かぶれの世界(新)

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子供の躾を振り返る

2019-09-08 15:35:41 | 日記・エッセイ・コラム
8月の半ばに田舎の実家に来てくれた長男家族が帰京してた。日本中が大騒ぎした台風10号が去った直後に東京から我家に別の台風が来て、あっという間に去って行った。1週間後のゴミ捨てで物理的な痕跡が無くなったが、賑わいは収まっても私の心にザワツキが残っている。

私が子供を連れて毎年実家に顔を見せに行ったのを長男が思い出し、孫達に同じ経験をさせたいと家族で来てくれた。子供も孫も東京で生まれ、育ち、働き、彼等自身の家庭がある。ここは私の実家で長男が相続するが、彼の実家は東京郊外の我家なのだ。長男の思いは親として本当に嬉しい。

今回久し振りに長男家族と数日間同居し、彼等の生活を24時間見ることになった。その中で最も衝撃だったのは子供達の躾だった。子供は朝7時頃には起きて2階の客間から1階の居間に降りて来て、テレビをつけゲームマシンに熱中する。上の子が小3、下の子が保育園年長だ。

育ち盛りのはずだが、滞在中私が薦めても牛乳コップ1杯を飲んだり飲まなかったり、弟が1日だけバナナ1本食べただけ。台所に例年になくカビが増殖し子供に食事させたくなかった。彼等は初日の夜を除き、昼と夜は外食し一度も実家で食卓を囲むことはなかった。残念だけど理解できた。

こんな食習慣で大丈夫か心配だが聞くと子供達はクラスで平均的な体形、成績も良く一二を争うスポーツマンだという。長男の子育て方針は、やりたいことをやらせその中から得意な分野を見つけ育てて行く、だ。今のところ上手く行っているようだ。私も経済的には積極的に協力している。子供の時からエリート教育する方向に向かえば、親の経済的な負担は大変なことになろう。

だが、実際に子供達と短期間でも一緒にいると、私達夫婦の子育てとの余りの違いに改めて驚いた。と言っても私は猛烈サラリーマンで子育ての殆どは家内がやり立派に育ててくれた。今回初めて長男家族と比べて、家内の子育ては大したものだったと今頃になって感謝の気持ちが湧いた。

私は当時稼いで来ればいいという酷く昔風の考えで、子育てを云々する資格はない。今は子育ては親の考えに基づくべきで私も色々言う積りはない。長男夫婦の子育ては外面的には今のところ勉強もスポーツも上手く行っている。難しい躾けや団体生活などは将来寄宿舎等に入れる手段もある。

とりとめなくなったが、跡取の長男家族と言えども私と家内が築いた家庭とは随分違うと実感した。しかも、「違う」のはダメという訳ではないということも今回実感した。私が生きている間に結果が出るかどうか分からない。我が家の家系は二代続けて父親が見届ないまま先に死んでしまった。現時点ではっきりしているのは、家内の子育てに対する感謝の気持ちだ。

都から遠く離れた田舎の独居老人宅が一時の賑わいが一瞬にして静かになった今、急に感傷的になって柄にもない記事を書いた。ちょっと恥ずかしい。私らしく助平に生きよう。■
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真夏の助平ジーサン

2019-09-06 22:09:23 | 日記
自分では普通だと思うが、周りは私を助平だという。確かに私は老若男女誰彼かまわず声をかける。日本人でも外国人でも、役人だろうと清掃員だろうと気にしない。だが、周りの人は私が女性に声をかけた時だけ取り上げて「助平ジーサン」と揶揄する。

だが、私にも言い訳がある。田舎で毎日散歩すればほぼ同じ顔ぶれ人達に会う。そのうち殆どは女性だ。結果として女性、しかも若めの女性(?)に声をかけることが多いかも知れない。古希を過ぎた私には大抵の女性は若めなのだ。彼女達の半分近くは犬を散歩させてる。

普通は気候の挨拶をする、全年齢共通の話題だ。特に年寄りにとって夏の暑さは重要なテーマだ。最近よく見かける小型犬を可愛いと褒めると例外なく彼女達の顔はほころび礼を言う。東京郊外の場合は子連れの母親も多く、犬と同じように赤ちゃんを褒めると会話が弾む。

ボランティア活動中の女性に声をかけ労をねぎらう。例えば都会なら道のゴミ拾い、田舎なら路傍の草刈りをする人達だ。体育館の掃除員でも同じだ。これらの人達は例外なく女性だ。馴染みのカフェの前を通る観光客や四国遍路の外人女性巡礼にも歓迎の意を込めて声をかける。

若い時はそうではなかった。何故こういう習慣がついたのか考えてみた。米国暮らしの間に身に付いたのかもしれない。カリフォルニアの工場で働いた時、深夜にヒスパニック系の女性清掃員を見つけ挨拶するとか。それが習慣になって知らない人でも声をかけるようになったと思う。

勿論、若い女性に声をかけ親しく会話出来たら最高だ。以前投稿したように銀座のど真ん中で無条件にハグするなんて夢みたいなことも起きる。なのに恥ずかしがってしり込みする人ばかりだった。ということで今年の夏も田舎の助平ジーサンは健在だった。■
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限界集落に異変が(訂正)

2019-09-04 16:47:21 | 日記
散歩の帰りに隣のお婆ちゃんと話した。以前から気になっていた独身老兄弟所有の畑が2階より高い雑草に覆われている、彼等が毎年やっていた除草剤を今年は蒔かなかったのが原因だと彼女は指摘した。前回投稿した推定原因の天候のせいではなかった。

4年前に元長老の父が亡くなった後、兄弟は野菜作りは止めたがご近所に迷惑がかからないよう最低限のことはやっていた。兄は心を病み仕事を止めて家に籠り、手に不具合のある弟は勤めに出て、誰も農業はやってなかった。今年は除草剤蒔きも止めたらしい。95才の彼女がしっかり見ていた。

秋になれば雑草は枯れるから来春まで様子をみよう、その時兄弟が何もしない様だったら働きかけした方がいいかも、ということで彼女とは別れた。彼等の振る舞いは私にとっても正に他山の石で、見ていて痛々しい。一方的に批判できない。

母の持ち物を整理していたら母が脳梗塞で倒れる前の庭の写真集が出て来た。サツキの生垣やシャクヤクとかの花が満開の写真がこれでもかとばかりに出て来た。今やサツキの生け垣は枯れ、花は何処にあったか行方不明。私には限界だ。■
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熱中症寸前2019

2019-09-03 22:19:23 | 健康・病気
昨年に続いて今年も熱中症寸前の状態になった。お昼前に義弟がコーヒーを買って持ち込んでくれた。東屋でコーヒーを飲んでいる時、二人は暑いから熱中症に気をつけなければと認識していた。というのは猛暑が続いた昨年も7月後半に熱中症になり、同じ目に遭わないよう注意していたはずだった。

今日の大洲市は暑い夏が戻って来て、最高33度まで上昇する予報が出ていた。実際は気温が更に上昇し正午前に34度になり県内最高気温を記録していた。義弟と熱中症を注意しようと話合っていたのだが、今回は私だけ体力が低下してたのか熱中症の症状が出たようだ。

実家の近くの中華料理店で昼食を取り、隣町の馴染みのカフェに向かった。車に乗り降りするたびに停車中に強烈にに熱せられた車内に座ることになり、カフェに着く頃にはかなり気分が悪くなっていた。カフェの冷房ははチンチンに効いていたのだが、1時間たっても体調は戻らなかった。

寧ろ悪化している感じがして堪らず、断ってカウンター側に入り首筋に水を垂らして冷やした。それを見てお店の女性が気を利かして氷嚢を作ってくれ後頭部を中心に冷やした。お蔭でその後は時間の経過とともに少しづつ気分が良くなり大事にならかった。助かった。

4時頃に帰宅し涼しい部屋で安静にし落ち着いた。涼しい風が吹き始めたのを見計らい夕方散歩に出た。カフェのある隣町の内子町の辺りは真白い雲で覆われ、その上に山が見えるという逆転の不思議な風景だった。少し不安もあったが散歩して寧ろいつもの体調に戻り安心した。■
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限界集落に異変が

2019-09-01 22:52:56 | 日記
ちょうど1年前に近所の適齢期を過ぎ老人になった独身男性兄弟が、周りから心配されながらに寂しい生活をしていることについて紹介した。1年後の彼等の生活も全く変わってない。

一点だけ異変が起こった。彼等の家に続く畑の雑草が急に伸びて3-4mになった。父親だった長老が亡くなって数年、その間彼等兄弟は全く畑の手入れをしなかった。大きな農機具も野ざらしのまま。昨年までは畑は雑草だらけだけだったが背丈は1m未満だった。

長老は家に続く広い空き地に石垣を作り平らな畑にした。南側に大きな温室を作った。今は温室も畑の真ん中を通り裏山に続く道も雑草の中に埋もれてしまった。何故急に雑草が延びたのか分からない。もしかしたら7月の高温と雨量が雑草の成長にとって最適だったのかもしれない。

この雑草の森を見て近所の人達は何と思っているのだろうか。老兄弟を助けてやろうという気はないのだろうか。心配はしても助けるには皆老人過ぎるかも。■
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