かぶれの世界(新)

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田舎暮らし雑感2018(1)

2018-04-18 09:16:53 | 日記・エッセイ・コラム
恒例の「田舎暮らし雑感」は暗い話題からスタートする。今回は複雑な田舎の世代間人間関係を解きほぐそうという努力をしてみた。

限界集落1
隣の家の奥さんが挨拶に来て、その後長々と世間話をした。ご主人は向かいの家の孫と結婚し2人の子供を儲けたが、後に離婚し再婚したのが彼女だ。彼女も二度目の結婚で20代の女の子がいるという。再婚して何年も経つが、彼女は集落の誰とも付き合いがなく孤立しているように見える。

私(多分私だけ)は彼女とも普段から別け隔てなく話をし、何とか周りの人達と付き合えるよう気配りしている積りだがうまく行ってない。未だに隣にどんな人が住んでいるか(後で説明する)知らなかった。今回は彼女は打ち解けて集落の人達、特に老女達の悪口を聞かされた。

老女達は80-90代で今更あれこれ気配りして発言しなくともおかしくない。彼女等に悪意が無くとも、よそ者の再婚女性が悪意と受け取ってしまったと思う。聞くと中々険悪だった。再婚後向かいの家から覗かれないよう高い塀を作ったり、車を回す為に広い庭を使いたいとの申し入れを断ったりとか。

再婚後残された子供達を手放した際のやり取りがこじれた原因の一つのようだ。かなりの後遺症が残っている様子だった。実家が裕福でBMWの大型車を乗り回し、やや見下した感じがするので近所のオバサン達(老婆というべき年だが)も煙たいのかもしれない。

だが、疎外されたと感じる彼女の気持ちも良く分かる。この集落は一人も子供がいなくなり彼女は限界集落だと吐き捨てた。老婆とやや若い独身の中高年男性ばかり。我が家のように老人は死に子供は全員都会に出て行き空き家になった所はまだないが、他の家も有力な予備軍だ。

大洲人気質
まだ高尾山で傷めた膝の具合が悪いのだが気分転換を兼ねて川沿いの道を散歩した。途中で時々見かけたことのある2匹の犬を散歩させている中年婦人を見かけた。私の顔を良く覚えていて最初は犬を去勢したら太り始めたとか世間話が続いた。私も膝が悪いものだから彼女に合わせて歩いた。

何かの拍子で新居浜に住んだことがあるというと、彼女も東予(愛媛県東半分のこと)出身でここ(大洲)とは天候も気質も全く違うと言い始め話が弾んだ。天気予報が晴れなのに昼まで霧に包まれている。了解してくれたはずなのに何時までも忘れず根に持っている、何でも丁寧に「お」を付けて言うが相手の意志がはっきりしない、反対せず分かったと言いながら後で反対する。

私が数年前に投稿した記事「大洲人気質」と同じ事を彼女は指摘した。同感だが私はそんなものだと思っても、彼女は許せない。ご近所との付き合いは何時まで経っても馴染めないそうだ。ご主人は福岡の出身だが勤め先は海沿いの伊予市で、1日中ここにいる彼女とは苦労の度合いが違うのだろう。

私は同じ伊予市から嫁いできて苦労した母の話や盆地気候の米沢でも同じ傾向があるとの話を紹介した。わかれ際に「また、愚痴を聞いて下さい」と言われた。彼女の悩みを理解して聞いてくれる人が周りにいないのだろうと思い、「もちろん、喜んで」と返事した。

限界集落2
その散歩の帰り道に何人か別のオバサン達に会い、大袈裟に帰郷を歓迎して貰った。お土産までもらった。滅多に会わなくともここで育った私はよそ者ではないということだろう。話の長い彼女達に別れを告げ実家に向かうと、やっと私より若い集落の元班長にあい最近の地域の状況を聞いた。

最初の話題は30年ぶりという大雪だったが、気になったのは冒頭に出て来た隣の隣の家の中高年兄弟だ。二人とも独身でとっくに結婚適齢期を過ぎている。兄は母が死ぬ前にご両親が続けてなくなり全てにやる気がなくなり、家に籠るようになったという。うつ病の気があり精神科に通っているという。

弟は真面目で外に働きに出ているが農業は出来ないらしい。相続した田畑は放置されていたが、最近は誰かに頼んで耕作されている様子だ。この二人が結婚する可能性はほぼゼロ、どう考えても将来は悲観的にならざるを得ない。更に問題は兄弟がこの集落全体を象徴している様に感じることだ。

その斜め隣りの大きな家に少し希望を発見した。何年も前に離婚した息子と付き合っているという若い女性に会った。いやに離婚再婚が多い。結婚前だが彼のお母さん(お婆さん)公認のようだ。私は積極的に自己紹介してこの集落にいい感じを持ってもらうよう私なりの努力をした。この集落唯一の希望の星だ。■
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2018田舎暮らし事始め

2018-04-17 15:46:50 | 日記
先に投稿したように日曜日から四国の実家で田舎暮らしを再開した。丸々半年間家を空けていたので、何か不都合が起こっていると覚悟をしていた。いくつもの異変を見つけたが、予想していたものとは違っていた。

最初に目に入ったのは昨秋売却した元我家所有の山林と畑だ。私が不在の間は全く手入れされず荒れ放題だったのに、今回は畑は綺麗に耕されていた。通りに面した山林の緩斜面は伐採されスッキリした風景に変わっていた。土地が有効利用されているのを見て売却の判断は正しかったと安堵した。

暫く歩いて谷間の奥にある実家に着くと庭に大きな梅ノ木が一対移植されていた。親の形見なのだ。山林売却時に約50年前に両親が揃って植えた梅を庭に移植するよう地元の不動産屋に頼んでおいた。加えて今年はいつもなら庭を覆いつくす勢いで生えていた雑草が少なかったのを見てホッとした。

だが、庭の東端の甘夏みかんの木にそれと同じくらいの枯れ木が覆っていた。異常な景色だ。隣の家に行き主人に挨拶を兼ねて聞くと、今年の大雪(多分東京に雪が降ったのと同じ頃)で斜面の木が折れて落ちて来てた為だという。そのせいか相当数の夏ミカンや橙が落果していた。既に彼が山林の持ち主に処置を依頼し、森林組合が調査に来たというから多分大丈夫だろう。

山林の持ち主は明治維新以降に関西経済の大立者になった郷土の成功者の子孫が保有しており、祖先は我が家と同じくすると聞いている。彼が既に手を打ったと聞いて当面面倒な交渉を回避出来たと思いホッとした。かつて今回より北側の斜面で土砂崩れが起こり我家が被害を受けたことがある。

家の中は例年よりカビが少なくホッとした。酷い年は屋内の全てのカビを清掃するのに2,3日かかった。今回は小一時間かけて台所周りを拭き、一応の食事が出来るようになった。それは良かったのだが、書斎や寝室のある二階に通じる階段の上り下りが急で困った。

というのは先週土曜日に行ったハイキングで足を滑らし右膝を傷めたためだ。特に階段の下りがキツかった。他にも気になることがあった。2週間前にも家族で高尾山にハイキングし孫と坂登競争をし歯を食いしばったせいだと思うが、徐々に小臼歯辺りの痛みが酷くなったいた。

田舎に着て翌日の月曜日すぐに歯医者に飛び込みで診て貰った。実は月曜日の朝に小臼歯に被せていた蓋が取れ痛みが全くなくなっていた。既に3年前に神経は抜いてあったが、先生は念の為と再度消毒し様子を見ようと仮蓋を付けてくれた。

これが裏目に出たのかその夜夕食頃から一桁酷い激痛が再発、夜中で他に方法が無く歯医者の資格を持つ親しい友人にメールを打ち助言して貰った。治療箇所からガスが出ているはずなので蓋を取れと助言されたが、自己流でうまく行かず夜11時くらいまで痛みでもだえ苦しみ何も出来なかった。

そんな時にBSテレビで放送中の時代劇「石榴(ざくろ)坂」が助けてくれた。特に後半に主人公の彦根藩士が仇討ちを止める経緯に見入って痛みを忘れさせてくれた。番組が終わる頃には少し痛みが和らぎ眠ることが出来た。

今朝起きると歯茎が腫れて入れ歯を入れられないが、痛みは殆ど無くなっていた。これが、今年の田舎暮らしの始まりだ。明日は不動産売却の登記、来月は母の三回忌だ。■
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幸運量保存の法則

2018-04-15 22:03:00 | うんちく・小ネタ
今日から田舎の実家で半年間過ごす予定だ。いつもは成田空港から四国松山空港まで順調に移動できたのだが、今回は予想もしなかった事件が起こった。

新宿行きの京王線特急が信号機の故障で15-20分遅れた。中央線に乗換え東京駅に着き八重洲口の成田行きのバス乗り場に急いだ。出発前のバスに駆け込み乗った直後に予約客二人が現れ、最後に乗った乗客が降車を強いられることになった。私は指名される覚悟した。

だが、他の乗客が降ろされそのままバスは発車し、結果的に電車の遅れを取戻して成田空港に到着した。空港に着きバスを降りると強い風が吹いて来て、前日のハイキングで痛めた足元がふらついた。この強風では飛行機がまともに飛べるだろうか、悪い予感がした。

予想に反して搭乗は順調に進んだ。しかしいつまで経っても飛行機は動き出さない。暫くして機長の放送があった。強風で着陸をやり直したり、離陸に時間がかかり、現在離陸の待ち順が15機目になっているという。最終的に離陸したのは定刻より1時間20分遅れだった。

松山空港に着き実家方面に向かうリムジンバス乗り場に行くと、ネットで調べた発車時刻より30分遅れのバスがあった。それに乗ることが出来た。理由は分からないがネットの時刻表は間違っていた。結果として飛行機の遅れをバスの連絡でかなり取り戻すことが出来た。

電車と飛行機の遅れを2回続けてバス接続のタイミングで取り戻すという幸運に巡り合った。

それで長男と孫、私の3人で昨日ハイキングした時の長男の言葉を思い出した。彼が小2の孫に向かって「エントロピーの法則」(エネルギー保存の法則)の説明をし始め、それを聞いた孫がそんな話知らないとふて腐れ、たまたま横を歩く中年婦人と私ががそれを聞いて大笑いした。

長男はそれをもじったのだろうが「幸運量保存の法則」が成立するという。電車や飛行機が遅れた不運の量と、バスの接続で遅れを取り戻した幸運の量を合わせるとプラスマイナス・ゼロになった。息子の主張する法則が偶然にも成立したのは、私の運が良かったということか。■
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甦る母の教え

2018-04-14 18:10:38 | 日記・エッセイ・コラム
今年から二刀流でMLBに挑戦した大谷選手の大活躍がまだ続いている。本人だけでなく日ハムの起用法から始まり、高校や少年時代の野球コーチの育成方針や両親の育て方まで根掘り葉掘り調べて報じている。プライバシーは全くなくなったが、活躍している間は悪いニュースが流れてこないだろう。我が家と違い両親のケンカを子供に見せなかったそうだ。

ニュースを見て私も母から教わったことを思い出した。何故かこぴっどく叱られたことだ。小学生の中頃までだったと思うが、気が短い母に頼まれた庭の草引きや掃除などの用事を忘れると何度もゲンコツを食らった記憶がある。だが、母より私の体が大きくなるといつしか体罰されなくなった。

中学生になった頃だったと思うが学校で教わった素数分解の問題を父親に見せて解き方を聞き、彼が答えられなかったことがある。後からそのことを母に自慢気に話した時、母は激怒して「父親を試すようなことをするな」と叱られた。凄い勢いで叱られた上に、私自身も後味の悪い思いがして未だに忘れられない。

父は子供の時から頭が良いと言われ、町役場から市町村合併で市役所に勤めた。旧制中学卒の学歴だったが自己学習で土木工学を学び専門家になって市役所の幹部になったと聞いた。子供の頃に父の本棚に「ラーメン」という題の分厚い専門書を見て不思議に思ったものだ。

母はそんな父を誇りに思い私の不用意な言葉を許せなかったようだ。私の印象では母は自分の子供より父のことを大事にした人だと思う。そのお蔭か私も子供心にしっかり心に刻んだ。■
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減塩と減糖

2018-04-12 18:46:23 | 健康・病気
血圧を下げる為、徹底して減塩に努めて来た。降圧剤を服用しているので減塩の効果が何ほどか分からないが、外食した時にどの料理も味が濃く感じるので少なくとも舌の感じ方は変わった。

私は何事も徹底し過ぎる傾向があり、たまにやり過ぎになる。趣味のバドミントンやジョギングで、大量発汗時に元々少ない塩分が失われ力が出なくなるかもしれない。

運動時エネルギー補給の為アミノ酸ゼリーで活力を取り戻すようになったのは、もしかしたらゼリーに塩分が含まれているせいかもしれない。

一方、甘いもの好きな私は母が苦しんだ糖尿病に私もなるかも知れないと不安だ。だが、減糖は減塩ほど楽じゃない。気が付くと一日に何度もコーヒーのお供にクッキーやチョコレートなどを頂く。

昨年の定期健康診断で血糖値は95で極めて正常だった。だが、こんなに甘い物を食べていいのかと思う位気が付くと甘い物を食べている。

祖母は晩年になって豆腐に砂糖をかけて食べると呆れていた母だったが、その母も晩年目を離すと甘い物を無茶食いしてたのは皮肉だろうか。かくいう私もボケが始まった頃にどうなっているか。■
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