かぶれの世界(新)

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

虫、虫、虫!

2019-09-20 21:05:39 | 日記
ここ四国愛媛県大洲市もやっと秋らしい気候になった。朝の寝室の気温は徐々に下がり続け、今朝は20度台に下がった。私にとっては快適な温度だ。昨年の今頃に投稿したのと同じ現象で、気温の低下とともに起床時の血圧が下がり続け、昨夜から降圧剤をジェネリックのカンデサルタン錠半分に切り替えた。ココナツオイルは白く濁って凝固が進み利用しやすくなった。

一方で、未だ酷暑時に出来た皮膚病の後遺症に悩んでいる。幸いにも汗疹はドラッグストアの薬剤師が勧めてくれた塗薬で完治した。だが、2週間前頃に膝から下部分に痛痒い赤い腫物が沢山出来て、色々な塗薬を試してみたが中々良くならない。経験のない皮膚病の様に感じた。

最初に教えてくれたのは歯医者崩れのポン友で、私の悩みを聞いてネコダニの典型的な症状だと断定的に指摘した。ネコダニだどんなに跳ねても膝の高さ程度なので、膝下に喰いついて腫物ができるのだという。最悪膝下が真っ赤になるくらい酷い症状になると。だが、マダニに食われると全身に毒が回り命取りになる場合があるという。

その後も散歩中の奥様とかバドミントンクラブの仲間に、ネコダニを指摘する人が何人かいて間違いなかった。だが、結論として彼女達は一様に医者に行けという。ドラッグストアで商品を補充している店員までもが医者に行けと言う。私は「お店の売り上げが減るよ、そんなこと言って良いの。」と笑いながら切り返した。どうも、ダニ対策は簡単じゃないみたいだ。

だが、代用の湿疹の薬が効いたのか、それとも気温が下がったのが効いたのか、腫れが少しずつ収まって来た。更に半ズボンから普通のズボンに履き替えると痒みが薄まったように感じる。これで、もう少し様子を見てみようと思う。ダニにかまれると完治するまでに時間がかかると実感した。

7月に一旦帰京して月末に実家に戻って来た時、台所周りにコバエが湧いていた時は原因を見つけ処置した。今回は多分網戸をくぐって家に入る最も小さい虫で時折見かけるが、目障りにならず余り気にならない。代わりにこのところゴキブリと大蜘蛛が目立つ。今の時期のゴキブリはすばしっこく、殺虫剤より部屋掃除用の帚(ほうき)を必殺の剣代りに使う。成功率は90%程度か。

蜘蛛は気持ち悪いが害はないはず(?)だ。でかいのがキモイが。子供の時見た母は蜘蛛を駆除しなかった記憶がある。同類の百足や毛虫を見かけないのは救いだ。長男家族の来訪に備え家の周りの除虫菊の入った石灰を蒔いた効果なのかもしれない。だが、今日もっと気持ち悪い生き物がいた。虫じゃなくてヤモリだ。家を守ると言われるからには、虫を食って欲しい。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

限界集落のあがき

2019-09-18 16:17:58 | 日記
オリンピック・マラソンの日本代表を決めるMGCの実況中継を見た日の夕方、触発されたというか思いつきというか、とにかくジョギングした。思いつきで初めて走るコースで色んな人達に出会い、その度に長々と世間話をした。ジョギングというより長距離世間話といったところだ。

世間話の中でも記憶に残ったのが、道を間違えてしまい犬を連れて散歩中の中年女性に道を聞いた後交換したご近所事情だ。彼女によれば都会で会社勤め退職後、故郷で暮らす老人達がここにもいた。実家のある限界集落の姿と重ね合わせて興味深く聞かせて貰った。同じ臭いがした。

その一人が国道沿いで農作業中の老人で、挨拶の後彼は唐突に中古のトラクターを探していると切り出した。新品を買う余裕はないので安価に買えるなら紹介してくれという。探してみると答え連絡先を聞いて別れた。だが信頼できる誰とも分からず安請け合いしたと不安になった。

私が心当たりのあったのは亡き元長老の息子で独身の老兄弟だ。長老は買い集めた農地と農機具を息子達に遺したが、彼等は農業をやる気がなく農機具は倉庫に放置されていた。彼等は農地を切り売りして生活している。倉庫の前を通り過ぎる度に彼等の将来を案じない訳にはいかなかった。

昨日の散歩中に早速ご近所の人達の意見を聞いてみた。私の最大限の情報網だ。分かったのは肱川の下流にある春賀と交流のある人はなく、殆ど情報が取れなかったことだ。だが、その後長老に相談して凡その結論が出た。長老は既に引き取る提案をしたがトラクターは動かなかったという。

更に倉庫横にある4mの雑草が生えた広い畑の買い取りも提案したが不調に終わったらしい。長老によれば交渉相手の兄貴はクセのある性格で普通に話し合えなかったという。私にも似た経験があり長老の話は理解できた。他に名案が浮かばず当座は何もせず様子をみようということにした。

別れ際に長老に元気に長生きしてくれ、長老にもしものことがあったらよそ者の私が最年長の男になってしまう。それは困る。彼も私も大笑いして別れたが、内心暗澹たる思いだった。長老は今年初めに脳梗塞で倒れリハビリ回復中だ。もう200m歩くと灯が消え真っ暗な実家が待っていた。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

MGCに触発されて

2019-09-16 21:39:20 | スポーツ
昨日の朝食後から始めてゴミ捨て、朝ドラとルーチンをこなしながら続けてテレビを見ていると、オリンピック・マラソンの日本代表を決めるレースMGCの中継が始まると、片時も目が離せなくなった。全ての日本のトップレベル・ランナーが出場するレースは初めてで見応えがあった。

特に前半ぶっちぎりでリードした設楽のチャレンジは、終盤で失速し残念な結果になったが彼の勇気に感心した。もし彼がいなかったら出場者全員がけん制し合ってスローペースのつまらないレースになったと思う。日本トップのランナーが競えば上手く行ったとは限らない。

こんなに長くマラソン実況中継を最後まで見た記憶がが無い。私的にはMGCは大成功だった。その余韻で私も走りたくなったが、外は35度前後のカンカン照りでとても72才の高齢者が走る環境ではない。夕方涼しくなったら走ろうと思ったが、外の陽射しは何時までも強かった。翌日友人との食事の約束があるので長い距離を走る積りもなかった。

5時近くになっても友人からのメールが来なかったが、走りたい気持ちを抑えられなかった。5時過ぎにまだ強い日差しの中走り始めた。強い直射日光を避けていつもと違う山沿いの日陰の道を走り、JR五郎駅まで走った。そこは何時ものコースに戻る最後の分岐点だったが、日陰が続く肱川沿いの3桁国道の歩道を引き続き走ることにした。車では何度も通ったが走るのは初めてだ。

途中から国道と別れ川沿いの堤防を下流の小さな町春賀に向かった。ここから散歩中の人達に出会い、その度に私らしく世間話をしながら走った。彼等の殆どが女性だった。どこでも女性達はお喋り好きで、私にとっても新鮮で気分転換になった。春賀の食品加工工場裏から肱川に続く橋を渡り、今度は対岸を上流に向かい戻って行った。

対岸の道を走り始めた頃から度々の出会いと長話のせいで夕闇が迫り始めた。おまけに道に迷った。そこで出会った初老の女性に道を聞いてるうちに又もや世間話になり、私の様に退職後に都会から戻って田舎で生活を始めた人達がいることを知った。彼女の近辺の集落にも都会から戻ってジムを開き行き来している人とか、母親の介護のために退職後農業を継いだ人とか。

是非ともそういう人達と情報交換したいと思ったが、気が付くと山裾の人家のない辺りは車通りも少なく暗くて不安になり、その後は休むこともなく帰りを急いだ。上流の鉄橋を渡ると頻繁に車が通る国道に出た。更にもう一つ橋を渡ると五郎駅に着き元来た散歩道を通り実家に戻った。時刻は7時前で普段と変わらないのだが、日が短くなったせいか日暮れが早く随分遅く戻った気がした。

テレビをつけるとまだMGC関連のニュースをやっていた。万歩計を見ると約12km走ったことになる。最近ハマっているモデル歩きを取り入れた走り方の効果か、今朝になっても足の疲れや痛みが殆ど無かった。今日の昼のニュースバラエティでもまだMGCをやってた。又走りたくなった。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田舎暮らし雑感2019(11)

2019-09-14 16:02:02 | 日記
中秋の名月
昨日は中秋の名月なのに生憎の曇天だった。8月後半から天気予報が全く当たらない。予報では終日曇天にも拘らず、昨朝はこの地の名物の霧がかかり徐々にちぎれ雲から晴れ間が広がって来た。私も慣れたもので、こうなることを期待して前夜廊下に干していた洗濯物を外に出した。

天気予報に加えて西と北の雲の動きを見て洗濯物をどこに干すか決める。何度か天候が変わるので、その後も外に出したり家の中に入れたりする。逆の場合もある。たまに急な夕立が来て失敗することもある。それはそれで暇な独居老人だから却って気分転換になる。

外しまくりの天気予報
だが、昨日は期待に反して夕方から黒い雲が空を覆いつくし、何時もの散歩タイムの頃はまるで夜が早く来た。更に、一昨日はどういう理屈でそうなるか分からないが、東側の山から太陽光線の束が広がってるように見え、西側は黄金の夕やけが見えた。こんな不思議な光景は初めて見た。

散歩ですれ違った人達に聞いたが誰も記憶がないという。意外と気付かずにただ歩いている人が多い。私のように雲の動きや風向きを天気図と重ね合わせ何が起こっているか考える変人には出会わない。ただ、このところの予測不可能でころころ変わる天候は皆気にしており異常気象という老人もいる。特に身近な洗濯物干しの話題を持ちかけると主婦の反応が良い。

特定部分に吹き出物
1週間前くらいから膝から下の部分に吹き出物が沢山出来て痒い。白癬菌とか汗疹の対応で処方された塗薬を付けているが効き目がない。今朝は半分やけくそで母が使っていた何か不明の塗薬を付けた。私はメンソレタムと思っているが正確な名前は不明、手書きでヤケドと書いてある。

膝下にだけ吹き出物が出来ているのは何故か考えると、もしかしたら最近半ズボンしか履かないので虫食いか野草にまけたのかも知れないと思う。この記事を投稿したら散歩を兼ねて買い物に行くので、普通のズボンに履き替えてみようと思う。幾分涼しくなったがまだ暑いのが問題。

田舎の人間関係に苦労
早期退職後に母の介護から始めた数か月おきの田舎暮らしが15年以上続き、徐々に田舎での生活に関わる人達との関係が濃密になって来た。私は会社勤め時代から技術者上がりの歯に衣着せずズケズケ言うタイプだった。米国勤務時代はプラスに現れたことが多かった気がする。

だが、日本の田舎での長い付き合いで単なる挨拶から濃い会話を交わすようになり、不用意な発言で懇意な人達との関係を損ないそうになった。私が田舎で暮らしたのは15年間だけ。以前投稿した記事「大洲人気質」で描いたハッキリ意思表示しない人間関係に苦労することが続けて起こった。

何で今頃かと思われるだろうが、長い期間のお付き合いで親密になっても越えてはならない一線がある。当たり前で議論の余地がないと思うが誰も動かないテーマに踏み込んだ瞬間反発が帰って来た。エッ?だが、直ぐに謝り了解された。事の善悪より田舎生活の維持が重要だった。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

酷暑下の高齢者

2019-09-11 12:00:34 | 日記
先月後半から急に涼しくなり秋来ると思ったら、今月は毎日気温が上昇し真夏の酷暑の日が戻って来た。朝6時頃の書斎の温度が今月1日が21.4度、10日後の今朝は26度だった。26度以上だったのは約1か月前の8月16日まで遡る。高齢者の身には夏バテからの回復どころか、夏の疲れが一層悪化したようだ。

暑さの影響を受けたのは、田舎の独居老人生活のために大事な人との交流だ。だが、ここに来てそれが上手く行ってない。楽しみにしているバドミントンクラブの練習仲間等、数少ない田舎の友人に不用意な言葉をかけ嫌な思いをさせるなどと、どうも人間関係がギクシャクして来たのだ。

私にしてみれば自分の思いや考えを正直に言った積りだが、言わない方が良い事や言い方を変えた方が良かったと後悔することが最近続いた。相手が嫌な思いをしたり傷つけたりしてしまったようだ。後になってちょっとした気配りで全く違った印象を与えたはずと後悔した。その時は考えが及ばず配慮に欠けていた。今となっては後の祭り、関係が壊れてしまったかも。

会社勤めをして色々な人と交流し人付き合いは得意な方だと自負してきたが、今や古希を過ぎて言いたいことを言いたい放題の身勝手なジーサンになってしまったのだろうか。総ての失敗を年令や暑さのせいにするのもどうかと思うが、時々自分を制御出来てないと自覚する時がある。

もっと単純な老化もある。馴染みのカフェでマスターが作る賄い飯をニンニクの香りが強すぎると女給さんと言い合っていた。いつも冷静な彼が珍しく興奮していた。私はすぐ傍にいて殆どニンニクの臭いが気にならず、自分の嗅覚が衰えているのに気付いた。それが生まれつきか老化のせいか分からないが、その場は取り敢えず夏バテのせいにした。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする