8月の半ばに田舎の実家に来てくれた長男家族が帰京してた。日本中が大騒ぎした台風10号が去った直後に東京から我家に別の台風が来て、あっという間に去って行った。1週間後のゴミ捨てで物理的な痕跡が無くなったが、賑わいは収まっても私の心にザワツキが残っている。
私が子供を連れて毎年実家に顔を見せに行ったのを長男が思い出し、孫達に同じ経験をさせたいと家族で来てくれた。子供も孫も東京で生まれ、育ち、働き、彼等自身の家庭がある。ここは私の実家で長男が相続するが、彼の実家は東京郊外の我家なのだ。長男の思いは親として本当に嬉しい。
今回久し振りに長男家族と数日間同居し、彼等の生活を24時間見ることになった。その中で最も衝撃だったのは子供達の躾だった。子供は朝7時頃には起きて2階の客間から1階の居間に降りて来て、テレビをつけゲームマシンに熱中する。上の子が小3、下の子が保育園年長だ。
育ち盛りのはずだが、滞在中私が薦めても牛乳コップ1杯を飲んだり飲まなかったり、弟が1日だけバナナ1本食べただけ。台所に例年になくカビが増殖し子供に食事させたくなかった。彼等は初日の夜を除き、昼と夜は外食し一度も実家で食卓を囲むことはなかった。残念だけど理解できた。
こんな食習慣で大丈夫か心配だが聞くと子供達はクラスで平均的な体形、成績も良く一二を争うスポーツマンだという。長男の子育て方針は、やりたいことをやらせその中から得意な分野を見つけ育てて行く、だ。今のところ上手く行っているようだ。私も経済的には積極的に協力している。子供の時からエリート教育する方向に向かえば、親の経済的な負担は大変なことになろう。
だが、実際に子供達と短期間でも一緒にいると、私達夫婦の子育てとの余りの違いに改めて驚いた。と言っても私は猛烈サラリーマンで子育ての殆どは家内がやり立派に育ててくれた。今回初めて長男家族と比べて、家内の子育ては大したものだったと今頃になって感謝の気持ちが湧いた。
私は当時稼いで来ればいいという酷く昔風の考えで、子育てを云々する資格はない。今は子育ては親の考えに基づくべきで私も色々言う積りはない。長男夫婦の子育ては外面的には今のところ勉強もスポーツも上手く行っている。難しい躾けや団体生活などは将来寄宿舎等に入れる手段もある。
とりとめなくなったが、跡取の長男家族と言えども私と家内が築いた家庭とは随分違うと実感した。しかも、「違う」のはダメという訳ではないということも今回実感した。私が生きている間に結果が出るかどうか分からない。我が家の家系は二代続けて父親が見届ないまま先に死んでしまった。現時点ではっきりしているのは、家内の子育てに対する感謝の気持ちだ。
都から遠く離れた田舎の独居老人宅が一時の賑わいが一瞬にして静かになった今、急に感傷的になって柄にもない記事を書いた。ちょっと恥ずかしい。私らしく助平に生きよう。■
私が子供を連れて毎年実家に顔を見せに行ったのを長男が思い出し、孫達に同じ経験をさせたいと家族で来てくれた。子供も孫も東京で生まれ、育ち、働き、彼等自身の家庭がある。ここは私の実家で長男が相続するが、彼の実家は東京郊外の我家なのだ。長男の思いは親として本当に嬉しい。
今回久し振りに長男家族と数日間同居し、彼等の生活を24時間見ることになった。その中で最も衝撃だったのは子供達の躾だった。子供は朝7時頃には起きて2階の客間から1階の居間に降りて来て、テレビをつけゲームマシンに熱中する。上の子が小3、下の子が保育園年長だ。
育ち盛りのはずだが、滞在中私が薦めても牛乳コップ1杯を飲んだり飲まなかったり、弟が1日だけバナナ1本食べただけ。台所に例年になくカビが増殖し子供に食事させたくなかった。彼等は初日の夜を除き、昼と夜は外食し一度も実家で食卓を囲むことはなかった。残念だけど理解できた。
こんな食習慣で大丈夫か心配だが聞くと子供達はクラスで平均的な体形、成績も良く一二を争うスポーツマンだという。長男の子育て方針は、やりたいことをやらせその中から得意な分野を見つけ育てて行く、だ。今のところ上手く行っているようだ。私も経済的には積極的に協力している。子供の時からエリート教育する方向に向かえば、親の経済的な負担は大変なことになろう。
だが、実際に子供達と短期間でも一緒にいると、私達夫婦の子育てとの余りの違いに改めて驚いた。と言っても私は猛烈サラリーマンで子育ての殆どは家内がやり立派に育ててくれた。今回初めて長男家族と比べて、家内の子育ては大したものだったと今頃になって感謝の気持ちが湧いた。
私は当時稼いで来ればいいという酷く昔風の考えで、子育てを云々する資格はない。今は子育ては親の考えに基づくべきで私も色々言う積りはない。長男夫婦の子育ては外面的には今のところ勉強もスポーツも上手く行っている。難しい躾けや団体生活などは将来寄宿舎等に入れる手段もある。
とりとめなくなったが、跡取の長男家族と言えども私と家内が築いた家庭とは随分違うと実感した。しかも、「違う」のはダメという訳ではないということも今回実感した。私が生きている間に結果が出るかどうか分からない。我が家の家系は二代続けて父親が見届ないまま先に死んでしまった。現時点ではっきりしているのは、家内の子育てに対する感謝の気持ちだ。
都から遠く離れた田舎の独居老人宅が一時の賑わいが一瞬にして静かになった今、急に感傷的になって柄にもない記事を書いた。ちょっと恥ずかしい。私らしく助平に生きよう。■