八十路徒然なるままに

すざまじきものにして見る人もなき月の寒けく澄める、廿日のあまりの空こそ、心ぼそきものなれ。徒然草より

心知光明

2010年02月01日 21時08分13秒 | Weblog
しんちこうめい--心が清く正しく、広いさま。と新明解にある。清くだけでは、生きられないかぁ。銭はよどみもしないで、羽が生えて飛んでいってしまう。「武士は食わねど高楊子」と思い、爪に火灯して、日々を暮らしている。あるところにはあるもんだなぁっと、言っていたひとがいた。仕事で走行中に、ラジオで、国会の論戦を聞いた。自画自賛やら、責任の擦り合い、怒号の応酬、相手を張り倒す勢いの罵声。また、先日のテレビでは、「うるさあぁいぃ」と、一喝が見られたり、「あぁあぁっ」っと音声入りの大あくびが見られたりする。「無いものねだり」をしたら、「無い袖を振った」ようにみえる。「長いものには巻かれろ」っと、あきらめている。でも、しっかりと納税はしている。せめてパソコンに向かって「あぁあぁっ」と大あくびをしいいる。「清く正しく美しく」っと思っていても、はげにメタボではしやゃんめえなぁ、って自嘲している。

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