一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

湯川博士先生からの電話

2009-08-17 23:04:49 | 将棋ペンクラブ
私は携帯電話を持っていないが、旅行中は会社(自営)の携帯を拝借していく。旅先では家のことは極力考えたくないので、滅多に連絡はしないのだが、それでも1~2日に1回は電話を入れる。
先週13日(木)の夜10時すぎ、黒島の宿から自宅に電話をかけると、オヤジが出た。すると、将棋雑誌の人から電話がきたという。私はピンときた。これは将棋ペンクラブ統括幹事の湯川博士先生からではないか!? そう訊くと、オヤジはそうだと言う。しかし驚いたことに、その電話は10日(月)の夜にあったと言うではないか。
バカな!! 10日も11日も私は家に電話をかけたが、オフクロはそんなこと一言も言ってなかったじゃないか!
私が家に電話をかけるのは、両親の安否を確認するとともに、私に郵便物や電話やらがあったかを確認するためのものでもある。ただ漠然と連絡をとっているわけではないのだ。
私は青くなって電話を切ると、すぐに湯川邸へ電話をする。しかし湯川先生夫妻は不在だった。
湯川先生が私に電話をした理由は察しがつく。私が沖縄旅行3日前に投稿した、将棋ペンクラブ秋号用の原稿の中身についてだ。
以前も書いたが、私が書いた原稿は、まずW氏(断るまでもないが、LPSA金曜サロン会員のW氏とは別人)にメールで送信する。今回はW氏に予めスペースを空けてもらっておき、原稿締切日後に執筆を始めたため、だいぶタイトなスケジュールになっていた。また原稿も、以前書いた内容と酷似しており、W氏からは、「内容が以前と似ていると、掲載が冬号に廻される可能性もあります」という旨の返信もいただいていた。しかも湯川夫妻は6日まで不在だという。これでは私と行き違いになり、私の原稿に何か修正があった場合は、私に連絡の取りようがない。
しかし私には妙な自信があった。これまで私は将棋ペンクラブ会報に13回ほど拙稿を掲載されているが、湯川先生には大きな直しをされたことがない。これ、大したことがないように思えるが、W氏に言わせると、実は稀有なことらしい。
私が以前、将棋ペンクラブ関東交流会のレポートを書いたとき、窪田義行六段が紫のスーツを着て「ヒロシです」と自己紹介をしたことがあったので、その場面を書いたところ、湯川先生はヒロシをご存知でなかったのか、該当箇所をバッサリ削除、加筆されたことがあった。
湯川先生からの直しらしい直しといえばそのくらい、しかも事前に連絡もなかったので、これはW氏に言わせると「軽い」らしい。だから私は、自分の原稿は直されることがない、原文のまま載るはずだ、と高を括っていたのだ。
あれは5月9日(土)、私がLPSA主宰「中井塾」の体験学習を受けたとき、湯川先生が「江戸の名人」というタイトルで特別講義をされた。その休憩中、湯川先生が私を指して、
「彼は将棋ペンクラブの会員なんだけれども、彼は船戸(陽子)さんのファンで、青春ものの文章をよく書きます。彼の文章は無鑑査です」
と言った。万座の中で、船戸さん云々と大声で言われたのにはひっくり返ったが、「無鑑査」という表現は嬉しかった。
話を戻すが、湯川先生は会報の最終校正をされているので、ここをクリアすれば、無事掲載という運びになる。ところがW氏によると、そこに至るまで、たいていの会員が何らかの修正を余儀なくされるというのだ。
ちなみに「中」の直しになると、湯川先生からW氏に、直し依頼の連絡が入るらしい。では「大」の直しがある場合はどうか。その場合は、原稿を執筆した会員に、湯川先生から直々に、直し依頼の電話がくるというのだ。では今回の私のケースは、まさにそれに当たるのではないか? 私は、文中に何かひどい表現をしただろうか?
そう考え始めると、もう観光どころではなくなってきた。とりあえずは、湯川先生に連絡を取ることが先決だ。しかし翌14日(金)は、朝、昼、夜と3回電話をかけたが、不在。15日(土)の午前中もかけたが、同じだった。
「こっちは10日に電話をしたのに、あんたは随分返事が遅いじゃないか」
という湯川先生の嫌味が聞こえてきそうである。その上あのしゃがれ声で、我が文章の疵をグリグリと指摘されるのは、心臓によくない。
何だろう、一体何の用事だったんだろうと、もう私は半分おびえながら、午後7時すぎに、また湯川邸に電話をかけた。すると今度は湯川先生ご自身がいきなり電話口に出られたので、私は飛び上がった。
石垣市・新川豊年祭の外れの路上で、私は湯川先生の話を、体を丸めながら拝聴する。
聞くと、今回の私が本文に書いた「あるLPSA女流棋士の感動の1手」は、指し手の記述だけでは読者が分からないので、湯川先生のほうで勝手に図面を作り、挿入したとのこと。また投了以降の詰み手順も、LPSAに確認して加筆しておいた、とのことだった。
湯川先生が直々に電話をくださったのは、前述のとおり、私が原稿を遅く仕上げたのでスケジュールに狂いが生じてしまい、加筆部分を直でやりとりしたかったから、らしい。
なんだ…結局、私の取り越し苦労だったのだ。案ずるより産むが易し。いままで恐れおののいて損した…。
コメント (2)
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