先週家内が田舎に来た翌日の水曜日、一緒に松山に向かい母を見舞った。家内の顔を見て母がこの2、3年見せたことの無い笑顔を見せた。いつも無愛想で憎らしい顔しか見たことの無かった私にとって、母の顔を見て「ゴージャス」という言葉を思い出した。
娘が昇進したと報告すると、「あの娘は子供がいないんだよね」としっかり反応した。それを聞いて家内も私も嬉しい思いをした。二人とも母の認知症が進むのを心配していたので、母の反応がしごく普通だったからだ。施設の担当の人達の話とも符合しており気分が軽くなった気がした。
しかし、今週再び母を見舞うと無愛想で、家内が残してくれた曾孫の写真を見ようともしなかった。元に戻ったというより、日によって母の感情にムラがあり、今日は日が悪かったと思うことにした。こういう繰り返しが続くのだろう。帰り際に施設の相談員に報告すると、彼女も母に慣れてきて明日になれば気分も変わって写真を熱心に見るでしょうという返事だった。
介護録といっても施設の介護・看護・リハビリ等夫々の立場から見た母の様子を聞き、必要に応じて掛かりつけの医者の見立てを聞き文書手続きをするくらいだ。私が今最も時間をかけてやっている事は、家と庭そして田畑・山林の手入れなど母が一人でやってきた事を私がやることだ。
80歳まで体力の弱った母が一人でやった事が、20歳も若い私が出来なくて苦労している。これで介護録というのは本当に気が引ける。来週は大阪にいる妹が顔を出す予定になっている。私にとってはお客さんだが、それでも居てくれれば気休めになる。■