大震災以来2ヶ月になるが、その間ずっと東京電力は菅首相と並び日本中で袋叩きにあってきた。叩かれる理由は沢山あるだろうが、無知で未熟な批判も多い。私から見たらよく考えられた意思決定と取組みや成果は無視されるか小さい扱いで伝えられる一方で、小さなミスも声高に非難されている印象がある。決して健全な状態ではない。
坊 |
主憎けりゃ袈裟まで憎いモードに入ると、何でもかんでもマイナスイメージで捉え全体像を見失う。遺伝的とも思える我国の病的体質が又も現われたと感じる。何が良くて何が悪かったか事実を冷静に見極めて、一体感もって復興に取り組む姿勢がこんなことでやっていけるかと感じる。最悪は毎度お馴染みゼロどころかマイナスからの再出発になってしまう。
私は問題が起こった時、「何故そうなったか」と事象から離れて3人称で考えると同時に、「何故そうしたか、そう言うのか - 他の誰かならどうしたか、私ならどうしたか」、と1人称で考える習慣が長い会社勤めの間についた。主に交渉の場で相手の立場を理解する為についた習慣だ。
そういう視点から菅首相に「贈る言葉」のエールをおくった。今回は東電の立場に立ってみて原発事故を考えてみたい。東電の隠蔽体質から始めてそれが構造的なものであると論じたい。
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本に原子力発電所を建設すべきか議論し始めた時代、国を二分するような強い原発反対が存在し、原発の是非を巡る論争がイデオロギーを交えた政治論争になった。問題は原発の安全性について1か0かの議論になり、安全を議論する為の仮定としてあらゆる場合の事故を考えて議論するオープンな危機管理議論が出来なかった。
このまともに議論できない環境下で、原発推進派は政治家、官僚、原発立地自治体、学識経験者と一体になって「政・官・学・地元の巨大な原発共同体」を作り上げた(日経BP4/26)。その下で電力会社は、「原発は絶対安全神話」を作り、地元に巨額の金をばら撒いて反対派を潰し原発推進した。この仕組は国民やマスコミも加担した、電力会社だけに責めを負わせるものではない。
福島県知事は原発はもういらないと言い放ったが、幾代か前の知事は共同体の一員として決定に加わりそれ以降たっぷり支援金が福島に流れたはずだ。それで何万人かが生計を立て道路や公共施設が建設されたのだ。これは地元に公共事業を取ってきて政治家は票を集め、官僚は天下り先を確保するお馴染みの鉄のトライアングルと同じだ。全国の原発がある自治体に行けば直ぐ分かる、そこは潤っている。
それを証明するようなことが浜岡原発停止の首相要請を受けて起こった。静岡県知事は賛同したが、地元自治体長は原発で生活している地元住民がいるのにどうしてくれると怒る映像が流れた。福島原発の事故があった後でも、各論が自分に向かうと判断の優先順位が変わった。
又、新潟県知事なども同じように唐突だと不快感を示した。新潟県下には柏崎原発があり、柏崎市の税収の34%が原発関係から得られている。これが実態だ。福島原発事故は共同体全体が決めた想定を越えた震災であり、東電だけに非難が集中する根拠は無いように感じる。共同体、言い換えると国民、の負担は免れないと私は思う。
隠 |
蔽体質が東電(そして政府)にあったのが明らかになった。だが、識者が主張するように検証されて無い仮説上の最悪データまで全て情報公開したらどうなったか。私の推測では、メディアはきっちりメッセージを伝える能力はない、公表されれば最悪ケースの情報を強調して伝えるだろう。いくら用心して伝えても、受け取る国民の反応にも不安がある。建前だけですまない。
その例はお隣の韓国にあった。趙章恩(チョウ・チャンウン)氏は「日本と韓国の交差点」の中で「あくまでも最悪な場合を想定したシミュレーションなので参考までに」という前提で公開されたシミュレーションがネットに出回り始めてから雰囲気が変わった。政府の発表が信頼されなくなり一気に不安が広まったと書いている。
韓国の例を見るとより震源地に近い日本では、たとえ国民性の違いがあるにしても、もっと深刻なパニックが起こった可能性がある。確かに政府は説明のつくデータだけしか情報公開(嘘ではないが全てではない)しなかったが、それがパニックを防いだ側面もあると私は評価する。
原発事故の対応を人災と非難する人も多い。その後の報道を見ると、津波直後の東電の対応はもう少し上手くやれたかもしれない。人災との指摘は2種類ある。上記の自民党政権時代の原発推進共同体の中で下された意思決定と、震災直後の「初動」とがあるようだ。
想 |
定外か想定内の議論は後知恵的、想定外をなくせばコスト負担を誰がするのか、何もなかった平時に次の300年先から1000年先の事故に備えるコストを現代の人が負担できるか、そういう議論ができたのか私は疑問に思う。たった20年先の年金問題や財政赤字問題すら負担を嫌がり意思決定を先送りする政治とそれを許す国民だ。
原発事故はまだ生々しいから出来ると思うかもしれない、だとすれば50-100年先には地球的大問題になるかもしれない温暖化になるともう怪しい、テロが起こる可能性はもっと高いかもしれないがテロ対策とかいえば、具体的議論に入る前に日本人はアレルギー反応を起こしそうだ。
決して東電擁護では無い。だが、東電非難は「不良息子を育てた親が自分に都合が悪くなると子供を非難する」ように感じる。「原発事故は他人の子ではない、我が子が起こした事故」なんですよと思い、そこから対策を織り込んで復興を開始すべきだ。
実はそれは原発だけではない、戦後60年間に作られた色々な共同体が機能しなくなり日本は構造改革を進めていかなければならない。と海外の識者は日本を見ている。今こそ60年間に受けた恩恵(も沢山あった)のツケを払い、新たなスキーム(共同体を全否定はしない)を作っていく時だ。今最も避けるべきはコップの中での内輪もめで政治が停滞することだ。もしそうなれば外から見る目は一気に冷めて尊敬を失い、同情も支援も一気に吹き飛ぶ。■