前日に、久しぶりに、ぽりぽりぽりと、家族の分まで、食べてしまった。画像は、「これ、ひとり分だょ」と、割り当てられた。一見旨そうだが、前日食べたのより、形は同じだが、味が薄い。輸入品だった。聞くと、国産は、三倍も四倍もするんだぁとのこと。前日食べたのは、二袋で、1000円だぁと。「節分過ぎれば、安くなっぺぇ」だが、どうなのか。昔し話しに、どこかの、総理大臣が、「貧乏人は、麦を食え」なんて、言ったとか、言わないとかだ。小生は、そんなたぐいの、種族だなぁと、自覚すればいいべぇと。
鬼やらいのあと、食べる豆は83粒になる。歳重ねというのか、実際の年齢プラス1粒というのが、しきたり。年を重ねたくないので、食べない。言い伝えに逆らっている。83粒の豆を食べると、胃にさわる。胃薬りを服用するのが、いやだ。年齢次第に、内臓も、劣化している。体をいたわりながら、日々を暮らしている。あと幾つの一里塚を越すのだろうか。そんな不安よりも、前向きが一番だと思う。立春は、古来の農耕民族が、一年の始まりの日と読んだ。ご先祖の、曽祖父は、漁業、曽祖母は農業。祖父は、鉄道の機関車運転手で、正装し帯刀した、写真が残っている、恩給受給者で、74歳で他界。親父も車掌から、駅助役で、恩給生活だった。小生の元をたどれば、農耕民族。立春を一年の始まりとして、あれをやってみっかぁ、こっちもやってみっかあと、前向きの、考えだけ。まあ、三日坊主だろうがと、またまた、自嘲している。