが社内の公用語を英語にした時、「恐れる事はない、慣れたら何とかなる、問われるのは中身だ」とブログに投稿し大見得を切った。

その後、海外のメディアに登録して英文のニュース速報が日に数十本入るようにし、興味のある記事は最後まで読んでブログ記事に引用したりした。英語のコミュニケーション力はそのまま維持していると思っていた。iPodから流れる音楽も何とか聞き取れるみたいだし・・・

ところが数日前、ニュースを見たあと何気なくチャンネルを変えると、日本語吹き替えも字幕の出ない映画をやっていた。何を言っているか全くわからない。最初英語じゃないと思ったが、集中してよく聞いてみると英語だった。やっぱり、殆ど分からない。

そこで、日本語字幕を出して見ると何故か英語も聞える、不思議だが多分日本語をヒントにして頭の中で英語を想像しているのだろうと思った。つまり耳で聞いて分かっているわけではない!突然、英語が聞えなくなった私に気が付いた。だが、もう英語を話すことはない、少しがっかりしたがそう思ってあっさり諦めた。

そういえばペーパーブックも読まなくなったし、購読しているタイムの記事も殆ど読まない。読むのは野球と金儲けの為のマーケット情報程度、後は日本のメディアが一方的だと感じた時に英米の記事を読み比べる程度だ。面倒な事は避けていた。私の英語コミュニケーション力はすっかり錆び付いてしまった、磨き直すには年をとりすぎた。■

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

震災報道の現場の裏側

2011-05-13 23:54:01 | ニュース

先月30日に「やっぱりそうだったのか」と題して、テレビ朝日のニュース番組コメンテーターの一色氏の内幕記事を引用し、抑制された震災報道が番組スタッフの介入によるものだったと投稿した。テレビ放送が「情」に訴える特徴がありその影響力を認識した適切な判断だったと納得した。

それでは、番組スタッフが何に基づいて判断し介入したか、この疑問に答える下記の記事を昨日の日経トレンディのウェブサイトで見つけた。それは西友のマーケティング本部長の富永朋信氏の記事でツイッターが震災報道に影響を与えたというものだ。

http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/column/20110510/1035574/?ml&rt=nocnt 

富永氏は3.11翌日の水素爆発後様々な見解が入り乱れた混乱から、ツイッターの情報が充実してくるに連れて政府発表や報道を信頼出来るようになり、落ち着きを取り戻したと実体験を紹介している。米国と日本の退避区域指示の違いについても同様な経緯をたどったという。

氏の分析を意訳すれば、ツイッターは多様な情報をリアルタイムで淘汰し、正しいと思われる情報に集約する機能がある。即ち、複数の異なる仮説・分析・意見などを専門家がリアルタイムで(仮想的に)議論し、信頼できる意見に集約していく機能がツイッターにはあるという。

既存のテレビやブログは一方的に意見を伝えるだけだが、ツイッターはリアルタイムで専門家の意見が直接間接に戦わされ、高いレベルで意見の集約がなされた。この時間差をおかず意見を集約するという機能は、今回のようなクリティカルな状況では真に重要な役割を果たした。成る程これが番組スタッフの介入のネタになったという訳だと思った。

冨永氏は「テレビ・新聞の報道トーンは、これらツイッター世論の影響を受けて、批判色が抑えられ、事実を淡々と報道とするのに近いスタンスが見られた。一方、週刊誌などは比較的従来通りの批判的なスタンスが継続され、信頼されなかった」と調査結果を分析している。私も同じ印象をずっと持っていたが、これ程明快ではなかった。

私はブログ世代でツイッターのユーザーではない。頭では理解しても、その持つ圧倒的な力を十分理解していなかった。成る程、これが中東革命で民衆を立ち上がらせ、原発事故のパニックを防ぐ貢献をしてくれたのか、と思った。抑制報道がテレビマンの見識だけでは説明できないと思っていた私には、ツイッターと報道の関係が具体的に見えてきて納得できるものだ。■

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

問うべきは、決定かプロセスか

2011-05-11 18:21:11 | ニュース

菅首相が中部電力に対しの浜岡原発の運転停止を先週要請、中部電力は今週月曜日に運転停止を決定した旨報じられた。先週から本件についての報道を注視してきたが、マスコミの主な論調は菅首相の要請が唐突であったところに重点を置いた報道であった。

9日の米倉経団連会長が決定に至る思考過程がブラックボックスと痛烈に政府を批判する映像をテレビ各社は流し、首相の意思決定が根回しのない唐突なものであったことを強調した。決定から外されて八つ当たりしている感もあった。この批判に力を得たように、政府・与野党の実務者会議でも野党から批判が相次いだという。

首相要請が先週報じられた時、私は悪い予感がした。「唐突感は否めない」とか言うニュースキャスターのコメントを聞いて、直感的にマスコミは要請の内容の妥当性を論じるより要請のプロセスに注文をつける気だなと思った。予想通りの展開だった。こんな重要な意思決定がプロセス論で終ってはいけない。マスコミの論調を確認して野党は安心して批判した様に私は感じる。

静岡県知事や大阪府知事などが要請内容を評価し、中部電力が「今回の要請は社会の原発への不安の高まりを踏まえたもの。真摯に対応して信頼を得ることが最優先だ」と判断したのは要請を正しく認識した上での決定であった。名誉の為にいうと地元自治体の市長が要請を聞いて驚き不快感を示したが、その後正気に戻り市民の安全を第一に置いた発言に変わった。

中部電力の決定の前に、「要請が国民にとってベストかどうか」どのメディアも検証しないで、ただただ唐突と繰り返すのには幾らなんでもあきれた。我国のマスコミが政策や決定の内容の妥当性を省略して、根回しとかのプロセスの巧拙ばかりを報じるのを私は憂慮する。今回だけではない。

メディアは先ずは意思決定が国民にとって最重要で優先して取り組むべきか、必要なら専門家に論じさせ視聴者に考える材料を提供すべきなのにその責務を果たしていない。ここまで来ると最早無責任だと私は考える。マスコミにはそれだけの影響力があるのだから。

私の憶測は「報じる立場の人達がインサイダーの罠」に陥っているように感じる。番記者の思考判断基準が取材される対象となるサークルの発想に染まってしまうパターン、いわゆる‘記者クラブ症候群’だ。手続きの専門家の話が最初に問われるなどというのは本末転倒だ。この先国民が判断を下す重要な局面がいくつもある、果たしてメディアは責任を果たせるだろうか。■

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の田中好子

2011-05-10 17:14:18 | 日記・エッセイ・コラム

先日亡くなった田中好子さん訃報を報じる記事は、どの新聞でも『人気アイドルグループ「キャンディーズ」のスーちゃんこと、女優の田中好子さん』と紹介していた。私にとって彼女はその後半部分の「女優・田中好子」だった。

「キャンディーズ世代」とは50代の人達だそうで、彼らにとって田中好子ではなくキャンディ-ズのスーちゃんなのだそうだ。テレビや新聞にとっても、取り扱いは一貫して女優より国民的アイドル「キャンディーズ」のスーちゃんだったと感じる。

興味深いのは社会的影響を与える世代は田中好子ではなく、スーちゃん(つまりキャンディーズ)ファンのようだ。今日の日本経済新聞電子版はキャンディーズ世代の消費パワーの強さを報じている。私にとって見れば「歌唱力から可愛さ」に変わったアイドル時代の始まりだった。アイドルは歌が下手という私の偏見の始まりだったかもしれない。

一回り上の年代の私の青春時代は「ザ・ピーナッツ」全盛の時代で、彼女達に比べるとキャンディーズは芸会の演芸程度にしか聞えず、何故そんなに人気があるのか全く理解できなかった。多分、それが「アイドル」たる所以ではなかったかと今振り返って思う。

その後田中好子がカムバックして、欽ちゃんのテレビ番組に出たときの事をはっきり覚えている。その時、一人になった方が可愛くて光っているように感じた。彼女がソロシンガーとしてではなく、女優を目指していた事はその時は知らなかった。以降、歌っている姿を見た事はない。

数年たって映画に出演し主演女優賞を取り、彼女は本格的な女優として活動するようになった。テレビドラマにも出るようになって彼女の落ち着いた、芯のある、しかしどこかに寂しさを感じる演技が好ましく思うようになった。だが、何時までたってもマスコミはスーちゃん扱いだった印象がある。

設定された役柄だとしても不思議なことに彼女が演じるどんな役柄でも好きになった。私にとって彼女は田中好子であり、キャンディーズ再結成を期待したことも歌を聴きたいとも思わなかった。だが、二日前NHKが再放送した「鳥帰る」は最後までじっくり拝見した。ご冥福を祈りたい。■

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする